14.

***


「何だと⁉」


 ルキウスが声を荒げると、文官長は身を竦ませた。その怯えに満ちた瞳に、怒りが込み上げる。

 文官長は許しを乞うように膝を折り、その場に頭を擦りつけた。


「申し訳ございません! しかしアースターは今晩、こちらには伺えません……!」

「……ふざけるな! 俺の誘いを断るなど……」

「申し訳ございません!」


 シンがルキウスの要望に応えないのは初めての事だった。その上、シンはあろうことか、文官長に伝言を頼んだのだ。

 ルキウスに顔を合わせることなく、こちらの申し出を断った。その事実に耐え難い怒りが湧き上がって来る。


「なぜアースターは来ない⁉」

「あ、アースターは……風邪を引きまして……その、体調が……」

「嘘をつくな。昨日はすこぶる元気だったぞ」


 ルキウスの胸にじわじわ湧き出したのは、裏切られたという情けない感情だった。

 脳裏には、こちらを挑むように見据える、琥珀色の双眸が浮かぶ。ルキウスはあの瞳を見たかったのだ。知らない男の瞳など見たくはなかった。


 いつでも来てくれる。

 その確信は見事に裏切られた。所詮、そこまでの男だったという事だろう。

 ルキウスは舌打ちを零して、立ち上がる。


「来ないならば、こちらから迎えに行く。その者を捕らえておけ」


 言い捨てれば、男の顔が絶望に歪んだ。その表情だけでも、シンが風邪を偽って夜伽を断ったことが窺い知れる。

 今日は夕食も共にするつもりだった。その気持ちが強かっただけに、怒りが先走る。

 ルキウスはザザドを伴って、シンが所属する第三科へと向かった。



 怒りと共に廊下を歩けば、誰もが恐れて道を空ける。今日はそれすらも忌々しく、ルキウスは荒々しく歩を進めた。

 文官室の前まで来ると、室内の声が聞こえてくる。


「……ちゃ、だ……! …………!!」

「だ……ですよ! ……ていて、下さい……!」


 どれも焦りを含んだ言葉だ。ますます疑念が膨らみ、ルキウスはノックもせず扉を押し開けた。

 視線の先にソファと、それに群がる文官たちが見える。彼らはルキウスを見ると真っ青になり、先ほどの文官長と同じような表情となった。


 どうやら文官たちは、シンをどうにか庇いたいようだ。愛想の良いシンが、どれだけ同僚らを篭絡していたか分かる。

 この中には、もしかしたらシンと情を通じている者もいるかもしれない。そう思うと、無意識に眉尻が切り上がっていく。


「……かっ、か……?」


 ソファからゆっくりと、シンの華奢な身体が起き上がる。その姿を見て、ルキウスは怒りのまま歩を進めた。

 今すぐ首根っこを掴んで、執務室へ引きずり込んでやるつもりだった。そうでもしないと、この猫は躾けられない。


「……おい華奢猫。……っお前…………?」


 しかしルキウスは、その足をぴたりと止める。

 ソファにいるのは紛れもなくシンだったが、様子がおかしい。身体はゆらゆらと揺れ、焦点も定まらない。


 華奢なシンの手が、縋るようにソファの背もたれを握る。その手の甲に見えたのは、昨日の戦闘でついた傷だ。

 巻かれた包帯が血で滲み、彼の真っ白な肌を染めていた。


「…………も、しわけ、ござ……いません……」


 シンはソファを支えにして、ふらふらと立ち上がる。その表情にいつもの朗らかさはなく、瞳は虚ろだ。

 琥珀色の双眸が、うろうろと視線をさ迷わせる。そしてルキウスを見つけると、安堵したように笑みを浮かべた。


「……そこ、に、いら、っしゃい、ましたか……」

「アースター……お前……」

「いま、そちら、に…………そち、ら………………」


 言葉を紡いでいた小さな唇が、突如として動きを止める。

 そして琥珀色の瞳がじわじわと濁っていった。先ほどまでルキウスを映していた目は、もう何も映していない。


「……アースター……?」


 シンの膝が力なく折れる。その瞬間、ルキウスは地面を蹴っていた。

 崩れ落ちるシンの身体を受け止めると、その熱さに目を見開く。


「アースター! おい、シン……!」

「……」


 呼びかけても、その身体はまったく反応を示さない。閉じてしまった瞼には血色が無く、生命の灯が消えかかっているように見えた。


『____ アースター様がいなくなったら、どう思いますか?』


 ザザドの問いが木霊して、ルキウスは訳も分からないままその身体を抱き込んだ。

 自身が震えていることにも、気付かないまま。



++++++


 ロジェは夢を見ていた。記憶を辿るだけのその夢は、いつもロジェの心を抉る。

 しかし忘れてはいけない、自戒のような夢だ。


 16年前。


 数か月に渡った合同訓練も、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。訓練の最後に待っているのは魔獣討伐訓練という、かなり危険性の高いものだ。

 全員で森に入り、狩った魔獣の数や質を競う。シンプルな訓練だが、実践と同じようなものだ。毎回のように死傷者が出ているのも頷ける。


 その日は朝から雨が降っていたが、当然のように訓練は決行された。


 灰色の空を見上げて、ロジェは熱のこもった息を吐く。

 ここ最近、身体が妙に熱を持つのだ。怠さもあり、風邪の引き始めかとも思ったが、咳や鼻水などの症状はない。

 ただ怠いだけだったので身体は動かせたが、気持ちは沈んでいく一方だ。


「ウォーレン、大丈夫か?」

「ん? ああ、大丈夫」

 

 心配そうに聞いてくる親友ルキウスも、今日は雨衣を身に着けているため顔が見えにくい。

 せめて彼の瞳さえ拝めれば、この気持ちも晴れるかもしれないのに、とロジェは重くため息を吐いた。

 背中に、ルキウスの大きな手の感触が伝わる。


「具合が悪いなら、狩り小屋で休んでいるといい。魔獣は俺が、ウォーレンの分も狩るから」

「そんなこと出来るわけないだろ。大丈夫だって」


 降り続く雨は、まるでロジェを嘲笑うかのように激しさを増す。森の地面はぬかるみ、革のブーツはすぐに水の侵入を許した。

 魔獣はなかなか現れず、ルキウスとロジェは視界の悪い中、必死で捜索した。森の中で同期とかち合う事もあったが、彼らも魔獣に遭遇していないという。


「ここまで魔獣が出ないなんておかしいな。……奴らに雨は関係ないはずなのに……」

「……確かにそうだ。大型どころか、小物さえいない……」


 普段どこにでもいる、兎や鳥の魔獣さえ姿が見えない。まるで森全体から魔獣を消し去ったかのようだ。


 ロジェは木の幹に寄りかかり、気怠げに息を吐き出した。こんなに冷たい雨が降っているのに、吐息は先ほどより熱っぽい。

 先を進んでいたルキウスが振り返り、ロジェの様子に眉を顰める。瞬間、その背後から火柱が上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る