29.
ルキウスの指が、ロジェの額に触れる。今日は前髪を上げているせいか、いつもは冷たいルキウスの指が心なしか温かい。
「たまにはこうした髪型も良いな。少なくとも10代には見えん」
「僕はもうすぐ30になるんですが……」
「未だに信じられん」
「……」
ロジェの年齢は、本当はもう34歳だ。しかし文官として身分を登録するとき、5歳ほど鯖を読んでいる。もちろん邪な考えではなく、諸々の諸事情あっての事だ。
見た目が若く見えるとは分かっていたが、未だに10代だと疑われることだけはいただけない。ルキウスにも何度も揶揄われ、いい加減諦めていたところではあるが。
口を尖らせると、その唇をルキウスが指で弾く。思いがけない彼の行動に、心臓が跳ね上がった。
ルキウスはたまにこうして、昔と同じような仕草をする。その度に胸が焦がれて、その場にひっくり返りそうになるのだ。
耳が熱くなるのを感じて、ロジェはポケットへと手を伸ばした。薬瓶の感触を確かめながら、自身を落ち着かせるために深呼吸する。
(……大丈夫。出掛ける直前に抑制剤は飲んでるし、緊急用もある。万全の体制だ。いざとなったら、ルキウスと離れればいい)
ロジェが例えヒートになったとして、フェロモンは恐らくルキウスにしか作用しない可能性が高い。
番の契約が生きているか分からないが、ロジェにはルキウス以外のアルファの匂いが分からないからだ。
ルキウスについて会場へ入ると、大勢の声と楽器の音に包まれる。
飾り立てた麗しい貴婦人や、逞しい体躯をテールコートにねじ込んだような雄々しい魔族。圧巻の光景が、一気にロジェの目に飛び込んできた。
中にはちらほら身体の小さな者もいて、ロジェはどこかほっとする。恐らく彼らは半魔やヒトで、魔族の庇護下に置かれているものだろう。
ルキウスが振り返り、いつもと同じく淡々と零す。
「少しは安心したか?」
「ええ、まぁ」
「でも、あの者らはお前と違う」
「え?」
一瞬だけ、ルキウスの瞳が優し気に細められた。彼の手がロジェの腰へと伸び、ぐっと引き寄せられる。
「お前は、俺の所有物ではない。お前は、お前の力でこの国の中枢を支える文官となった。お前には彼らと違って、自分の力でここに立っている。……違いが分かるか?」
「……か、閣下」
「ルキウスだ。何だ?」
「デレが過ぎません?」
「……」
ルキウスから剣呑な視線が降ってくるが、ロジェは笑ってそれを受け止めた。殆ど泣き笑いに近いものだ。情けない顔だっただろう。
ルキウスが自分を認めてくれた。それはこの上ない喜びだった。
このまま走り出して、会場を跳び回りたいくらいだ。ぐっと堪えはするが、この時の事をロジェは一生忘れないだろう。
眦に溜まった涙を指で拭って、ロジェは今度こそ朗らかに笑う。
「……ったく、いきなりデレるんだから。俺の心、打ち壊すおつもりで?」
「……」
ルキウスの表情が緩み、驚きを含んだものに変わる。じっとこちらを見つめる視線に、ロジェははっとする。
「おっと、一人称が変わっておりました。羊の皮は被っておかないと」
「……そんなもの、不要だと言っている」
「何を言っていますか。僕の皮を剥いだら猫どころか、狼ですからね」
「生意気な華奢猫め」
腰を強めに引き寄せられ、ロジェは声を立てて笑った。頭がルキウスの二の腕に当たり、彼の身体の弾力に胸がざわざわ騒ぐ。
しっかり気を引き締めないといけないのに、ルキウスの隣にいるせいか心は浮ついてしまう。
しかしそんなロジェを戒めるように、暗く重苦しい声が耳に入ってきた。
「誰、あの子」
「……半魔? 男だわ」
ひそひそと囁かれる言葉には、明らかな棘が含まれていた。
現実に引き戻されたロジェは、警戒する猫のようにぴんと背筋を伸ばした。同時に聞こえてきたのは、ルキウスの慣れ親しんだ声だ。
「フェルグス公爵閣下」
「いやだなぁ、兄様でいいよ。ルキウス」
目線を上げると、そこには温厚そうな男性が立っていた。白髪交じりの髪を後ろに流し、端正な顔には皺ひとつない。
しかし杖をついている事もあって、年齢はルキウスよりも随分上に見えた。彼こそがこの晩餐会の主催者である、ガイナス・フェルグス公爵だ。
ロジェは腰を折り、胸に手を当てた。
「フェルグス公爵閣下」
「おや、この可愛い子は?」
「俺の秘書官をしている、アースターです」
「おやおや、そうなのか。ルキウスが誰かを連れて来るなんて、いつぶりだろう。どうか顔を上げておくれ」
礼を述べて顔を上げると、ガイナスは既に眉を下げて微笑んでいた。
普段から笑顔が多い方なのだろう。笑うと目尻に皺が寄り、それがまた親しみやすさを感じさせる。
ルキウスの雰囲気も穏やかで、やはりガイナスとは気が置けない仲なのだろう。
「ルキウス兄さま!」
ガイナスの後方から、女性が駆け寄ってきた。彼女はルキウスの隣に来ると、その腕に巻き付く。
反対側にいたロジェは、咄嗟にルキウスから距離を置いた。
「お久しぶりです、兄さま!」
「……スヴェラ……。晩餐会だぞ、もっと落ち着きなさい」
「だって兄さまと会うの、久しぶりなんですもの」
濡れ羽色の髪を揺らし、スヴェラは拗ねたように口を尖らせた。
瞳の色は紅で、髪とのコントラストが絶妙な美を醸し出している。女性にしてはきりっとした顔立ちだが、誰もが目を奪われるような強さを持った美しさだ。
(……この人が……スヴェラか……)
いつか貰ったマフラーは、本当はスヴェラのために作られたものだと聞いた。ルキウスにとって彼女は特別な存在なのだろう。
スヴェラには取り巻きがいたようで、いつの間にかルキウスの周りは女性で溢れている。
むっと香水の香りが周りを包み、テリトリーが侵略されていくように感じてしまう。
スヴェラはルキウスの腕をぎゅっと抱き寄せ、その豊満な胸を惜しげもなく押し付ける。
「兄さま、お誕生日プレゼントありがとうございました! 百合のブローチ、毎日つけているわ」
「ああ、似合っている」
いつもの拍子でルキウスが淡々と零すが、スヴェラはそれでも嬉しそうに微笑んだ。
彼女の年齢は19歳だが、ルキウスの前では少女のように無邪気に見える。
スヴェラの胸元を見ると、なるほど可愛らしいブローチがついていた。白や黄色の百合がブーケのようになっているブローチで、赤いドレスにとても映えている。
「今年は動物モチーフじゃなかったのね?」
「ああ。……お前はもう、動物が好きな年じゃないと思ってな」
「最近は鳥が好きよ! だけど兄さまに頂けるものなら何でも嬉しいわ!」
スヴェラの様子や口調からは、ルキウスへの並々ならぬ執着が見て取れる。ロジェの姿は目に入っているはずなのに、ルキウスとの親しさをこれでもかと見せつけてくるのだ。
たっぷりのいちゃいちゃアピールの後、スヴェラはやっとロジェへと視線を向けた。
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