助ケテ
放課後、梨人は校庭を走っている修平をフェンス越しに見ながら帰っていた。
しばらく歩いたところで、いきなり脇道に引っ張り込まれる。
見ると、児島都が自分の腕を掴んでいた。
「梨湖」
しーっ、と梨湖は口許に指を当てる。
「お前、今日は早かったんだな」
「学校か? サボった」
あっさり梨湖はそう言い捨てた。
例のお堂がある場所がわかったので、一緒に行ってみないかと梨湖は言う。
「そりゃいいが、何故急にわかったんだ?」
そのお堂に向かいながら、梨湖は、一通りのことを語った。
「ちょっと待て。
すべての殺人が都の仕業じゃない?
何故、そんな大事なことを黙ってたんだ」
「お前も冴木の中に入ってたならわかるだろ?
って、いや、わからんか。
あいつの頭は意外と整理されてそうだからな。
私には、都の意識も記憶もぐちゃぐちゃに読める。
でも、途中から、あれっ? と思ったんだよ。
都の中には殺人の記憶が詳細にあるのに、どうしても、或るピースが出てこなかったからだ。
数が合わなかったんだ、女を殺すシーンの。
だけど、そのうち出てくるだろうと思ってた。
ところが、夕べ、現場に到着したとき、既に女が死んでいる映像を見た」
「今回の事件の犯人と、そのときの模倣犯とが同一人物の可能性があるってことか。
しかし、その女の霊も気になるが、お前が寝ている間に零児が語っていたことも気になるな。
妙な言い回しだ。
『お前は斉藤零児だって言われたとき』か」
「赤ん坊のときの記憶かとも思ったんだよ。あいつならそういうのもありそうじゃないか。
でもなんだか――」
と梨湖は言葉を止める。
梨人もまた、同じことを考えているようだった。
なんだかあいつ、まるで、途中から『斉藤零児』になったみたいだ、と。
「でも、冴木はそんなこと言ってなかったしなあ」
「まあとりあえず、そのお堂とやらに行ってみるか。
ところで、梨湖」
「ん?」
「ほんとにもう隠してることはないんだな?」
「いや、それが……」
「あるんだな、なんだ」
「いや、これはほんとにただの推測なんだが――」
この間のあれは、ほんとうに、『私の』辻占の結果だったのだろうか――?
「冴木管理官、もういいですか?」
ひょろりとした背の高い男が扉を開け、顔を覗けた。
ん、ああ、と冴木は振り返る。
もう目的の場所は閉めていた。
「今度はちゃんと許可取ってから来てくださいよ」
と富樫は笑う。
彼は馴染みの監察医務院の職員だった。
「すまんな、ちょっと気になることがあって」
「そりゃあいいんですけど。
頼みますよ、今度のコンパ」
わかったわかった、と愛想よく笑って手を振る。
綾にでも頼むか、と思いながら。
ちら、と遺体の並ぶロッカーの方を振り返り、冴木はそこを出て行った。
「なるほど。
これは気づかなかったな。
なんでだ?」
と梨人は呟く。
板倉の殺害現場の程近く、そのお堂は、住宅街の狭間にあった。
家々のブロック塀に囲まれ、更にその内側を木々が取り囲んでいる。
ぽつぽつと飛び石がお堂に向かって置かれ、左右に狐の像があった。
「幟もなんにも立ってないしな。
ちょっとわかりにくいよな」
と梨湖は辺りを見回す。
夜になるたび、此処を板倉に手を引かれて走る。
あのときはお堂までが、とても長く感じられたのに、本当は入り口からこんなに近い。
「梨湖?」
中へ踏み込んだ梨人が、付いてこない自分を振り返る。
「どうした?」
「……入れない」
「え?」
「入れない、なんでだ?」
梨湖は自分の足許を見つめる。
「夢の中では、此処から出れないのに、今は此処に入れない」
強力な結界が梨湖を阻む。
なんだ?
