八角堂


「なにしてるのかな、こんなところで」


 いきなり背後に立っていた零児に、押さえてろよ、梨人~と梨湖は勝手に恨みがましく思う。


「えっとあの、ごめんなさい。

 此処のドアが開いてたから、閉めようと――」


 閉めようとして、パソコン立ち上げるのはおかしいよな、と思いながら振り返ると、画面は真っ暗になっていた。


 どーやって!?


 零児も気がついたらしく、

「今パソコンついてなかった!?」

と言う。


 珍しく取り乱した様子が可笑しくて、笑いをこらえながら、

「……いいえ」

と梨湖は言った。





「それじゃあ、どうもお邪魔しました」

「うん、面白かったから、また来て」


 あながち嘘でもなさそうに、零児は言った。


 どう考えても、徹はコンセントを引っこ抜いて電源を落としたのだが、それを咎めることもなかった。


 ……壊れてなきゃいいけどな。


 それにしても、あの八角堂は――。


 梨人と何か話している零児の横顔を見ていると、

「都ちゃん、都ちゃんっ」

と徹が嬉しげに呼びかけてくる。


「助手席、助手席乗りなよっ」

と両手でドアを開けて、『都』を乗せようとする。


「じゃあ、零児さん、また」

と言いながら、梨人がそこに割り込み、助手席に乗った。


「お前っ、後ろにしか乗んないんじゃなかったのかよっ」


 わめく徹を抑え、そのまま三人は徹の車で帰った。




 どうせ、徹も都の家には近寄れないので、近くで梨人とは別々に降ろしてもらう。

 一緒に降りると、ごちゃごちゃうるさいからだ。


 あの公園で、梨人とこっそり待ち合わせることにした。

 梨人は噴水に腰かけ、ぼんやり夕空を見上げていた。


 こちらを見て、一瞬、目をしばたたく。


「どうした?」

「いや、今、ちょうど、逆光になってたから、ほんとにお前がお前に見えた」


「そうか? シルエットも違うと思うが」

と不満げに言うと、


「お前、ほんとに都、嫌いだろう」

と笑われた。


 側に立ち、板倉の刺殺体が見つかった外の茂みの方を見ながら言う。


「さっき、徹はなんで、あの結界の中に入れたんだろう」


 結界か、と梨人は呟き、

「恐らく、あまりにも霊能力がないんで、反応しなかったんだろう」

と言った。


「そういう体質も便利だな」


 梨湖は梨人に今見た八角形のお堂の話をした。


「あれ、夢に出てきたのと一緒だったんだ」

と側に立ち、梨人を見下ろして言う。


「夢の中では、板倉の魂は、そのお堂の結界に封じ込められてるみたいだったんだろう?

 じゃあ、封じ込めているのは、斉藤零児?」


「しかし、パソコンの中に作り上げたお堂の中に、本物の人間の魂を入れられたりするものかな。


 第一、なんのために、零児が?」


 梨人は考え込んでいたが、ふっと、迷いを振り切るように言った。


「斉藤零児が板倉殺しの犯人で。


 板倉の霊魂に犯人の名をしゃべられないよう、その仮想空間の中に造ったお堂に封じ込めたとか」


「なんで、零児が板倉を?」


「今までの被害者たちの身内か恋人で、板倉が犯人だと――


 まあ、表面的にはそうだからな。

 気がついて、復讐したとか」


「待てよ。

 警察も板倉のことはわかんなかったのに、なんで零児がそんなことわかるんだよ」


「庇うなあ、お前……」

と梨人は眉をひそめた。


「お前だって、さっき言いたくなさそうだったじゃないか」


 確かに、と梨人は素直に認める。


「お前たちが席を外している間も話してたんだが。

 なんというか、厭味な感じがしない。


 知識も豊富だし、あたりは柔らかいし、この俺が珍しく話が合うんだ」


 そういえば、いつの間にか、零児さんなどと呼んでいた。


 じゃあ、なんで、と言いかけた言葉を塞ぐように、梨人は言う。


「いや、宮迫のときを思い出して」


 そういえば、あのときも珍しく、梨人と息が合った宮迫が、結局、恵美子殺しの犯人だった。


「だからってお前……」

と梨湖は不満げに呟く。


「前の被害者たちと零児が関係あるのなら、宮迫たちが気がついてるはずだろ?


