夕暮れ

 

「でっかい家だなあ」

 梨湖は夕刻、その家を見上げていた。


 零児が白いコンクリートの家などとシンプルに言ったので、普通の民家を想像していたのだが、結構立派な家だった。


「やあ、よく来たね。

 おや? 都ちゃんの彼かな?」


 零児は、梨人を見て微笑みかける。


 冴木や宮迫を連れてきては、明らかに怪しいので、一番無難な梨人を学校帰りに捕まえ、引きずってきていた。


 今日は英凛も程よく模試で、梨人も程よく学校に出てきていたのだ。


「いえ、違いますっ」

と梨湖は慌てて否定した。


 今の自分が児島都だったからなのだが、梨人は、零児が言ったからだとでも思ったのか、ふい、と顔を逸らしてしまう。


 零児は苦笑していたが、まあ、入って、と梨湖たちにスリッパを勧めた。


「すみません。

 お忙しいのに、図々しく押しかけちゃって」


「いや、いい気分転換になるよ。

 ちょっと論文、行き詰っちゃっててね」


「お仕事なにされてるんですか?」


「大学で民俗学やってるんだ。

 まあ、まだ助手なんだけど」


 通された書斎は、壁一面がびっしり本で埋め尽くされていた。


 机の上にも大型の本が、二、三冊積まれている。


 机と書棚の配置に、地震が来たら、後頭部を直撃しそうだな、と思った。


「えっと、なにかな? 辻占のこと?」


 はい、と梨湖は頷く。


 でも―― と零児は言いかけ、声を落とした。


「彼連れて来ちゃっていいの?」

と少し離れた位置で、デスクの上のパソコンを見ている梨人を窺う。


「なんでですか?」

「だって、恋占いしてたんでしょう?」


 違います、と梨湖は否定した。


 少し考えてから、

「人捜し……っていうか」

と、ぽそりと答える。


 捜してるのは犯人だが、まあ、人捜しには違いない。


「あんまり詳しい事情はお話できないんですけど……」


 さも訳ありげに呟くと、零児は同情気味な顔をした。


 内心、申し訳ない、と思っていると、

「あ、ちょっと待ってて。お茶でも淹れてくるから」

と言う。


「あっ、お構いなくっ」

と叫んでみたが、いいからいいから、と奥へと引っ込んでしまった。

 

「ウィンドウズだな」

 薄型デスクトップのパソコンを見て、梨人は呟く。


「なんだよ。

 まだ、マック説にこだわってんのか?」


「他に気にすることがないからだ」


「……お前、機嫌悪くないか?」

と訊いてみたが、別に、と梨人は素っ気無く呟く。


 梨湖は、びっしりと本の詰まった書棚を見上げた。


「でも―― いろいろ参考にはなりそうだな」




 しばらくして、零児が戻ってきた。


 いい香りのする紅茶を前に、淡々とした語り口調の零児の講義を聞く。


「辻っていうのは、あの世とこの世の境。

 境界線だと思われていたからね。


 だから、そんな占いも始まったんだろう。


 同じように、あの世との境と言われるのは、村の外れとか、坂とか川、あと、山なんかもそうだね」


「……神護山」

 思わず、梨湖は呟いていた。


 零児が、そう! という顔をする。


「あそこなんかその典型だね。物凄い霊山だし」

「霊感、あるんですか?」


「うーん、まあ、あるってほどでもないけど」

と彼は言葉を濁したが、強いそれを持つものだと梨湖にはわかっていた。


 この気配の薄さ。

 この男こそが、世界の狭間に存在しているかのようだ。


 何故、こんな男が、あの辻占の瞬間に現れたのか――。


 もしかして……


 思わず、じっと見つめていた梨湖に気づき、零児が少し不審げな顔をした。

 それを察したように、梨人が立ち上がる。


「ちょっとお手洗いお借りしてもいいですか?」


 そう言い、注意を逸らしてくれた。

 梨人が出て行った扉の方を見て、零児は笑う。


「可愛いねえ、高校生って」

「……それ聞いたら、梨人、卒倒すると思います」


 いやいやいや、と零児は笑い、

「よっぽど君が好きなんだね。

 ずっと、僕を見る目が怖いんだけど」

と可笑しそうに言った。


「いいえ、そんなことっ。

 ――でも、すみませんっ」


 梨人が都を好きだと思われたら困ると思い、激しく否定したあとで、零児に対して謝った。


 しっかし、あいつ、あんなに子どもだったかなあ?


 冴木に乗り移ってる間に、あいつの性格まで染み付いたんじゃないのか?


 ふと、そう思ったあとで、ぞくり、とする。


 都に乗り移っている自分は、都からの影響を受けたりしないのだろうか。


 あの強烈な殺人現場の記憶を目の当たりにしても――。


「都ちゃん?」


「あ、すみません」


 梨湖は慌てて顔を上げた。

 つい、自分の考えに浸っていたからだ。


 斉藤零児は不思議な男だった。


 最初に見たときこそ、落ち着かない気持ちになったが、今、こうして向かい合っていると、妙にリラックスできるというか。


 穏やかな気持ちになれる。


 それでつい、ほぼ初対面に近い人間の前だというのに、己れの考えにふけってしまったのだ。


「お茶、冷めちゃうよ」


 零児に勧められ、いただきます、と手を伸ばし、一口飲んだ。


「おいし」

 素直に漏らした感想に、零児は本当に嬉しそうな顔をする。


「あの、ほんとに此処にお一人でお住まいなんですか?」


「お住まいなんです」

と零児は笑った。


「でも、大きなお家ですよね」

 梨湖は辺りを見回して言う。


 一人では掃除も大変だし、やっぱり淋しいのではないだろうかと思っていると、零児は言った。


「うん。

 此処が元々の家でね。


 みんな出てっちゃったけど」


 彼は笑顔だったが、どうもまずいこと訊いてしまったような気がした。


 少し零児から発せられる気配が濁った気がしたからだ。


 梨人の機嫌も悪いし、そろそろ帰ろうかな、と、彼の出て行った扉の方を窺った。



 

 でかい家だな。

 ほんとにあの男ひとりで住んでるのか?


 一応、お手洗いに行った後で、梨人は家の中を窺った。


 通り過ぎようとしたひとつの部屋の前に何かが見えた気がして振り返る。


 それは、蒼白く光る小さな物体――。


 扉の前で、瞬きするように現れて、消えたそれは、あのニンギョウだった。


 どういうことだ?


 そういえば、あのニンギョウの本体は今、何処に。


 都の部屋にはなかったようだが。


 今、まるで、何かを知らせるように現れたニンギョウ。


 この部屋に、何かあるのか?


 そう思いながら、ノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開ける――。







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