7.

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 多種族合同訓練が行われていた期間、ロジェとルキウスは色々な場所へ遊びに出かけた。


 数少ない休暇は必ずルキウスと過ごし、同期から「付き合ってるんじゃないか」と揶揄われることもある。

 確かに、ルキウスとは他種族とは思えないほど馬が合う。ロジェは故郷にも友人がいるが、ここまで親密になったことはない。

 横に居るのが当たり前。そんな関係になるまでに、さほど時間は掛からなかった。


 しかし一つだけ、ロジェには気になることがある。ルキウスがロジェ以外の者と関わろうとしないことだ。


 

「なぁ、ルキウス・ウィンコット?」

 

 声を掛けると、ルキウスの緑色の瞳にロジェが写った。成功だ、とロジェは満面の笑みを浮かべる。


 半端な呼びかけだと、ルキウスはこちらを向いてくれない。だからロジェはつい、ルキウスの瞳に自分を映すべく画策してしまう。

 『殿下』と呼んだり、フルネームで呼んだりと、試行錯誤は尽きない。

 

 目の前のルキウスは、眉根に皺を寄せながらもロジェと目を合わせてくれた。

 

「なんだ?」

「……お前さ、俺とばっかりつるまないで、もっと他種族と交流した方が良いんじゃないか? こんな機会なんだし、お前、皇子様なんだろ?」

「……皇子と言えど、第九皇子だ。しかも母親は魔族じゃない。王座には遠い立場だ」

「それでも……すげぇ身分じゃん」

「王宮には近づきたくもないし、第一俺は……魔族が嫌いだ」


 ふぅん、とロジェが口を尖らせると。その唇をルキウスがぴんと指で弾く。

 こちらに寄せる表情は優しくて、ロジェは少しだけほっとした。

 ルキウスが良いというなら、良いのだろう。ロジェはあれこれ考えるのが苦手なので、ありがたく懸念を放り捨てた。



 今日は快晴で、ロジェとルキウスは近くの池まで馬を走らせた。池のほとりで剣を交え、汗だくになったところで一時休憩を取る。

 ルキウスがまめまめしく敷物を広げると、ロジェは待ってましたとばかりにごろりと転がった。ルキウスは呆れたように笑ったあと、ロジェに沿うようにして横になる。


 池から水の匂いがして、そこから吹く風は爽やかで瑞々しい。肺いっぱいに空気を吸い込んで、ロジェは束の間の休息を堪能した。

 手合わせを終えた後の疲労感が、良い具合に心地よさを連れてきてくれる。


 手合わせを請け負ってくれたルキウスだが、ヒト族のロジェにも容赦がない。しかしそれはロジェにとって、心の底から嬉しいことだった。

 庇護の対象であり、脆弱な種族であるヒト。本来なら遠慮して手加減するところなのだろうが、ルキウスはいつもロジェのぎりぎり耐えうるところを攻めて来る。

 お陰で剣の腕も上がり、ルキウス以外の同期には何とか勝てるようになってきた。


「なぁなぁ、ウィンコット? 魔王って、跡取りがめちゃくちゃ多いんだろ? 皇子って何人いるんだ?」

「23」

「……にじゅう、さん、って、23か⁉」

「ああ。皇子以外も合わせると、その倍以上はいるだろうな」

「すげぇな。……あ、でも魔族って長命だから、子供が多くなるのは当たり前か」

「だとしても、多すぎだ」


 寝転がって空を見上げるルキウスは、まるで何かを睨みつけているようだった。横に居るロジェの視線に勘付いているはずなのに、今度は自身の表情を隠すかのようにこちらを見てくれない。


 ルキウスは魔族が嫌いだと、常々口にしてきた。

 ロジェだってヒト族の現状が好きなわけではない。しかし抱いている想いやそれぞれの立場は、まったく違う。

 彼の気持ちを量るには、ロジェはまだ未熟過ぎた。


「魔族の王様って、もう年なのか?」

「もう100歳を超えている。……側室の数も年々増えて、未だに子作りに精を出しているよ。王座争いの火種を、毎年わんさか生み出している」

「まぁヒト族の皇帝も、側室が何人もいるっていうからな」

「なんだと⁉ ヒトは、一夫一妻制だったのでは?」


 急にこちらを向いたルキウスは、柳眉をへし曲げてロジェを見据える。その必死ともいえる表情に、ロジェは思わず笑った。


「一夫多妻は皇族だけだよ。その他は一夫一妻だって。……そういや、魔族は比較的自由なんだっけ?」

「特に取り決めはないが、魔族にも細かい種があって、それによって傾向が変わる。……俺の母親は、一夫一妻を固く守るスコル族だ。……俺は、生涯一つの生き物を愛したい」

「へぇ。スコル族って、神話に登場する狼の魔獣の子孫だよな。……狼かぁ。確かにウィンコットは狼っぽいよな。強くて気高くて……かっこいいもんなぁ」


 魔族という種族は、他種族の追随を許さない強さを持つ。そのためプライドが高く、気難しい性格のものが多い。

 しかしルキウスは違う。常に周囲を見て、冷静な態度を心がけているのがわかる。自分の強さをひけらかさないし、柔らかな優しさも熱い心も合わせ持っている。

 ロジェはこの友人が誇らしく、つい望みを抱いてしまうのだ。


「……俺もヒト族の皇子だったら良かったなぁ。そしてら、お前はすげぇやつなんだって、魔族の王様に進言するのに。ウィンコットみたいなやつが王座に就けばさ、きっともっと世界は良くなる」