 それと、あのお堂だが。

 中に居るときは作り物という感じはしなかったな。


 かなりリアルだった。木の節目まで」


「……どっかにあるのかもな」

「え?」


「何処かに本物のあのお堂があって、零児はそれをモデルに作ったのかもしれないぞ」


 本物があるのなら、捜してみた方がいいかもしれないが、どうすれば……。


「ところで、お前、なんで零児のところに一人が行った?」

「……テスト中、うたた寝してて」


 そう言うと、梨人は眉をひそめたが、とりあえず、気づかぬふりをする。


「夢を見たんだ。

 でも、あれは、夢というより、過去の記憶。


 ぼんやりとしか見えなかったんだが、人が大勢行き交う何処かの家の塀の前で、零児が泣いていた。


 たぶん、都の記憶だと思ったんだ。


 私、最初に零児を見たとき、どきっとしたんだよ。

 一瞬、動けなかった――」


「……知ってる」

と梨人は不機嫌に言う。


「あれ、たぶん、どきっとしたのは、私じゃなくて、都だったんじゃないかと思うんだ。


 都は何処かで零児と会ったことがある。

 それで、零児を見て動揺したんじゃないか?」


 お前じゃなくて、都がねえ、と胡散臭そうに呟いたあとで、


「零児と何処かで会ったことがあるとして、どうして、都がそんなに動揺する必要がある?」


「それなんだよ。

 そこがよくわからなくて。


 それにな、零児の方に、私、って、都だが――

 に会ったことはないかと訊いたんだが、知らんと言うんだ」


「それは、都は零児を印象強く覚えているが、零児にとっては、特に印象に残らない人間だったってことなんじゃないか?」


「そうか。単にそういうことなのかもな……」


「ところで梨湖。それが都の記憶と感情だったして。

 お前、そんなに強く都と繋がってるのか?」


 梨湖は言葉を出すのを躊躇ためらった。

 梨人が余計な心配をしそうだったからだ。


「まあ……記憶とかはな。

 そんなに感情面で影響を受けてるとは思わないんだが」


 梨湖は、ふっと例の茂みの向こうを見て呟く。


「もしも、都の意識が起きているのなら。

 板倉を生かしておくのは不安だろうな」


「おい」

と梨人が立ち上がりかける。


「あ、いや、言ってみただけだ」


 だが、夜など、自分の意識が眠っている間のことはわからないと思った。


 夜になると、特に強く見えてくる都の殺人の記憶。


 そして、あの夜の――。


「あれっ?」

「どうした?」


「いや……別にわざとやってるわけじゃないんだろうが。

 都の意識は厭なものばかり読めるんだ。


 見たこっちが厭な気持ちになるようなことばかり。


 でもさ、板倉とかに襲われたときの記憶はあるけど、徹とのことで、ゴタゴタした記憶はないんだよな」


「それはどちらかと言えば、都の失態だからじゃないのか」


 そう言いかけた梨人が言葉を止める。


「どうした?」


「いや……なんでも。

 そんなことより、お前、帰らなくていいのか?」


 あっ、と梨湖は腕時計を見て叫んだ。


「そうだそうだ。今日は『ママ』が早く帰ってくるんだった」


 ママねえ……と梨人が呟く。


「仕方ないだろ、呼んでるこっちも気持ち悪いけどさ。

 なあ」


「ん?」

「お母さん、どうしてる?」


「どうって……、いつも通り」

 そう言われ、ちょっとがっくりと来た。


 梨人がうまく術で誤魔化してくれてはいるようだが、それにしても、娘は今居ない設定になっているはずなのに、少しは淋しがれ、と思ったのだ。


 まあ、実際に淋しがられたら、こっちも心配になるのだが。


「お母さん、頼むよ」

「ああ」


 じゃあ、また、と手を振り歩き出す。


 公園の出口のところで振り向くと、梨人は例の茂みの方を見て、何事か考え込んでいた。





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