46.
ルキウスは脱ぎっぱなしにしていた外套から、薬瓶を取り出した。あの時シンが、握りしめていたものだ。
後ろ髪を引かれながら寝室を出て、廊下の向こうに声を投げる。
「ザザド。いるか?」
「____ はい、ここに」
直ぐ傍の部屋からザザドが姿を現し、ルキウスを見ると安堵したように微笑んだ。
「人払いはつつがなく」
「流石だな。……もう一つ、お前に頼みたい」
ルキウスが薬瓶を差し出すと、ザザドはそれを受け取るなり、蓋を開けた。匂いを確認し、手に垂らして味をみる。
「……薬瓶の見た目は回復薬そのものですが、中身は違いますね。……成分は分かりますが、何の病に効果のあるものかは調べてみないと分かりません。……これをアースター様が?」
「ああ、握りしめていた。口にも運べない状態だったが」
「どんな様子でした? 症状が分かれば、薬が何かも分かるかもしれません」
「体温の上昇や、意識の混濁……知識でしか知らんが、ヒト族のオメガが起こす発情期に特徴に似ていた。……というか、そのものか」
かつてルキウスの下に、夜伽役として発情したオメガが送り込まれた時もあった。その時の様子が、あの時のシンと酷似していたのだ。
「オメガの発情期を目の前で見たことは何度かあるが、俺自身が反応したのは初めてだ。スコル族特有の獣じみた発情を、初めて味わった。あれが恐らく……運命の番というやつなのだろう」
「……」
「ザザド?」
「……いや、申し訳ない。喜ばしすぎて、言葉が出ません」
口元を押さえ、ザザドは感極まった顔で、シンがいる寝室を見遣った。拍手でも飛び出しそうな雰囲気に、ルキウスは呆れ顔を浮かべる。
「喜ぶのは早い。なぜ半魔のシンが、ヒートを起こす? あいつには謎が多すぎる」
「ああ、ええ、そうですね。しかしその話を聞くと、この薬は抑制剤の可能性が高いですね。……この薬の製造元を調べましょうか」
「ああ。ルトルクに警護を任せて、今日中に動けるだけ動け。……俺も溜まった仕事を片付ける」
シンを屋敷に連れ帰ったルキウスは、3日間部屋に籠ってシンを堪能した。その間の執務は最低限ザザドが処理してくれたが、ルキウス自身が処理しなければならない仕事も多い。
更に後ろ髪を引かれる思いだったが、ルキウスは実に三日ぶりに仕事場へと足を向けた。
*****
瞼を開けても、自分の置かれている状況がロジェには分からなかった。
陽だまりの下にでも居るような、ぽやぽやとした感覚が抜けない。ぼんやりと天蓋の裏を見つめ、やっと一つ思い出した。
(……ここ……もしかしてルキウスの寝室かな……)
いつか見た王家の紋章が、今度もロジェを見下ろしている。どうしてここにいるのか、記憶を辿ろうにも思考が動かなかった。身体も同様に重くて、特に腰回りは寝台に沈んでいきそうなほどだ。
頭を動かすと、サイドテーブルには水差しとコップが置かれていた。コップの前にある紙には、ルキウス特有の斜めに傾いた文字が並んでいる。
『___ 少し仕事をしてくる。身の回りの事は使用人に頼め。無理はするな。ルキウス』
文字を辿りつつ、水差しの中に目を奪われる。果実水だろう。スライスした果実が陽の光を浴びて、きらきらと光っていた。
ごくりと喉を鳴らすが、ひどく動きが悪い。そこでロジェは、喉が渇いていたのだと自覚した。
「……み、ず……」
軋む肘をどうにか立てて、ロジェは上体を起こした。掛かっていた毛布がはらりと落ち、ロジェは初めて自分の身体に目を落とした。
そこに広がるのは、無数の赤い痕だ。鎖骨や胸、臍の横など、花びらのような情欲の痕が残っている。
「……これ……は……」
次第に思考が澄んでいき、ロジェはさっと表情を曇らせた。ぞっと背筋を震わせながら、慌てて項へと手を伸ばす。
そこには包帯が巻いてあったが、触れるとぴりっとした痛みが走る。ロジェは思わず手を放し、反対の手で自身の手を包み込んだ。指先がどんどん冷たくなってくる。
「うそ、だ……ヒート……? なんで、今さら……!」
16年間一度もやってきていなかった発情期だったが、ロジェはそれなりに警戒してきた。抑制剤は定期的に摂取し、ルキウスに会う時は余分に服用していたのだ。
ここにきて数か月が経つ。どうして今更、ヒートになんか陥ったのか。
ぴりぴりと痛みを発する項に、泣きたくなってくる。
(……項が噛まれてる……。俺のフェロモンに当てられて……ルキウスは本能に抗えなかったんだ。……俺、なんてことを……)
酩酊状態になりながら、『噛んで』と何度も強請ったのを、ロジェは少しずつ思い出した。
自分の立場も考えず、置かれている状況も忘れ、ロジェはオメガの本能に流されてしまったのだ。
この状況は、ロジェが想定していた最悪のパターンだ。自分が不甲斐なさが憎くて、拳を握り締めたロジェは頭をごつごつと殴る。
すると、その音と共に、何やら喧騒のようなものが耳へと届いた。
「____ お止めください! ここから先は誰もお入れするなと旦那様からきつく……」
「煩いわね! その旦那様の一大事だって言ってるの! この寝室に、裏切者がいるのよ!」
複数人の足音と、怒鳴り合う声。ロジェは慌てて服を身に着け、果物ナイフを長靴の中へ隠した。
扉が蹴破られ、多くの騎士が部屋へとなだれ込んでくる。寝台の側に立っているロジェを騎士らは取り囲み、全員が抜刀し始めた。
扉からゆっくりと姿を現したのは、予想通りスヴェラである。その後ろにはダンもいたが、彼はルキウスの寝室を夢中になって見回していた。
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