39.
16年前の悲劇によって、多くの若者が命を落とした。ほとんどの遺体は損傷が激しく、家族の元に帰ってきた遺体は極小数だと聞く。
例に漏れず、ロジェも事件当初は遺体が発見されず、『行方不明』とされていた。
生存を信じて何年も捜索した遺族も多いが、ロジェの実家は息子の死を直ぐに受け入れたと人伝に聞いている。
早々に死亡届を提出し、彼らは多額の弔慰金を手に入れた。いるかいないか分からなかった妾腹の子が、初めて役に立ったぐらいにしか思っていないだろう。
実家の者らはロジェを死んだと思っている。そしてロジェも実質いなくなり、シン・アースターとなった。
そんな状態でなぜ、ロジェが生きているという噂が流れているのか。
「死んだことにして、別人として生きているかもしれないな」
ルキウスの言葉に、ロジェの思考が止まった。背中を流れていく汗の感触が、更に緊張感を煽る。
「と、なると……そうせざるを得なかった理由があるはずだ。……重傷を負って、どこかに匿われたか、もしくは事件の衝撃で記憶を失ったという可能性もある」
「しかしもう16年前ですよ? 長い年月です」
「確かに16年は長い。……だが俺のように、未だに呪いを背負っている者はいる」
今にも「やめてくれ」と叫び出しそうになって、ロジェは唇を噛み締めた。
このまま調べが続いて、自分がロジェ・ウォーレンだと露見するのは、確かに怖い。しかしそれ以上に、ルキウスの口から『ロジェ・ウォーレン』について語られるのが辛かった。
彼が口にする『ロジェ』という言葉には、何の情も含まれていない。
シン・アースターに情がないことは分かっている。しかしロジェという名前は、ルキウスにとって特別であってほしかった。
「そいつが死んでいるか生きているか分からないが、調べる価値はある」
「……っ」
「……? シン、どうした」
「い、いえ……」
ロジェは動揺する自分が情けなかった。
ルキウスに記憶はない。ロジェとの記憶も、情も、全て消えたと分かっていた。
しかし16年かけて自分を納得させてきたことも、実際に触れてみると、身を引き裂かれるように辛かった。
剣の大会で彼と再会した時も、そして今になっても、ルキウスの中にロジェがいないことに打ちひしがれてしまう。
ルキウスが席を立ち、こちらに向かってくる足音が聞こえる。しかしロジェは俯いたまま顔を上げることが出来なかった。
「シン、顔色が悪いぞ。……まったく、無理するな」
「……」
「ほら、来い」
執務机に置かれたままのロジェの手を、ルキウスは優しく握った。ゆっくりと引き寄せられ、大きな胸に抱き込まれる。そのまま横抱きにされても、抵抗する気は起きなかった。
ルキウスの胸に耳をぴったりと当てると、彼の低く優しい声が潜り込んでくる。
「……ザザド。少し仮眠する」
「分かりました」
執務室に隣接された寝室は、多忙なルキウスのために作られた部屋だ。仮眠室として使われる部屋ではあるが、居室としての機能を全て兼ね備えている。
浴室や衣装部屋なども完備しており、高級宿の一室のような雰囲気だ。
ルキウスはロジェを抱いたまま寝室へと入り、寝台の掛布をまくり上げた。そしてロジェの身体をそっと降ろす。
緑の瞳にじっと見つめられ、ロジェは痛みを持ってそれを受け入れた。
(……思えば最近、抱かれてなかったな……。今抱かれんのは、ちょっと辛いかな……)
ロジェが倒れたあの日から、ルキウスから求められることはなくなった。
彼がロジェの体調を配慮してくれているのは分かっていたが、求められれば断れない立場ということは変わらない。
今にも泣き叫びそうなほど動揺していても、それはロジェの都合に過ぎない。
ロジェの心の内など、ルキウスには見えやしないのだ。
ルキウスが寝台へと身体を乗り上げ、ロジェの隣へ横たわる。彼の長い指で前髪を優しくかき上げられ、その手の感触にすら胸の痛みを感じてしまう。
