桜井孝子
「先生、ちょっと絆創膏を」
保健室の戸を梨人が開けると、孝子は押さえていた脇腹から手を離した。
それに目を留めた連が訊く。
「先生、大丈夫? まだ悪いんじゃないの?」
「んー、いやいや、たまに痛むけどね。
それより、何? 絆創膏って」
「連が休憩時間に彫刻刀で怪我をして」
と修平が笑って言う。
「……あんたたち、テスト受けに来てんじゃないの?」
俺は部活、と修平は見てもわかるジャージ姿で言った。
「休み時間に彫刻刀で遊んで怪我するなんて、あんたたち、小学生?」
と言いながら、近くにあった数種類入った絆創膏を取り、箱ごと放る。
「まあ、好きなの選びなさい」
と、さも親切そうに言った。
箱を取り落とした連は拾いながら、
「ひでえ、投げなくても。
貼ってよ、先生~」
と恨みがましく孝子を見る。
椅子をこちらに向けて座る彼女は、脚を組み、怠惰に後ろのデスクに背を預けて言った。
「なんで私がそんなサービスしなきゃなんないのよ。
そんな怪我、舐めてりゃ治るわよ」
もちろん、気心の知れた生徒たちにだからこそ、言える台詞だった。
「ねえ、先生、なんか荒れてない?」
と連が苦笑いして問う。
梨人は溜息をつき、箱を取り上げると、一番合うサイズのカットバンを選び、手の甲に貼ってやる。
「梨人、やっぱり、お前が一番優しいなっ」
「懐くな、抱きつくな。
梨湖のせいで、手のかかるやつの面倒見る癖がついてるだけだ」
しっし、と払ったが、連は、
「それだよ、それ。鏑木さん、いつ戻ってくんの~」
と纏わりついたまま、懇願するように見上げてくる。
そんなことは俺が訊きたい。
もし、梨湖を元の身体に戻せるとしても、どうせ、すぐに生気は流れて出て、動かなくなってしまうだろう。
恐らく、梨湖は二度と、他人から生気を
黙りこんだ梨人を、連が不安げに見遣る。
「なんだよ。鏑
木さん、そんなに具合悪いのかよ」
「いや―― 大丈夫だ。
心配するな。
あいつ、ああ見えても、図太くて逞しい奴だから」
自分に言い聞かせるようにそう言った。
連は、そんな言い方するなよ、と言うかと思ったが、意外にも、
「うん、知ってる」
と答えた。
「あの華奢で儚げな姿に似つかわしくない強さが好きなの、俺は。
荒野に咲く一輪の花っていうか」
「臭い。古い」
「三十点」
「サボテンだろ、あいつ」
修平、孝子、梨人に立て続けに
やかましいので、修平に背を押され、保健室を出て行く。
梨人も後に続こうかと思ったが、思いとどまり、孝子を振り返る。
「先生、本当に大丈夫ですか?」
「ん? ああ、大丈夫よ。
たださ――」
「ただ……なんです?」
厭な夢見るのよね、と孝子は、こちらを見ずに、ぽつりと言った。
梨人は彼女の周囲に眼を凝らしてみる。
孝子からは、ほとんど梨湖が与えた力は消えているが、微かに破片のようなものが残ってはいる。
その力が見せている夢ならば、何か意味があるはずだが。
まあ、ただの精神か肉体の疲労から来る悪夢か……。
そう思っていると、孝子は言った。
「刺されたときの夢なの」
その言葉にぎくりとする。
「……あの前後の記憶は飛んでるのよ。
華川さんが、私が病院で、
『犯人ハ 此処ニ居ル――』
って言ったっていうんだけど、そのことも記憶にないの。
なのに、この頃何故か……」
孝子はそこで言葉を止めた。
デスクに寄りかかったまま、憂い顔を見せる。
梨人は側に近づき、先生、と呼びかけた。
こちらを振り向いた孝子の目を見据える。
「何故か――
なんなんです?」
そう囁くように、顔を近づけ、問うた。
梨湖の使う催眠術などとは違う。
冴木の身体に居るうちに、ようやく覚えた、相手に話させる
女性限定だが……。
孝子が赤くなって、視線を逸らす。
「い、いや、たいしたあれじゃないのよ。
でも……」
と口を割りかけたとき、
「あーっ、なにやってんだよ、梨人っ!」
と、その場の空気を打ち破る連の声がした。
「なに先生誘惑してんの!
俺、この学校で三番目に、目ぇつけてんのにっ!
鏑木さんにチクるぞっ」
と戸口で叫んでいる。
連~っ!
気がつくと、孝子は、もういつもの調子で、
「なに、三番目って!」
と叫び返していた。
連……
いつか、殺すっ!
本気で連にトドメを刺す前に、程よくテスト開始のチャイムが鳴り響いた。
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