2.
数ヶ月前から始まったこの多種族合同訓練は、魔族を中心とし、獣人族、魔獣族、妖精族などが参加する大規模なものだ。
普段は睨み合っている種族も、この訓練には積極的に参加する。各国は選りすぐりの若人を送り込み、切磋琢磨させながら他種族の特性を量るのだ。戦になった時に必要な情報を得られる機会でもある。
そこにヒト族が参加するのは異例の事だった。ヒト族は他の種族とは違い、力も弱く魔力もない。合同訓練に参加すれば、もみくちゃにされて悪くすれば命も無いだろう。
しかしロジェはそれを承知でこの訓練へ参加した。ひとえに、強くなりたかったからだ。
「_____ ウォーレン……? おい、大丈夫か? この馬鹿!」
「……あ……」
労わりとも罵倒ともつかない言葉を浴びせられ、ロジェは朧げになっていた意識を引き戻した。
目の前には文句の付け所が無いほどの
ロジェはぼさぼさになった栗毛を掻き回して、苦笑いを零す。
「……あー……一瞬トんでたわ……って、あれ? 獣人たち、もうどっか行ったのか?」
「次はないと念を押して、帰らせた。……ウォーレン、あちこち傷だらけだ。まったく、君は……ほら、こっち向け」
「……ッ痛ぅ、いて、いてて……。こら、袖で拭うな。お前の服が汚れんだろ?」
ロジェの顔面についた汚れや血を、ルキウスは躊躇なく袖で拭う。
生真面目で潔癖そうな性格なのに、彼は意外にも手拭いを持ち歩いていない。皇子という華麗な身分と美しい外見を持ちつつ、性格は存外粗雑なのだ。この意外性が、この男の面白いところである。
冷静な外面に反して、意外と熱い思考を持っているところ。冷たい仮面を突っつくと、ほろりと違う面が顔を出す。
ロジェはルキウスの面白いところを掘り当てては、この男へ好感を深めつつあった。本当に良い奴なのだ。
「獣人三人を相手にするなど、無謀が過ぎる」
「だってさ、こんな良い機会ないじゃん。獣人の動きはすげぇ勉強になるんだから」
「やはり馬鹿だな君は。いつか死ぬぞ」
「まぁそうだなぁ。お前の助けが無かったら、最悪死んでたかも」
ロジェは胡坐の上に肘を立て、親指の腹で鼻を拭う。べったりと鼻血が付着した親指を見つめていると、ルキウスがその手を掴んだ。
「ヒト族は、体のつくりが戦闘に向いていない。だからこそ、魔族はヒト族を保護下に置いている。本来なら……」
「強くなる必要なんてない、だろ? そんなの知ってるって。だけどさ、俺は護られるだけは嫌なんだ。いつか魔族の軍に入って、ヒト族として貢献したい」
「ヒト族は戦闘の他で貢献しているじゃないか。その知識と努力がなければ、我々魔族はここまで繁栄しなかった」
「……う~ん……。ウィンコットはそう言うけどさ、未だにヒト族への差別は根深いよ。ヒトの奴隷は大人気だし、魔族にとってヒトは『か弱い生き物』のままだ。それを覆したいんだよ、俺は」
口端を吊り上げて言うと、目の前の友人は辛そうに眉根を寄せた。額にまで皺が寄ってしまい、こちらが申し訳なくなる。
ヒトへの差別は昔に比べると随分よくなった。無作為に殺されたり、生活を蹂躙されることはなく、庇護下という立場に落ち着いている。
しかし庇護されるのには等価が必要であり、ヒト族が差し出せるものといえば、貪欲に知識を求める性質とそれを受け入れる柔軟さ、そして身体だけだ。
魔族に比べて柔らかく、小さな身体。魔族にとってヒトは、愛でるのに丁度いいサイズ感なのかもしれない。
お陰でヒト族の女性は魔族に大人気だが、お互いに婚姻関係を結ぶことは稀だ。愛人として側に置いたり、愛玩動物として飼われたりすることが殆どである。
華奢で可愛らしい男性も人気で、中でも男性オメガはその希少性からも需要が高い。
「それこそヒト族の男なんて、見た目可愛い系かオメガじゃなければ、なんの利用価値もないって思われてるからなぁ……」
「……しかし、ヒト族の第二の性は、無くなりかけているんだろう。人類の殆どがベータと聞くが……ウォーレンはオメガではないのか?」
「っはは、んなわけないだろって! こんな可愛くねぇオメガがいてたまるかよ!」
ロジェは肩を竦めて見せて、自身の身体を見下ろした。
身長は高い方ではないが、筋肉はそこそこついている。髪色も地味な栗色で、顔付きも可憐にはほど遠い。
童顔のせいで女性にはまったく見向きもされず、友人には『お子ちゃま』と揶揄われるような見た目なのだ。
「男性オメガっていったら、国王陛下の側室にいるけど……ウィンコット見たことある? すげぇ美人なの」
