12.

 ロジェは今晩の宿へ入り、ほっと息を吐く。

 視察は滞りなく進み、陽が落ちる前には全工程を終了することが出来た。ルキウスは迎賓館に宿泊するので、今晩は呼び出されることもないだろう。


 ロジェに当てられた宿は、迎賓館の近くにある官舎だった。質素な寝台があるだけだが個室だし、共有浴場はかなり広い。ゆっくりと湯に浸かっていたら、もう夜は更けていた。


 寝台へと倒れ込むと、怠さを纏った身体は溶けて行きそうになる。閉じかけた瞼の奥が鈍く痛んで、ロジェは眉をぎゅっと寄せた。 


(……さすがにきついな……。明日まで持つか?)


 このまま眠ってしまいたいのを堪えて、ロジェはのっそりと身体を起こした。

 サイドテーブルに置いてあった鞄に手を伸ばし、中から薬瓶を取り出す。薬を口に流し込んで飲み下し、また力なく寝台へと倒れ込んだ。


 ルキウスの下で働き始めてから、ロジェの労働時間は二倍以上になった。

 空いた時間で身体を休めているが、圧倒的に足りていないのだろう。疲れがどんどん蓄積されていく。

 ロジェも今年でもう34歳だ。いくら長命の半魔とはいえ、多少の衰えは感じ始めていた。

 そろそろ休みを取らないと、さすがに限界がくるかもしれない。


(……帰って報告書を作ったら、半日休みを貰おう。……昼から出勤して、それ、から……)


 重くなっていく瞼に抗えず、ロジェは意識を沈めた。



 翌日は、雲一つないほどの晴天だった。ゆっくり眠れたお陰か、ロジェはいくらかマシになった身体をぐっと伸ばす。


 今日の公務は特に無く、ルキウスが娘のノレイアと街を散策するだけだ。昼食を取ったら王都への帰路につくことになっていた。


 ロジェも散策に同行することになり、ゆっくりと街中を進む馬車の後ろを歩く。側近二人も今日は馬に乗らず、馬車の周りを囲うように歩いていた。

 馬車を見上げると、窓には小さな影が映っている。ノレイアだろう。先ほどロジェも挨拶を済ませたが、彼女は香り立つほどの美少女だった。


 アンリール元妃も美しい人だと聞いていたので、ルキウスとアンリールはまさにお似合いの夫婦だっただろう。今は別れてしまったが、こうして娘とも交流できているところを見ると、今の関係は良好なのかもしれない。

 ロジェは前を進むザザドへ声を掛けた。


「アンリール元妃のご実家で、閣下のデレはさく裂していましたか?」

「ははは、アースター様は甘いなぁ。殿下のデレはそうそう発動しませんよ」

「……まぁそうですよね。それにあんな辛辣デレ、デレとは言いませんもん」


 ザザドだけではなく、ルトルクも掠れ声を揺らして笑う。彼らもルキウスのデレがデレとして成り立っていない事を理解しているのだろう。


(……あいつ、娘の前ではどんな顔するんだろうな。……優しい顔をするのかな? 元奥さんの前ではどうなんだろう……)



 ____ ルキウスが結婚する。


 ちょうど13年前。その話題が世間に広まった頃、ロジェは武官試験に向けて準備を進めていたところだった。

 王座に一番近いといわれる皇子の結婚に、国中が湧きに湧く。しかしロジェにとっては、耐え難い心痛に襲われる日々だった。


 あの時の心の痛みは、そうそう忘れられない。しかし一方で、ルキウスの幸せを祈る気持ちは強かった。誰より強いと、今でも自信を持って言える。


 そして、彼が離婚したと聞いた時は、もっと心が痛かったのを覚えている。

 世の中はルキウスの批判で溢れていたが、ロジェは彼が心配でならなかった。隣にいて話を聞いてやりたいと、願わずにはいられなかったのだ。


 あの日、深酒をするルキウスへ言った言葉は、正にロジェが抱いていた想いの全てだった。思わず言いたかった事を並べ立ててしまったが、少しでも心の隅に置いていてくれると嬉しいと切に思う。