どういう法則なんだ。
夢の中の私はこの中に板倉に手を引かれ、連れて来られた。
だが、現実のこの身体は入れない。
そういえば、最初、霊視しようとしたとき、私は板倉とわずかに接触出来たのに、宮迫は弾かれた。
砂利の上で振り返る梨人が言う。
「もしかして、その児島都の身体が、此処の結界から弾かれてるんじゃないか?」
俺が見てみる、と梨人はお堂に向き直る。
目を閉じ、集中する彼の後ろで、何も出来ない梨湖は、ただ考えた。
都の身体は弾かれ、私の魂は此処に留まれる。
宮迫は無理なのに、私は板倉と接触を持てた。
ふいに板倉の声が耳に蘇る。
『助ケテ――』
あれは、この結界から出してくれという意味かと思っていたが。
「もしかして、この結界は板倉の意のままになるのか?
だから、板倉が助けを求めて誘い込んだ私は入れ、板倉を罪に引きずり込んだ都の身体は入れない」
いや、それなら、板倉は一体、何から助けてくれと言っているのか。
それに、宮迫まで弾き出す意味がわからない。
「梨湖」
梨人が振り返る。
何か掴んだような顔をしていた。
「女だ――」
「え?」
「女がお百度参りをしている姿が見える。
見たことのない若い女だ。
結界を作り出しているのは、そいつかもしれない」
「もしかしたら……」
梨人は確信はあるのに、それを口に出すことを
「結界を作ったというより、誰かが板倉のために、お百度参りをし、その結果、この空間を元に、あいつを守る結界が出来てしまったんじゃないか?」
「霊になった板倉を守るために?」
「いや、生きているうちに作り上げたものかも。
それに死んだ板倉の魂が取り込まれた」
「一体、誰がそんなことを板倉なんかのために」
というか、なんのためのお百度参りだ?
わからない。
わからないことだけが増えていく。
手がかりのあるところから埋めていかなければ、と思っていると、梨人が言った。
「顔はよく見えなかったが、女の気配はわかった。
奴は女性関係にはだらしなかったから、あいつのためにお百度参りするような女は居なかったかもしれないが、身内なら居るかもな。
母親―― には見えなかったから、兄妹とか」
そうだな、と呟きながら、こいつはわかってないが、駄目男を好きな女も結構居るもんだがな、と思っていた。
あれで冴木康介が、なかなかモテるように。
「ともかく、此処を出よう。
それから――
零児に借りた本を出せ」
はい、と梨湖はおとなしくそれを渡す。
結界から出てきた梨人は、パラパラとそれを捲って読んだあとで言う。
「だからお前は、あのとき、急に自分で辻占をやると言い出したんだな」
「冴木から辻占をやる話は聞いてたから、ざっと調べてはいたんだ。
でも、うろ覚えで。
零児の本を読んで確信した。
辻占には米を道具として用いることもあるんだ。
あの地蔵の前には米が落ちていた。
ただのお供え物の残りかとも思ったが、下に落ちてるのはおかしいし、あれに触れたとき、ちょっと妙な感じがあったんだ。
それで、宮迫に任せるのが不安になって」
「お前らなんだか男女が逆だ……」
と梨人が呟く。
「女が常に男に守られる立場にあると思うのは偏見だぞ。
ともかく、私はそれで自分で辻占を引き受けたんだが。
冴木は私が米を見て気を変えたのに気づいていたから、零児の本を読ませたら、すぐに状況を理解したんだ」
「怒られたろう?」
「……怒られたとも」
ああ、今のお前の目線くらい怖かった、と思う。
「言えば、俺がやったのに」
「いや、なんだか私でないといけない気がしたんだ」
梨湖は目の前に広がる夕暮れの通りを見つめて言う。
「あそこで私たちは、辻占をやった。
でも、同時に誰かが、あの逢魔ヶ時に辻占をやっていたとしたら。
あのとき、現れた結果は、どっちの結果だ?」
「……お前は、それをやったのを誰だと思ってるんだ」
梨人にだって、もうわかっているだろう。
「斉藤零児。
だから、あいつはあそこに居たんだ」
それを思えば、零児が自分たちの辻占の結果だという考えは、的外れになるかもしれない。
あいつはただ、自分の辻占の結果を見守るためにそこに居た。
ところが、そこでたまたま、私たちも始めてしまったので――。
「……たまたま?」
梨湖は口に出して呟く。
たまたま、同時に?
そんなことがあるだろうか。
そもそも、斉藤零児は、あの辻で、一体、何を占っていたというのだろう?
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