茂み


 梨人は梨湖が帰ったあとで、茂みの方を見ていた。

 さっきの梨湖の台詞が引っかかっていたからだ。


『都の意識は厭なものばかり読めるんだ。

 見たこっちが厭な気持ちになるようなことばかり』


 しかも、己れの失態とも言える徹とのことは見えないという。


 まるで都が記憶を制御しているかのようだ。



 梨人は茂みへと近づいていく。

 板倉が倒れていた通りを覗き込んだ。


 もしかして、自分たちが思っている以上に、都の意識は、はっきりしているのでは。


 昼間は表面には出れないふりをして。


 梨湖の気づかない時間に活動しているのだとしたら、板倉殺しだけではない。


 あの辻での殺人は、もしかして――。


 板倉がそこに、ぼんやりと立っていた。


「板倉」


 呼びかけると、声は聞こえたのか、こちらを向く。


 確かに、何かの結界に阻まれているようだ。


 梨湖の眼にはどう見えているのか知らないが、自分の眼には、円になった蒼白い狐火に囲まれているように見える。


「お前を殺したのは、都か?」


 板倉は答えない。


 記憶が錯乱していてわからないのか。

 単にしゃべれないのか。


 しかし、よく考えれば、板倉はともかく、あの辻で殺された女を殺す理由は都にはないようだ。


 自分たちが狙った女でもないし、梨湖のところに取調べが来ないことからも、『児島都』との接点がないのは明らかだ。


「板倉、辻で女を殺したのはお前か?」


 都に操られてやっていた殺人だが、心の片隅にその記憶と感情が残っていて、つい、繰り返してしまった可能性もある。


 だが、板倉の口は、小さくぼそりと動いただけだった。


『助ケテ……』


「助けて? お前をか?」


 板倉の姿がぶれる。


「ちょっと待てっ」

と梨人は思わず手を伸ばした。


 その手に、ひんやりとした白い手が触れる。


「……恵美子!」

 梨人は自分の横にいつの間にか現れ、手を重ねる恵美子を振り返る。


 恵美子は力を与えてくれているようだった。


 ……キ  ミ


 ところどころ、板倉の口の動きが見えた。


 だが、その姿が掻き消える。

 結界に負けたようだ。


 梨人は息をつき、手を下ろして恵美子を見た。


「どうした。何故、お前が……」

 だが、恵美子はこちらを見たあとで、ふっと溜息を漏らす。


 ……なんなんだ?


 しかし、恵美子は気を取り直したように言った。


『近いうちに――』

「近いうちに?」


『貴方たちは何かを失い、何かを得る。

 大きな後悔とともに――』


 なんだその、ノストラダムス並みのアバウトな予言は。


 もうちょっとなんとかならないのか、と思っていると、恵美子は察したように言う。


『私は感じるだけ。

 難しいことはわからないから』


 ああ、そう、と適当に相槌を打ったあとで訊いてみた。


「その予言を伝えに来たのか?」


 答えないかと思ったが、恵美子は、

『それはついで』

と言う。


『どうせ、言ったところで、貴方たちには何も出来ないから。


 私はただ、鏑木梨湖が、最後に私に対して、想ったことが気になって』

 梨湖が最後に恵美子に対して思ったこと?