「……俺を……抱きますか?」
ルキウスへと問うと、彼は枕元に肘をついて、手に頭を乗せた。斜め上から見下ろされるルキウスの瞳は、驚くほど穏やかだ。
片眉をついと上げ、彼は笑みを作る。
「抱かない」
「……どうしてですか? 俺……」
「もうお前を、無理やり組み敷いたりしない。……お前は俺に求められたら拒否しないだろうから、これからは全部俺が決める」
「……?」
ルキウスの大きな手が、ロジェの頭を何度も撫でる。長い指を前髪に絡ませ、親指はロジェの額の形を辿るように滑っていく。
その優しい手つきと温かい瞳は、ロジェの言葉を奪うに十分だった。声を出せばきっと、嗚咽になってしまう。
「お前の顔色、仕草、全部余すことなく見て、俺が抱く抱かないを決めると言ってるんだ。お前は俺の事になると、馬鹿みたいに従順になるからな。シン・アースタの事は、今後俺が全て管理する。食事や睡眠、仕事量……全てが適正であるかどうか、俺が判断してやる」
「……っどうし、て……」
「……シン。ロジェ・ウォーレンの事が気になるか?」
ロジェが顔を歪めると、慰めるようにルキウスの顔が近付いてきた。ロジェの眉尻に唇をひとつ落とし、次いで額にも唇を押し付ける。
「……俺が、ロジェ・ウォーレンにどんな想いを抱いていたか、今ではまったく分からない。もしも生きていて再会できたのなら、その想いを思い出すかもしれない。……だけどな、シン……」
「……はい……」
「だからといって、お前への想いが消えるわけじゃない」
何を言われているのか分からなくて、ロジェは一瞬息を詰めた。
自分への想いとは何なのか。どくどく高鳴り始めた胸に、無性に泣きたくなる。無意識に期待してしまっている自分を叱りつけたくてたまらない。
ルキウスの言葉に望みを待ってしまう自分が、本当に情けなかった。
側にいて支えるだけで十分と思っていたのに、心の奥底ではもっと先を求めていたなんて気付きたくなかった。
ルキウスの髪が、ロジェの頬をくすぐる。銀の房がこれでもかと彼がどんな存在であるかを突きつける。
「……シン・アースター。俺はお前の事が可愛い。……そして憎い」
「……にく、い?」
「ああ、憎い。俺の可愛いシンを、お前はないがしろにする。とても憎い。お前が傷つくのは見たくない。辛い想いなどど微塵もさせたくない。しかしお前は、自分の事をまったく顧みないだろう? だから俺は、お前の事を管理する」
ルキウスの顔が少しだけ離れる。ロジェの両頬をルキウスの大きな手が挟み込み、真上から真っ直ぐ彼の視線が落ちて来た。
「……この感情が何かを、俺は知らない。もしこれが所謂愛だとするなら……もしも『好き』だの『愛している』などという言葉で、お前への想いを伝えることができるなら、何度だって言う。……好きだ、シン。お前を愛してる」
「……っ」
「愛してる。俺から離れるな」
もう止めることなど出来なかった。
ぼろぼろと涙が溢れ出し、ルキウスの手を濡らしていく。
ルキウスを見上げれば、彼は親指の腹でロジェの涙を拭いながら、眉を下げていた。
大好きな緑の瞳が細められ、口元が緩やかな弧を描く。それは過去にも見たことの無いほど、優しい笑みだった。
「……俺からの想い、伝わったか?」
「……っ、っは、い……」
「……昨晩のキス、忘れてるだろ? 今度は覚えておけよ」
ルキウスの顔が近付いてきて、ロジェは目を閉じた。
触れた唇は記憶していたよりも大きくて、過ぎ去った月日の長さを突きつける。
ルキウスは逞しく成長し、ロジェは少しだけ小さくなった。
しかし触れ合うだけの優しい口づけは、ロジェに多幸感だけを残す。
まるで初めてをもう一度貰ったような、そんな感覚をロジェは噛み締めた。
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