「……ケイ妃だろう? 知ってる。確かに美しいが……」
「だろぉ? 普通の男と次元が違うって感じだよな。まさに愛されるべくして生まれたって感じだよ」
また眉山を吊り上げるルキウスを見て、ロジェは肩を竦めたままくすりと笑う。
大昔は当たり前にあった第二の性は、もう消えつつある。バース性の検査も5歳の時に一度だけ行われるだけだ。
その検査でオメガやアルファが見つかろうものなら、国を巻き込んでの大騒ぎになるのだが、ロジェの周りでは聞いたことがない。それほど希少なのだ。
「ヒト族の男なんて、見目が良くなければ魔族にとっては何の価値もない。……それがむかつくから、俺は剣でのし上がるんだ。……それにさ」
「……?」
掴まれていた手を握り返して、ルキウスの綺麗な目を覗き込む。
豊かな緑の草原に、力強い大地。希望溢れる情景が、ルキウスの瞳の中には詰まっている。ロジェはこの瞳が大好きだった。
「軍に入ったら、お前の力になれるかも知れないだろ? ルキウス・ウィンコット殿下」
「……っ殿下なんて、言うな」
ロジェの手を振り払い、ルキウスは逃げるように顔を背ける。銀の髪からわずかに見える耳は真っ赤で、ロジェはにやりと、まるでいたずらっ子のように笑う。
「え~、殿下って呼ばれると照れるのか? ねぇ殿下、でんか~?」
「……うるさい口だ……!」
流れるように寄せられた緑の瞳に、ゆらりと何かが映る。それが自分であると気付いた時には、唇が触れ合っていた。
瞬間、ふわりと甘い香りがロジェを覆う。思わずうっとりとしてしまうほどの香りに、意識は丸ごと奪われた。
ルキウスはロジェに唇を押し付け、そして離し、またくっつける。
まるで唇の感触を味わっているかのように、ルキウスは角度を変えて何度もロジェに唇を合わせた。
ぼんやりとしているロジェを叩き起こすかのように、今度は心臓が揺れて暴れ回り始める。しかしあまりに暴れるので、こんどは思考が上手く纏まらない。
一体、何が起きているのか。
「……っ、ウィ……」
「しー、うるさい」
後頭部にルキウスの大きな手が回る。親指でするりと耳朶をくすぐられ、びくりと肩が跳ねた。その隙を狙ったのか、口内に舌が潜り込んでくる。
ルキウスの舌は分厚く、ロジェの口の中は彼でいっぱいになった。舌で押し返そうとすると、咎めるように絡めとられ弄られる。
ロジェは無意識に、ルキウスの大きな背中に手を回していた。崩れ落ちそうな身体を留めるために、ルキウスの肩甲骨の下を必死に掴む。
相変わらず心臓は煩くて、酸素が足りないのか意識はぼんやりとぼやけ始めた。
唇の隙間から酸素を乞うと、掠れた吐息が漏れる。
「……ふ、んんッぁ……」
「……っ」
口づけは激しさを増し、まるでロジェを喰い尽さんとばかりだった。唾液が交じり合う水音を聞きながら、ロジェはぼんやりと考える。
(……これ、おれ……何を、されてるんだろう? ……キス? じゃないよな、ちがうよな?)
幼いころから剣術一筋だったロジェだが、18ともなればその辺りの知識だって当然ある。
唇を合わせるキスは、好き合った者同士がするもの。それがヒト族の認識だ。
しかし相手はルキウスで、彼は魔族だ。キスの認識が違うのかもしれない。
ぽやぽやと熱の籠った頭で考えても、正解が導き出せない。身体中が茹るように熱くて、炎天下の角砂糖のように蕩けてしまいそうだった。
最早ルキウスに掴まってもいられない。だらりと腕を投げ出すと、ぎゅっと強めに抱きしめられた。
ようやく解放された口で酸素を手繰り寄せていると、耳元でルキウスの低い声が響く。
「……ウォーレン。これから君の手合わせは、俺がする。剣の練習にも付き合う。……だから君は、誰とも手合わせするな」
「……んん……? だって、おまえ……いつも……」
ルキウスは訓練に参加しているものの、監督生としての役割も果たしていた。そんな彼の実力は他の訓練生とは別格である。
ロジェはそんなルキウスと手合わせしたくて、これまで何度も彼に手合わせを申し込んだ。しかしルキウスは、一度も首を縦に振らなかったのだ。
「君みたいな馬鹿は、俺の管理下に置くしかない」
「……なん、それ。ひっでぇ……」
口元に笑みを浮かべると、急激に瞼が重くなった。蕩けていた身体がぐずぐずと崩れ、もう指一本も動かせない。
耳元でルキウスの声が聞こえる。それが遠ざかって行き、やがてぷつりと途切れた。
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