 ルキウスの根本は、きっと昔と変わっていない。あえて冷酷な皮を被っているのは、いつも誰かを庇うためのものだとロジェは知っている。



「___……! _____だれか……っ! 火が!!」


 思考の奥に沈んでいた意識が、耳に届いた悲鳴でぐっと引き戻された。

 剣に手を掛けて周囲を警戒すれば、近くにあった露店から火の手が上がっているのが見える。空を見上げると、そこには無数の火球が浮かんでいた。


「魔法攻撃だ!」


 叫ぶと同時に火球が降り注ぎ、穏やかだった街中は混乱へと陥った。あちこちで火の手が上がり、灼熱の空気が周囲を支配し始める。


 街中に潜んでいた護衛たちが、ルキウスがいる馬車を囲む。やはり護衛は二人だけじゃなかったかと、ロジェはほっと胸を撫でおろした。

 しかし安堵するには早かった。襲撃者が続々と現れたのだ。


「……っ」


 灼熱の炎、熱い空気に焙られる悲鳴。

 かつての記憶が引きずり出され、ロジェは恐慌状態のままルキウスの姿を探した。

 心臓は壊れそうなほど波立ち、ぐらぐらと思考が揺れる。


 二人が乗った馬車は燃えていたが、ルキウスとノレイアはもう脱出していた。ルキウスはノレイアを守るように立ち、その周りを護衛が囲んでいる。しかし襲撃者はじりじりとルキウスらへと間を詰めていた。

 ロジェは迷うことなく駆け、剣を鞘から引き抜く。襲撃者を背後から斬りつけると、応戦していたザザドとルトルクから声が上がった。


「アースター様、下がっていて下さい!」

「いいえ、僕も加勢します!」


 戸惑っていた二人だったが、ロジェの動きを見てからは口を出すことはなかった。

 ロジェは鋭い剣撃で敵陣へと入り、隙を的確に突いていく。相手の剣筋を読むのはロジェの得意技で、剣撃の鋭さはかつてのルキウスとの鍛錬の賜物だ。


 身体が小さいロジェの動きは、魔族にとって予想外のものが多いようだ。初めて剣を交える相手ならば、翻弄することも容易い。

 ロジェの参戦によって調子を乱された襲撃者は、ぐずぐずと陣形を崩した。それをザザドもルトルクも逃さない。一気に攻め入って、次々と襲撃者を撃破していく。


 一気に戦況がこちらへと傾くが、しかし気になるのは、敵の後方で控えている魔術師だ。

 先ほどの火球で魔力を消費しているとは思うが、魔法攻撃で一気に戦況が変わることもあるのだ。どんな魔法が放たれるか察知して、対処していく必要がある。


 詠唱を始めた魔術師を見据えていると、ぶわりと不穏な予感が纏わりつく。

 視線を絞ると、こちらへ飛んでくるナイフが見えた。避けることも出来たが、後ろにはルキウスとノレイアがいる。

 ロジェは咄嗟に剣を前に構え、ナイフを辛くも剣身で受け止める。ナイフは弾かれたものの、運悪くロジェの手の甲を掠めてしまった。


「アースター様!」

「大丈夫です! 皮切っただけ!」


 ザザドに返事を返しながら、ロジェは後方にいるルキウスたちを確認する。

 ルキウスは恐ろしいほどの殺気を漂わせながら、ノレイアを抱き込んでいた。彼女の顔が真っ青なのは、もしかしてルキウスから漏れ出す殺気のせいではないだろうか。

 ちらりとルキウスの顔に視線を移すと、ロジェでさえ彼がこちらを睨みつけているように錯覚する。

 ぞっと寒気を感じながら、ロジェは敵陣へと向き直った。こちらの方が随分ましである。


 そしてロジェは臆することなく敵陣へと走り込む。ザザドとルトルクの活躍もあり、襲撃者はその数を減らしていった。

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