深夜
コノトコロ 死体ノコトバカリ 考エテイル―
ソウ
セメテ アト ヒトツ……
家の近くまで来ただけで、宮迫は人の気配を感じた。
いつもは寮に居るので住むことのない家。
たまに空気を入れかえに来ているくらいだ。
普段、叔父のところに居る母がしばらくこちらに居るので、間で寄るようにしている。
「ただいま」
と台所を覗くと、母が食事を作っていた。
「お帰り」
と料理を続けながら言う。
小さな窓から射し込む夕陽に照らされ、忙しげに立ち働く母の姿のシルエット。
ほのかな夕げの匂いと支度の音。
涙が出そうなほど懐かしい光景ではあったが、母がそこに居るという事実は宮迫の気持ちを重く沈ませた。
何故、母が急に来たのかわかっている。
今、体調がいいからというのもあるだろうが、一番の理由はおそらく、自分が恵美子の話を叔父にしたからだろう。
今まで口にしなかった恵美子の話題を振った自分に、ほっとしながらも、
「あの、矢島さんが母さんが来てるからって、気を利かせて帰らせてくれただけだから、ご飯食べたら、すぐ戻るね」
「すぐ出来るから、ちょっと待ってなさい」
と、やわらかな声で言う母の背を見ながら、隣の部屋の出窓に腰かける。
来てくれて嬉しいような困るような。
今、恵美子の話なんかしたくない。
妹を殺したことを思い出した今、母親と話すのにも、常に罪悪感が付きまとう。
開いた窓から入り込む秋の始めの風を浴びながら、宮迫は言った。
「僕、今度本庁に戻れるかもしれないよ」
そう言うと、そう? と少し嬉しそうな声で言う。
そのことに、ほっとしながらも、息苦しいなと思っていた。
ほんとは、あっちに戻りたくなんかない。
ただ親を喜ばすためだけに言った台詞だった。
そんな自分の気持ちにも、母親は気づかない。
親なんて、そんなもんだとも思うけど。
身近であるが故の鈍感さとでも言うか。
宮迫は風になびいた前髪を俯きがちに払いながら思った。
梨湖ちゃんに会いたいなあ。
彼女なら、こんなとき、すぐに察して、無理すんなよ、と言ってくれるのに。
『行きたくないんなら行かなきゃいいだろ。
どうせお前出世コース、ハズレてんだ。上から睨まれても別にいいじゃないか』
そう豪快に笑い飛ばしてくれる。
自分でも甘えているとは思うけど。
彼女の側に居るのが一番安心できる。
不思議なものだ。まだ出逢って半年にもならないのに、彼女が誰より自分の側に居る――。
「ところで冴木、何処に隠れる?」
うまい具合に人に見られず深夜やってきた冴木に梨湖は問う。
「あ?」
「何処に隠れるかって訊いてんだ。お前が一緒に居ちゃ、都が出てきても警戒して動かないだろ?」
いっそ隣の部屋にするか、と言うと、冴木は不満げだった。
「そんな離れてちゃ、都が動いてもわかんないだろ。
窓から出られたりしたら、見えねえし」
はい、ごちゃごちゃ言わずに寝た寝た、とベッドに追いやられる。
「待て。
なんでお前まで入ってくる」
「心配しなくても何もしやしないさ。
お前は児島都だからな」
勝手に横に陣取りながらそんなことを言う。
「私は都じゃないぞ」
「その身体がって意味だ」
「お前、宮迫たちには中身が一緒なら構わんって言ってたじゃないか」
「構わないで欲しいのか?」
と冴木は嗤う。
そうじゃなくて~。
「お前の言うことは何処までほんとだかわからんからな」
天井を見ながら梨湖は呟く。
「そうか?」
と素知らぬ顔で言う冴木が確かにひとつ、自分に嘘をついているのを知っている。
「冴木」
と横を向いて呼びかけると、
「康介、だろ?」
と言われる。
「今、誰も居ないじゃないか」
と梨湖は顔をしかめた。
「じゃあ。
なあ、康介。
お前、少なくとも、私に力を分け与えたこと、後悔してないってのは嘘だろう?」
「それを聞いてどうするつもりだ?」
頭の後ろで腕を組み、天井を見上げている冴木が呟くように言う。
