黒い霧

 

「それじゃあ、また遊びに来てよ」


 零児はわざわざ門のところまで見送ってくれた。


 夕暮れの中、いつまでも見送る零児は、道の向こうに消える夕陽に目を細めていた。


 そのとき――


 梨湖の眼には、零児の周りが黒く歪んで見えた。


 ……なんだろう、今の。


 黒い、霧。


 どきん、と手の下で心臓が跳ねる。


 まさか。

 冴木の力を引き込んだからか?


「梨湖」

 零児に背を向け、歩いていきながら、梨人は言った。


「さっき、あの家の中でニンギョウを見た」

「えっ」


 あのニンギョウだ、と梨人は言う。


「あのニンギョウがなにか教えてくれている気がして、それが立っていた部屋のドアを開けた」


 梨人は夕空を見て、少し迷うような顔をする。


「……別に俺がこだわってるわけじゃないぞ。

 でも、ほんとにパソコンがもう一台あったんだ」


「マックか」

 そう、と梨人は頷く。


「立ち上げてみたのか?」

「人んちのパソコンだぞ」


「……お前は、何かこう、狐に惑わされている」


 梨湖がいささか呆れ気味に言うと、

「いや、俺だって、本気でパソコンのことだなんて思ってないさ」

と梨人はムキになる。


「だけど、ほんとにそこにあったんだ、偶然かもしれないが」


 うーん、と梨湖は唸った。


 辻占が絡んでいる以上、偶然だとも偶然じゃないとも言いがたいからだ。


「ところで、そのニンギョウ、誰なんだ?

 もし、私たちにヒントをくれているのだとしたら、それは都じゃあない」


 梨人はちょっと考えて言う。


「まあ、俺たちの前にあの姿で出てくる奴といえば……」


 



 梨人のせいで、すっかり居るのが癖になった小会議室に冴木は居た。


 腕時計を見る。


 梨湖様、確か夕方、あの男のところに行ってみると言っていたが。

 そう思ったとき、斜め後ろに人の気配を感じた。


 後ろは壁しかないはずなのに。


 振り向むくと、あのニンギョウが立っていた。


 一瞬、身構えたが、そこから立ち昇ったのは、美しい女の霊だった。


「お前は……中川恵美子?」


 宮迫とよく似たその顔に、そう当たりをつけて呼びかけてみる。


 ところが、恵美子は、冴木がそこに居ることを忘れたかのように、頬に手をやり、溜息をつく。


「……出てきておいて、困るなよ」


 っていうか、何故、俺のところに出る!?


「なにしに来た?

 お前は神護山に居るんだろう?」


『強い悪霊が居なくなったから』


 澄んだ声で恵美子は言う。


 前よりも、随分と、はっきりしゃべれるようになっていたのだ。


『私も少し出やすくなった。

 あれの溜めていた力が封じ込められているから、あの石に』


「都は悪霊か。

 言うな、お前も」

と冴木は苦笑する。


 俯きがちなその顔を、恵美子は、じっと見ていた。


 なんだ? とそれに気づいて呼びかける。


『私はもう、あの山の眷属になっている。

 人ではないの。だから――』


「だからなんだ。

 ヒントも与えられないと?


 お前には事件のすべてが見えてるんじゃないのか、もしかして」


『私は万能じゃない。

 私の心に、今、引っかかってるのも、そんなことじゃない』


「んじゃあ、なんだよ」

と言ってみたが、恵美子は答えない。


『……私が此処に来たこと。

 お兄ちゃんには言わないで』


「なんでだよ」

『さあ。

 何故だか、自分でもよくわからないけど』


 本当にわからないかのように、恵美子は眉をひそめる。


 その憂い顔を見ながら冴木は思った。


 しっかし、いい女だなあ。

 さすが、宮迫の妹。


 でも、死んでんのか。


 ついつい、好みの女性を見ると、からかいたくなる冴木は、笑って言った。


「でも、俺は口が軽いからな」


 その言葉に、恵美子はこちらを見、表情のない眼で、淡々と告げる。


『貴方がもし、余計なことをしゃべったら、私も貴方の秘密をバラす』


「……俺の秘密?」


『貴方は本当は――』


 そこまで口にしかけて、恵美子は止めた。


 窺うように見る冴木の目線に押されたかのように。


 ふん、と冴木は鼻で笑って言った。


「やれやれ、神の山の眷属とかいうわりには、人間臭いな。

 いっぱしに脅して駆け引きなんぞしやがる」


 いいだろう、宮迫には黙っててやるよ、と言ったとき、部下の誰かが呼びに来たのか、ノックの音がした。





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