37.


 心配そうなザザドを説得し、ロジェは途中で馬車を降ろしてもらった。第二棟と第三棟の間にある中庭で、文官らの居室も近い場所だ。

 馬車を見送ったあと、ロジェは身体の向きを変える。


(……ルトルクさんを向かわせるってザザドさんは言ってたけど……先に行こう……)


 こちらに向かっているであろうルトルクを待たず、ロジェは第三科がある第三棟へ向けて、ゆっくりと歩きだした。


 歩いていると、自分がいかにボコボコにされたか痛感してしまう。一歩踏み出すごとに、ずきずきと全身が痛んだ。しかし歩けないほどではない。

 始業が迫っているからか、中庭にはちらほら人がいる。ひょこひょことロジェが歩いていると、人ごみの中からコーレンが走り出してきた。


「……アースター……! お前、どうしたんだ⁉」

「おお、コーレン! はよーさん、今から出勤か?」

「いやいや、はよーじゃねぇって。ほんとに、まったくお前は……」


 ロジェの姿を上から下まで眺めて、コーレンは顔を顰める。


「……もしかして、鬼将軍にやられたのか?」

「まさか! そんなわけないだろ?」


 笑うと、口の端や頬骨辺りが痛む。変な笑顔になったせいか、コーレンが神妙な面持ちとなってしまった。相変わらず隈が酷いため、まるで亡霊のようになっている。


「……アースター……お前さ、アカツキに帰った方が良いんじゃないか? そんな暴力まで受けて、我慢している必要なんてないぞ」

「コーレン? 違うって言ってるだろ? これはさ、ただ俺が……」


 ロジェの言葉を遮るように、コーレンはロジェの肩を労わるように抱き寄せる。そして「もう何も言うな」というような顔をして、コーレンは頭を横に振った。


「お前が見た目の割に真面目で一生懸命なことは、俺たちはみんな分かってる。付き合いは短いけど、お前の働き方には感服しかないよ。だけどな、アースター……だからこそな……お前が心配なんだよ。生き急ぐなって」

「おい、コーレン。俺の話聞いてる?」


 ぺらぺらと捲し立てるコーレンを呆れ顔で見つつ、ロジェは身体を彼へと凭れさせた。

 少しの移動だったが、やはり傷ついた身体には酷だったのだろう。いつもの倍以上にどっと疲れてしまう。


 コーレンは文官だが魔族で、その身体はロジェよりも大きい。身体つきも逞しく、ロジェが凭れ掛かってもびくともしなかった。肩を抱いていたからか、コーレンもロジェを咎めることはない。

 こちらの様子を窺っていたらしい女性陣が、こそこそと囁くのが聞こえる。


「シン・アースターってあれよね? さっそく閣下に捨てられたんじゃない?」

「綺麗って聞いたけど、そうでもないわね……っていうか、もう新しい男? 信じられない」

「尻軽っていうか、男娼みたいなものね」


 囁いているつもりなのか、それともわざとかは知らないが、会話は丸聞こえである。こちらに向けての視線も侮蔑が含まれていて、ロジェと目が合っても反らす気配はない。

 コーレンが慌て始め、ロジェへと捲し立てる。


「そ、そうだ、アースター! 朝飯は食った? おごってやるから、移動しようぜ?」

「……コーレン……。俺っていつも、こんなふうに陰口叩かれてんのか?」

「い、いや、違うよ。さぁ、あっちへ行こう」

「叩かれてんだな。……なるほど」


 女性陣はくすくすと笑いながら、ロジェを挑戦的に見据え続けた。


 どの女性も美しく、ロジェよりも若い。同じ文官の制服を身に着けているというのに、どこか上品な雰囲気を感じてしまうのは、育ちの良さからだろう。

 この第一司令部には、彼女たちのような令嬢も少なくなかった。


 だからこそ、ロジェは疑問に思うのだ。

 コーレンに凭れながら首を傾げ、ロジェは口を開いた。


「……君たちってさ、閣下を慕っているのか? 先ほどの口ぶりからは、そう感じたけど……」

「は? あんた、ふざけてんの?」

「だから、閣下とそういう関係になりたいのか?」

「当たり前じゃない。……あのルキウス殿下なのよ?」


 呆れ顔を呈し、女は同意を求めるように周囲を見回した。取り巻きらしき女性らも異論はないようで、同じくロジェへと呆れ顔を浮かべている。


「地位も美貌も、それに力だって……あの方に敵う魔族なんてそうそういない。閣下に憧れてこの第一司令部を志望する者がどれだけ多いか。……そんな事も知らないの?」

「へぇ」

「あの方は難しい方だから、これまで我慢してたけど……あなたのような者を受け入れてらっしゃるなら、噂よりもお優しいのかもしれないわね」

「……それってさ、今まで二の足を踏んでたって事だろ? 尻込みしてたんだよな?」


 それは煽りでも何でもなく、純粋に浮かんだ疑問だった。

 ロジェはコーレンから身体を離し、腕を組む。


「閣下の近くで働けて、同じ種族で、おまけに異性で、立派な身分に生まれて? ……これ以上ないほど恵まれた環境なのに、何で今まで想いを伝えなかったんだ?」

「……っ、それは……」


 羨ましい環境だと、ロジェは正直に思う。

 ロジェはヒトに生まれ、身分違いに悩む前に、彼の弊害になると思い知らされた。

 同性であり、今では半魔となったものの、ヒトと同じく蔑まれる種族だ。

 しかしそんな環境でも、ルキウスへ向かって突き進んでいた。努力だけしか出来なかったから、馬鹿みたいに頑張った。それだけは自信を持って言える。


「閣下の隣に立てる資格を持ちながら、なんで踏み出さない? 走り出さないから、俺みたいな半魔に負けるんだよ」

「……簡単に……言わないでよ……」

「もちろん簡単じゃないよ」


 こちとら16年もかかってるんだぞ。と、ロジェは心の中で苦笑する。

 しかも、いざ側で働けたと思ったら、あんな洗礼を受けたのだ。まったくもって全然簡単ではない。しかし冷酷さの中に、まだ穏やかなルキウスが残っていると身を持って感じて、嬉しかった。

 

「……閣下はお優しいよ。こんなところで俺に文句垂れてるくらいなら、行動に移したほうがいい。君たちは綺麗だし、勿体ないだろ」

「……なっ……」


 女性らが目を見開き、僅かに顔を赤くする。その様子は可愛らしく、ロジェは素直に羨ましいと思った。

 オメガとなって女性的な容姿にはなったが、ロジェは男性体には変わりない。もっと魅力的だったら、女性だったら、と女々しく悩んだこともある。

 今だってルキウスの側にいるが、ただの役回りだ。本当に愛されているわけではない。

 少々虚しくなってきて、ロジェは肩を落として見せた。


「……とはいえ、大変だよなぁ。分かる。でも頑張ろうな、お互い」

「…………」

「?」


 黙り込んでしまった女性らを見ていると、隣のコーレンがひっと悲鳴を飲み込んだ。

 ドッドッと馬が地を蹴る音が聞こえてきて、それと共に怒号も降ってくる。

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