 そう考えている間に、恵美子は、

『貴方でも駄目みたい』

 そう言い置いて消えた。


 その横顔はなんだか淋しそうだった。


「……なんなんだ? あいつ」

 梨人は小さく漏らす。




 梨湖が夕食後、部屋で零児に借りた本を読んでいると、冴木がやってきた。


「なんだ、早いな」

「今、また忙しくて、このくらいの時間しか抜けられないからな」


 ソファに腰掛けながら、

「で? 今日は何をやらかしたんだ?」

と何も言ってないのに、冴木は、そう問うてきた。


 人聞きの悪い、と思いながら、梨湖は向かいの椅子に座る。


 だがまあ、やらかしたのは確かなので、冴木に詳細に打ち明けた。


「ははあ、そりゃまた一気に話が進展したな。

 あの徹とやらのお陰かもな」


 まあ、認めたくはないがそうだろう。

 自分たちだけでは、ああも大胆に行動はできなかった。


 後先考えない人間というのは、ほんとうに行動力がある。


「よし、じゃあ、斉藤零児が犯人で決まりだな」

と冴木は膝を叩いた。


 咎めようとする梨湖を制する。


「それはおそらく蒲沢の言う通りだ。

 たぶん、斉藤零児は被害者の誰かと繋がりがあって、犯人を捜そうとしていた。


 今まで出遅れていたのは、日本に居なかったからだ。

 もしかしたら、事件そのものを知らなかったのかもしれない」


「零児と被害者の繋がり、なんか掴んだのかよ」


「そんな簡単にわかるようなものなら、今までに、警察内部の誰かが気がついているだろう。


 だが、すぐにはわからない何かが、何処かにあるはずだ」


 何故か冴木はそう言い切る。


「少なくとも、板倉を殺したのは、斉藤零児だ。

 そして、ほとぼりが冷めるまで、結界に板倉の霊を封じ込めた。


 辻の女を殺したのは、板倉か、零児かわからんがな」


「板倉―― は、まあ、過去の殺人の影響を受けてということもあるかもしれないが、なんで、零児が辻で女を殺さにゃならんのだ。


 その女と零児に繋がりはあるのか?」


「ないさ。

 必要ないんだ、そんなもの」


「どうして?」


「零児にとっては、あの通りで、女が惨殺されることに意味があったんじゃないか?」


 犯人が零児、というのはともかくとして、梨湖もその可能性は考えていた。


 あの通りで何も関係ない女を殺す必然性――。


「零児がかつての被害者たちと繋がりがあるのなら。

 それをやるに至った原因は、恐らく、捜査本部の縮小だ。


 あれから犯人には、なんの動きもなかったからな。

 そろそろそうなるだろうことは、素人でもわかることだ。


 そして、このまま、何も起こらなければ、犯人は捕まらなくとも、本部は解散する。


 一応、継続捜査という形はとるけどな」


「だけど、そんなことで……」


 そう言う梨湖の浮かない顔色を窺いながら、冴木は問うた。


「お前も何か引っかかってることがあるんじゃないのか?」


「私は……零児の周りにあの霧を見た。

 お前が見ていたあの黒い霧だ。お前にもそれが――」


 そう言いかけ、言葉を止める。


 冴木にもわずかな力は残っているはずだが、そこまで見えるのかどうか。


 なんとなく申し訳ない気持ちになって俯いてしまう。

 冴木は肘掛に頬杖をついて怠惰そうに寄りかかっていた。


 冴木が失った力のことを、本心どう思っているのか梨湖にはわからない。

 だが、昔と同じように捜査できないでいる自分に苛立っているのは確かだった。


 コンコン、とノックの音がする。

 はい、と返事をすると、都の母が顔を出した。


「遅くなってごめんなさいね。お茶」

と二人の前に、お菓子と珈琲を出す。


「ああ、都ちゃん。

 ちょっとママ、出かけてくるから」


「どうしたの?」


「配管に亀裂が入ったとかで、楽屋が水浸しでどうとかって、今、電話が入ったのよ。


 よくわからないから行ってみるわ。

 遅くなるかもしれないけど、お留守番しててね」


 はーい、と返事をする梨湖の前で、冴木が頭を下げる。

 都の母は微笑み、ドアを閉めた。


「……楽屋が水浸しか。

 結構遅くなりそうだな」


 なあなあ、と身を乗り出し、冴木の膝を叩く。


「お前、会議のあと、来れるか?」


「……遅くなってもいいんなら」

と訝しげにこちらを見ながら問うた。


「あの親、あんまり遅くに帰ったら、都が寝てるかと気を使って、こっちには上がって来ないんだよ」


 だから? と冴木は珈琲を飲みながら訊く。


「お前、今日、此処泊まってけ」


 冴木が吹き出した。


「お前な……」

 梨湖は立ち上がり、冴木を見下ろして言った。


「お前、なんでさっき、無理やり零児を犯人にしようとした?


 もしかして――

 お前も疑ってるんじゃないのか?


 少なくとも、板倉殺しの犯人は児島都じゃないのかと」


 冴木は黙ってこちらを見上げている。


「梨人も、今日の私の話を聞いて不安に思い始めたようだ。

 私には言わなかったけどな。


 都は、私の知らない間に意識を取り戻し、動き始めてるんじゃないのか?

 こちらに悟られないように。


 あのとき、都の力のほとんどは石に吸い込まれたはずだが。


 あいつの魂に、まだ、私よりも強い力が宿っているのなら、こちらにまったく悟られずに動くことも可能だったかもしれない」


 冴木、と梨湖はテーブルに両手をつき、彼の目を見つめて言った。


「『児島都』を見張っててくれ――」



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