夕占

 

 夕占ゆうけとは、万葉集に出てくる辻占のこと。


 辻はあの世とこの世の境――。


 人ならぬものが住まう場所。




『零児、私、また名前変わったの』

『へえー、母さん、こりないね』


 なんて名前? と、どうでもいいけど、訊いてみた。


 名前なんていい。


 母と姉と――


 もう一人の僕が幸せに暮らしていてくれれば。


 怜奈は、ふふふ、とこちらを見上げて、試すように笑う。


『斉藤っていうの。

 斉藤怜奈』


『へー』


 そんな偶然もあるんだ、と軽く流すと、怜奈は厭そうな顔をした。


『なに?』

『いや、なんかもっと反応ないの?』

と不満げだ。


『ああ……同じ名前だね』


 そこでようやく、怜奈の言わんとしていることがわかった。


『まるで、また家族になったみたいだね』

 笑顔を造ってそう言ってみたが、やっぱり怜奈の機嫌は悪かった。


 言うのが遅かったからだろうか。


 まったく、姉とはいえ、女はわからない。


 そして、一緒に育ってもいない斉藤の姉など、ますますわからない。


 ちょっと溜息を漏らしてしまった。


 斉藤瑞穂。


 彼女もいきなり現れた弟に打ち解けようとしてくれてはいるようだが、なにやらやはり、ぎくしゃくとしていた。


 『加藤健太』もいろいろ困ってるのかなあ、と思う。


 父親がしょっちゅう変わるなんて、彼の今までの安定した生活ではありえないことだろうから。


 しかし、変な感じだった。


 この間まで、自分が『健太』だったのに。


 隠れてたまに会う母親は、やはり、自分を『零児』と呼ぶのに抵抗があるようだったが、何故か姉はすんなり零児と呼び、ちょっと嬉しそうだった。


 なんでなの? と訊いてみたら、

『だって、全然別の人みたいだから』

と言う。


 よくわからない。


『それにあんたには、零児って名前の方が合ってるわ。なんでだか、そう思うの』


 うん、と僕は頷いた。

 自分でもそんな気がしていたから。


『最初にお前が零児だって言われたとき、ああそうだったって思ったんだ。


 僕の名前は零児だったって。


 まだ僕がお腹に居るとき、気の早いおじいちゃんが、辻占で名前をつけてくれたんだ。


 辻を三番目に通りかかった人が、教えてくれたんだって。


 お孫さんの名前は、零児だって。


 女の子のときはとおじいちゃんが訊こうとしたら、もうその人は居なかった。


 辻にはね、人ならぬものが行き交ってるんだ。


 それは、神様だったり、妖怪だったり、人の、彷徨える魂だったり――。


 そんな誰かがつけてくれたんだろうね。


 ずっとお腹に居る間、零児、零児と呼ばれていたからだろうけど。


 やっぱり、それが僕の名前なんだろうって、初めて聞いたとき思ったよ』


 そうね、と姉は言う。


『あんたが健太じゃないって聞いたとき、私、やっぱりって思ったわ。


 ずっと違和感があったの。


 あんたはなんだか私ともお母さんとも違うもののような気がしてた』


 そういう言い方をされるとさすがにちょっと心外だなあと思っていると、くすりと怜奈は笑う。


 ごめん、そういう意味じゃないのよ、と。


『あんたがうちに馴染んでなかったとかそういうことじゃないの。


 でもさ、『健太』見てると、思うのよ。

 ふとした仕草とか、私たち三人がそっくりだったりして。


 あー、血って怖いなあ。やっぱり親子なんだなあって』


 ズバッとそんなことを言われ、姉さん、と眉をひそめて見せると、怜奈は、すぐにまた、ごめんと言う。


『私、ちょっと浮かれてるの』


 なんで……?


 怜奈はこちらを見上げて言った。


『それと、外ではもう姉さんって呼ばない約束でしょう?

 誰が聞いてるかわかんないんだから』


『そうだね、ね……怜奈』

 そう呼び変えると、怜奈は嬉しそうに笑って見せた。


 


 緩やかに吹く夕暮れの風が、辺りの木々を揺らしている。


 物陰から零児はあの地蔵尊の前を見つめていた。


 帰宅時間だというのに、何故か、人の流れが途切れている。


 息の詰まるような時間。


 ほんとは、僅か、二、三分のことだったろう。


 朱に染まる小さな祠の前に、やがてひとりの少女が現れた。


 風になびく黒髪を押さえる白い手。


 零児は深い絶望を持って、それを見ていた。


 ああ。

 やっぱりそうなのか。


 そっと、覚悟を決め、彼女に歩み寄る。


 彼女は気配を感じたように振り向いた。


 光を透かす、少し茶がかかった瞳で自分を見上げる。


「都ちゃん。

 やっぱり君だったんだね」


 あの一連の殺人事件の犯人を、あの日、辻占で占った。


 隠れて見ていると、数人の人間がこの前に現れ、やがて、この『児島都』ひとりになった。


 だが、零児は半信半疑だった。


 この強烈なまでに清浄なオーラ。

 ほんとに彼女が犯人なのか?


 だとするなら、やはり、あいつは――。


 そう思いながら、ずっと彼女を観察していた。


 時折見える、美しい鮮烈なオーラの影の赤黒い澱んだ光。

 それは見たこともない邪悪な色を放っていた。


 あれはこの子の二面性を表していたのだろうか。


 わからない。


 わからない。


 都を観察することにより、余計混乱してきた零児は、もう一度、辻占をやることにした。


 あの一連の殺人事件の犯人は――?


 そして、今、『児島都』がやってきた。


「やっぱり、君が来たんだね」


 そう淋しく言いながら、自分がそのことをとても残念に思っていることに気がついていた。


 だが、都は俯き、微かに見える口許で薄く嗤って言った。


「来たのはオマエの方だ。


 やっぱり、オマエだったんだな、斉藤零児」


 都は顔を上げる。


「前回と逆だ。

 今日は私が先に辻占を仕掛けた。


 私の問いの答えがオマエだったんだ」


 陰から、バラバラとあのとき見た男たちが現れる。


 都は彼らを背後に従え、言った。


「あのとき、私はお前が撒いていた米に触れて、危険を感じ、自分が辻占をやろうと此処に留まった。


 でも本当は、あの米に触れた時点で、私はもう、お前の辻占に取り込まれていたのかもしれないな」


 いや、もしかしたら、その前から、と目を伏せ、児島都は言う。


「お前が、此処で辻占で犯人を占おうとしたときから、私たちは此処に誘き寄せられていたのかもしれない」


「それは―― どういう意味かな、都ちゃん」


 都は自分を見据え、言い切った。


「もちろん、私が例の『連続猟奇殺人事件』の犯人だという意味だ」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る