「まあ……確かに、どうしようもないよな」
「言っても意味のないことは言うな」
と、こちらを向いて笑う冴木の顔は、結構やさしげだったが、その言葉は、梨湖の言ったことを肯定しているも同然だった。
「言ったよな、冴木」
と性懲りもなく、冴木と呼びながら、その茶がかった瞳を間近に見つめて、梨湖は言う。
「私はお前のために出来る限りのことをする――」
「……犯人」
「ん?」
「捕まえて、俺に手柄、立てさせてくれるんだろ?」
「ああ」
「それが――
ほんとに斉藤零児だったとしても、お前、俺に引き渡せるか?」
「どうして?」
心底不思議に思って梨湖は問い返す。
「お前、自分では気づいてないかもしれないが、あの男に、相当想い入れしてるぞ。
なんのシンパシーを感じてるのか知らんが」
「そうか?」
「その証拠に、あいつと居ると、蒲沢がヤキモキしてるだろ」
まあ、それは確かに……。
「でもなあ、シンパシーっていうか。
うーん」
と梨湖は起き上がり、こめかみに人差し指を当てて唸る。
「なんていうか、あいつ。
そう。
お父さんと雰囲気が似てるんだ。
お父さんもあんな風に、生きている感じの薄い人だった」
立てた膝を抱え、考え込んでいると、起き上がった冴木が言う。
「そういや、お前、俺のことも父親みたいだとか言ってなかったか?
全然タイプが違うと思うが」
「ああ。
お前はな、世間一般の、いわゆる『親父』ってやつだ。
普段は、どうしようもなく駄目っぽいんだが、いざってときには頼りになるって言うか」
「褒められてるのか、けなされてるのか、わからんな。
どちらにしても、梨湖様。
何度も言うが、俺はお前みたいなデカイ娘が居るような年じゃないぞ」
「わかってるよ、物の例えだ」
「まあ、兄貴にゃなれんか。
お前にとっての兄貴は蒲沢だからな」
恋人じゃない、と言う。
梨湖は枕を抱え、倒れ込む。
確かに。
はっきり言って、梨人に対して恋愛感情と呼べるものがあるのか、今でもわからない。
額に手の甲を翳し、その指の隙間から窓の方を見ながら、ぽそりと呟く。
「あのときは―― 梨人を誰にも渡したくないと思ったんだ。
深沢にも都にも。
だけど……」
「それはあれだろ、梨湖様」
横になった冴木は頬杖をついて、こちらを見る。
「俺の中に入ってるときの蒲沢だろ?」
まあ、そうだけど。
「つまりそれは、俺を好きなんだってことじゃないか?」
「……一度なってみたいな、その性格。
まあ、冗談はさて置いて」
冗談じゃないんだが、と冴木は眉をひそめたが、無視した。
「児島都がどちらかの事件の犯人だったときの話だが」
冴木の頬が少し引き締まった。
もちろん、彼もそれが真実だった場合の対処の仕方を想定してはいることだろうが。
今度、都がやっているとしたら、恐らく、『他人を操って』ではない。
都に、もうそこまでの力は残ってないはずだ。
「仕方ない。
そのときは、私を警察に突き出せ」
冴木は何も言葉を発しなかった。
彼が何を考えているのか、梨湖にはわからない。
いつも表情豊かなくせに、こんなときには、一切、その心を読ませないからだ。
「ところで、私、もう寝るよ。
いつまでも起きてたら、都の自由にならないだろうからな」
と布団を被ろうとすると、横で、
「俺は暇なんだが……」
と文句を垂れる。
「そこにある零児の本でも読んでろ。
あいつの恩師の本らしいが、あいつも一章ほど書いてるんだ。
なかなか面白いぞ」
枕許の本を指差し言うと、
「こんなもの読んだら、寝る」
と冴木は一応、手に取りながら言う。
「零児が書いてるのは、辻占の章だ。
たぶん……読んでおいた方がいいぞ」
そう言って今度こそ目を閉じる。
冴木が何か問いたそうにこちらを見たのを感じたが、そのまま、背を向けた。
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