30.
「あら、兄さま。こちらの御仁は?」
「俺の秘書官で、アースターという。文官だ」
「へぇ、半魔ですよね? 文官だなんて、随分努力家なんですね」
こちらに向けられた視線に、半魔に対する侮蔑の色はなかった。しかし特大盛りの敵意が感じられる。ロジェの服装から、ルキウスの同伴者だと悟ったのだろう。
スヴェラの事は以前から知っていた。16年前のルキウスが、彼女の話をしていた事があったからだ。
当時2歳のスヴェラからプロポーズを受けたと聞いた時は、微笑ましい話だとロジェは笑って聞いた覚えがある。
しかしそれから時が経ち、ルキウスがアンリールと婚約した時だ。ロジェはスヴェラの執着が『微笑ましい』という甘いものじゃない事を思い知ることになった。
スヴェラは激昂し、王城に単独乗り込んで婚約破棄を訴えた。そして望みが叶わないと知ると自殺未遂まで起こしたそうなのだ。
まさに激情を腹に抱えた彼女だが、何をさせても優秀で、人を魅了する素質も兼ね備えている。ルキウスとスヴェラが結婚すべきだという意見は未だに多い。
「……意外だわ。兄さま、男性は嗜む程度だと思っていたけど」
「性別で選んだことは一度もない」
「へぇ」
スヴェラだけではなく、周りの女性たちからも棘入りの視線がばんばん飛んでくる。
こうした視線で見つめられるのは慣れていないが、ロジェが怯むことはなかった。
ロジェは微笑むと、恭しく頭を垂れる。
「シン・アースターです。第一軍司令部で文官を務めております」
「……でもあなた、帯剣してるじゃない」
魔族の流儀なのか、晩餐会と言う華やかな場所でも帯剣が許されている。許されているどころか、剣を佩いていないと礼を欠いていると見なされる事もあるという。
ロジェは剣に下げられている飾り玉を指に絡め、穏やかな口調で言う。
「ええ。帯剣許可証ならあります。閣下もご存じです」
「ああ、こいつは強いぞ」
ルキウスから優しく微笑みかけられ、ロジェはにかりと得意げに笑みを返す。しかしそれが呼び水となって、周囲がざわざわと静かに騒ぎ始めた。
「ルキウス殿下が笑ったぞ」
「……嘘でしょ?」
「あいつ、一体誰だ?」
どうやらルキウスの笑顔は貴重だったらしく、ロジェは笑みを作っていた口の端をぎゅっと結んだ。
確かに少し前まで、ルキウスの笑顔は貴重だった。最近は頻繁に笑顔を見せてくれるようになったが、それでも大半が唇の片方を少し上げただけの簡易なものだ。
今日のような笑顔は本当に珍しい。恐らくルキウスも、ロジェを特別だと知らしめたいのだろう。
(……俺も、頑張らないと……)
ロジェはルキウスに一歩近づき、顔に向けて手を伸ばした。
「ルキウス様。御髪が……」
「……ああ」
ルキウスが腰を折り、ロジェの指を迎え入れる。
編み込まれていた髪の小さな乱れを、ロジェはそっと解いた。こうしてわざわざ解くほどの乱れでは無かったが、その効果は抜群であったらしい。
スヴェラが目を見開き、未だにルキウスへと巻き付いていた手が震えるのが見えた。
殺意さえも籠っていそうな視線をひしひしと感じていると、スヴェラが唇を震わせながら毒を吐く。
「ルキウス、様ですって? 敬称も知らないの?」
どん、と胸に小さな衝撃を感じる。スヴェラから小突かれて、ロジェはルキウスから一歩離れた。
スヴェラが手を伸ばすのは気付いていたが、躱すのは不敬だと思ったのだ。痛みは感じないが、周りにいるスヴェラの護衛騎士らから殺気が湧き立つのが分かる。
主から命令を下されれば、彼らは躊躇わずロジェへと剣を向けるだろう。しかしその殺気を一掃するほどの、激しい怒気が吹き荒れた。
「何をする!」
ルキウスがロジェの腰を荒々しく引き寄せ、そのまま抱き込む。会場全体が震えあがるような殺気を纏わせ、ルキウスはスヴェラの後ろにいる騎士らを睨みつけた。
「こいつに触れていいのは、俺だけだ!」
ルキウスは腕に巻き付いてるスヴェラを見ないまま、低く唸るように言葉を放った。
腕を振り払ったり、スヴェラに直接怒りを向けないのは、側にいるガイナスを思っての事だろう。
しかしルキウスの怒りは、直接的ではないものの、確実にスヴェラに向いている。それは彼女の怯える様から見ても明らかだ。
ロジェもルキウスの激昂に、心底驚いていた。怒る彼を見たことは何度もあったが、これほどの怒りを感じたことはない。
ロジェは慌てて、ガイナスへと視線を移す。彼も義弟の様子に唖然としているのか、それとも怯えているのか、顔を真っ青にして動かなかった。
悪い状況は続くもので、この状況を動かしたのは、最悪な男だった。
「まさか、シンなのか……?」
「っ!」
ロジェが驚愕しながら視線を巡らせれば、声の主は自然と目に入った。つい唇が動く。
「……ク、クラディル? なんでこんなところに?」
「それはこっちの台詞だ」
背の高い女性を連れ立って現れたのは、ロジェにとっては見慣れた人物だった。
眉根に皺を刻みながら、その男はガイナスとルキウスへと腰を折る。
「フェルグス公爵閣下、ルキウス殿下。……クラディル・アカツキでございます。本日は父の代行で参りました」
「あ……ああ、そうだったね。遠方からよく来てくれた」
尖りきった空気を変えてくれる人物に、ガイナスはあからさまに安堵の表情を浮かべる。しかし問題のルキウスと言えば、更に冷たい声を放る。
「……アカツキ家の息子か」
「ええ、そうです。殿下、失礼を承知で申しますが、その文官は我がアカツキ領からの出向者ですよね?」
「そうだが、何か問題が?」
「その者は、文官として第一司令部に出向させました。こうして晩餐会に出ることが、文官の仕事ですか?」
クラディルは垂れ目をぐっと吊り上げ、怒りモードのルキウスにも臆しない。
ロジェは額に手を当てて、盛大に零したい溜息を必死で堪えた。
(……ああ! どうしてこいつを王都に寄越したんだ! まったく、ジョルノ叔父さんは!)
視線を横へとずらすと、クラディルの隣に立っている女性と目が合う。彼女はロジェと目が合うなり、子供を叱るような鋭い目線を送ってきた。
だめだ、こっちも怒ってる。ロジェは慌てて目を伏せた。
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