「……ウォーレン……」

「ん?」


 気が付けば、ルキウスが肘を立てて上体を起こしていた。その瞳に宿る何かに、ロジェの胸がどきりと鳴る。

 この間まで優しく穏やかな瞳だったのに、最近はどこか違う。まるで獲物を喰らおうとする獣のまなこのようだ。

 あっという間に視界がルキウスで埋まり、吐息が掛かるほどの距離になる。


「な、なぁ? まっ……ンッ」


 戸惑う声を呑み込むように、唇がぶつかる。ルキウスはやわい唇でロジェの唇をするりと撫で、眉山を引き上げる。

 「なに?」とでも言いたげな表情だが、やけに艶っぽくて直視できない。

 ロジェは思わず顔を逸らすと、手の甲で口を覆い隠した。


「おま、おまえさ……いつも、これ……」

「……うん?」

「だからさ、これって、キ……」

「き?」


 耳に掛かるルキウスの声は低く、ねっとりとした甘さを持っている。

 胸の高まりと共に熱が顔に上ってきて、頭皮がちりちりと痛んだ。耳までもが熱を持っているのか、いつもは感じないその存在を主張してくる。


 あの日。獣人とのトラブルを助けてもらったあの日から、この友人ルキウスは事あるごとに、ロジェの唇を奪う。

 最初は戯れかと思っていた。

 彼が甘い雰囲気を纏うのはほんの一瞬で、口づけが終わればまるで何もなかったかのように、元のお堅い友人へと戻るからだ。


 ロジェも初めは戸惑ったものの、ルキウスからの口づけを何だかんだ受け入れてしまう。

 彼のキスは、とても気持ちが良いのだ。


 ルキウス曰く、魔族の唾液には癒しの効果があるらしい。稽古終わりに口づけられれば、ロジェはとろりと蕩けてしまう。時には酩酊のような状態になり、眠ってしまうこともあった。


 加えて最近は、ルキウスの雰囲気がどこか甘くなったような気がするのだ。甘いだけではなく、他の何かも混ざっているような気がしてならない。


 それに彼独特のあの『匂い』

 あれに包まれると、もうロジェは何もかもを放り出してしまいたくなるのだ。全てをルキウスに委ねたくなる。


 『友人』という澄んだ青いものに、何かがぽたりぽたりと垂らされている。その感覚が少し恐ろしい。


 目の前の友人ルキウスが、きらきらと光る銀の髪を耳に掛ける。眉根に少しだけ皺を寄せ、ルキウスは拗ねているような表情を浮かべた。


「ウォーレン、ほら。いつものように、頭からっぽにして」

「っ、でも……っん……」


 ルキウスの長い指がロジェの顎を捕らえ、今度は押し潰すように唇が重ねられる。ルキウスの舌が唇の合わせ目をなぞって「いれて」とロジェへせがむ。


 喉元を指でくすぐられれば、ロジェの唇はいとも簡単にその扉を開けてしまう。こうなってしまったら、あとはもうぐずぐずと蕩かされるだけだ。

 まともに思考は動かなくなり、脳みそは活動を停止する。


「……ふ、ぁ、あ………」

「ん、いいこだ」


 落ちそうになる瞼を薄く開けば、そこには丸い緑の宝玉がこちらを見据えていた。ルキウスは口づけの間、目を閉じない。ずっとロジェを見つめ続けている。

 ロジェはそれに気づいているものの、恥じる間もなくくらくらと彼に酔ってしまう。


(……こま、ったな……これ、これじゃ……)


 目の前の友人は、疲れたロジェを癒すために口づけをしてくれているのだろう。彼からの口づけは、決まって稽古の後だからだ。


 しかし困ったことに、自分の中にある感情は、あろうことか別の何かに変わろうとしていた。必死に元の形へ戻そうとしているが、一度自覚してしまえばもう、かっちりと固まってしまうだろう。


 だからロジェは、その形を見ないようにしていた。目をつぶったまま形を元に戻して、ルキウスとの日々を送る。

 そうすれば、自分の気持ちには気付かない。それで十分だ。


 唇の隙間から、ルキウスの甘い叱咤が飛ぶ。


「こら、ウォーレン。俺に集中して」

「……ふ、ぁ? ……あぅ……」

「そう、上手だ」


 ルキウスの声で甘く褒められて、ロジェは腹の底から歓喜を覚えた。彼の香りが鼻腔を通り抜け、ロジェの頭はルキウスで埋め尽くされる。


 もう何も考えられない。

 征服される側の悦びを、ロジェは知ってしまった。

 それが苦難へ続く道への第一歩だとは知らずに。

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