16年越しの巣作りを【BL】

墨尽

1.

 目の前の男は、畏怖いふを感じるほどに美しかった。


 緑色の瞳には大地のような光彩が浮かび、鼻筋から眉にかけての道筋は、神が自ら彫り上げたかのような神々しさに満ちている。

 輝く白銀の髪に流れる、筆で撫でたかのような一房の銀糸。それは彼の輪郭をかたどるように垂れて、あの日の面影を蘇らせた。

 つきりと痛む胸には気付かないふりをして、ロジェは姿勢を正す。


「恐れながら、閣下。用意されていた男はベータです。ヒト族のオメガは数を減らし、今や希少種となっております。奴隷として流通することはほぼありません」

「何が言いたい?」


 冷たく、突き放すような声。そんな声でさえ、この耳は切ない音と共に受け入れてしまう。

 かつて彼は、その喉を震わせて、何度も愛を囁いてくれた。


「つまり、あの男が孕むことはありません。その上、男は非合法で連れてこられたようです。性奴隷としての教育も受けておりません。……閣下の手を煩わせるだけでしょう」

「孕む孕まんは、お前らの要望だろう。俺には関係ない」

「ですが……」

「俺は夜の相手を用意しろと言っただけだ。誰でも良い。ヒトでなくとも、半魔でも構わん」


 酒の入ったグラスを置き、ルキウスがゆっくりと立ち上がった。

 魔王族のルキウスと半魔のロジェでは、頭二つ分ほどの体格差がある。そんな彼から威圧感を持って見下ろされれば、どんな者も委縮するだろう。

 しかしロジェは、その美麗な瞳を見返した。その奥に何かが残っていないかと期待したが、やはり何もない。

 彼の中にもう、自分は一欠けらも残っていないのだ。


「……アースター。今宵の相手はお前がしろ」

「……っ、閣下」

「命令だ。逆らえば、お前の出向元であるアカツキ家に罰を与える」


 顔を歪めれば、まるでこちらの反応を待ち侘びていたかのように、ルキウスが眉を跳ね上げた。

 拒否することは出来ない。ルキウスは魔王族の皇子であり、王座に一番近いと言われている男だ。彼の一言があれば、どんな理不尽な案件でも通ってしまう。


「閣下、僕は文官です。そちらの教育は受けておりません。……ご奉仕に満足頂けない可能性が……」

「そんなものは不要だ。お前は俺の下になっていれば良い」

「……っしかし……ッ!」


 胸倉を掴まれ、反論の言葉も打ち消された。いとも簡単に足が浮き、まるで木偶を扱うように寝台へと放り投げられる。


 情を滾らせた男の顔が、眼前に迫って来る。その情には、獣じみた熱さだけが感じられた。いつか見せた、柔らかい温かさなど微塵もない。


 ロジェは、この男のためなら何もかも差し出す覚悟でいた。しかしそれは上辺だけの覚悟でしかなかったと、震える身体が訴えてくる。


(……ああ……。誰でもなくお前に、愛なく抱かれるなんて……)


 肩を掴まれ寝台へ押し付けられると、項がじんと痺れた。その感覚が空しくて、ロジェは静かに目を閉じる。

 ルキウスの匂いと共に、かつての記憶がじわりと湧き出して来た。


 あれは16年前。

 まだ、自分が『シン・アースター』ではなく『ロジェ・ウォーレン』だった時代だ。

 


+++++


____ 16年前


 衝撃と共に、ロジェは地面へと転がった。肩を強かに打ち付けたせいか、必死に握りしめていた剣が手から離れる。


「無様だな、ウォーレン。大体、ヒト族なんかが合同訓練に参加するんじゃねぇよ」

「……っはは、おかしいな。どこの種族も参加できるって聞いたけど?」

「黙れ! 下級種族め!」


 ロジェを見下ろす男は、獣毛を逆立てて咆哮を上げる。


 威圧を含んだその咆哮は、獣人族ならではの戦闘方法だ。咆哮で委縮させ、獲物を狩る。獣人のとってはヒト族など兎と同等なのだろう。

 ロジェは上体を起こし、へらへらと笑って見せた。


「うるせぇな。躾のなってない犬は、嫌われるぞ」

「…っ!! 貴様、ヒトの分際で……!」


 激昂した獣人が、牙を剥き出しにしたまま襲い掛かって来る。ロジェは寸でのところで身を躱し、手から離れた剣を取りに走った。

 しかしそんなロジェをあざ笑うかのように、剣は見物していた別の獣人によって遠くへ蹴り飛ばされてしまう。


 身体を武器として使う獣人に、ヒト族は生身では対抗できない。ち、と舌打ちを零して、ロジェは太腿のホルダーからナイフを抜き去った。その時だった。


「そこまでだ!」


 背後から響いた凛とした声に、獣人の動きがぴたりと止まる。まるで主人に命令されたかのように固まる獣人たちを見て、ロジェは驚きのまま声の方向を振り返った。


 宝玉のような緑色の瞳、美しく均衡のとれた顔の造形。銀の髪は真っ直ぐに垂れ、背中辺りで揺れている。

 彼は華麗に剣を抜き去り、その切っ先を獣人の背中へと突き付けた。その気配を感じた獣人が、低く唸る。


「……ルキウス・ウィンコット。何のつもりだ?」

「何のつもりだ、だと? お前たちがやっているのは、明らかな規律違反だ」

「は、これのどこか規律違反だよ? ただの手合わせだ。それもこのヒト族から、俺に手合わせを申し込んできたんだぞ!」

「その件は、俺の方でも把握している」


 ルキウスがちらりと、ロジェへ視線を寄越す。ロジェが肩を竦めてみせると、彼は眉山をついと引き上げた。

 表情が乏しいルキウスが、他人に見せる唯一の仕草だ。


「ロジェ・ウォーレン。君が手合わせを申し込んだのは、ロベルト一人だけだったな?」

「まぁ、そうだな」

「他にも相手にしたか?」

「ああ。……そこにいる外野の奴ら全員と勝負したよ。『ロベルトと手合わせしたかったら、まず俺らを倒せ』って煩くってな」

「……なるほど」


 ルキウスがゆっくりと周りを見渡しながら、その場に居た獣人らに指を突きつける。「一人、二人」と数を口にしながら、最後はロベルトにルキウスの指が辿り着いた。


「手合わせと称した、複数人による私闘。教官がこの場を見たら、そう思うだろうな」


 獣人らがぐっと押し黙る。


 ロジェはその場に胡坐をかいて、この場の成り行きをのんびりと見守った。この流れだと、口を挟むよりは黙っていた方がいいだろう。

 銀の髪を揺らしながら、ルキウスは淡々と、しかし静かな怒りを籠めながら、獣人たちに苦言を呈している。

 真面目で優しい友の姿を見つめながら、ロジェは目尻を下げた。

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