最初の言葉

 

『児島都』があの事件の被害者であることは、一般には知られていない。


 あの事件から、唯一生還した都を、犯人が狙う可能性もあったので、マスコミに名前が伏せられていたからだ。


 だが、もちろん、都の周囲の人間は知っているはずなのだが。


「えー、なにそれっ」

と立ち上がった徹は叫ぶ。


「入院してたって聞いてはいたけど、ほんとだったの?

 てっきり僕に会わせないための口実かと思ってた」


 一応、そこんとこは疑えるのか。

 あながち馬鹿じゃないんだな、と徹を見上げていたが、話の続きを促すような零児の視線に気づき、梨湖は言った。


「塾帰りに、ちょっとした事故にあったんです」


 零児に、あからさまな嘘をつくのは、気が引けたので、そう曖昧に答える。


 それで、車にでも引っ掛けられたのかと勘違いするのは、向こうの勝手だし。


 そう、と言う零児は、何故か疑わしげにこちらを見ている。


 そして、その零児を梨人が見ている。


 お互いがお互いを探るような、微妙な緊張感が場に満ちていた。


「あ、僕、お手洗い!」


 話の流れをぶった切るように徹が言った。


 零児は軽く笑うと、

「どうぞ、そこの廊下の奥だから」

と手で示す。


 徹は、すぐさま、すたすたと部屋を出て行った。


 



 徹は廊下を歩きながら、辺りを見回した。


 でっかい家だなあ。

 まあ、うちの方が大きいけど。


 この家にひとりで住んでるなんて本当なんだろうか?


 それにしても、都ちゃんも警戒心がないっていうか。


 女の子ひとりで、男の家に、のこのこ来るなんて、危ないじゃないか、と最も危ない自分のことは棚に上げ、思っていた。


 ふと徹は、足を止めた。


 何故か、南側の部屋のドアが薄く開いて、風に揺れていたからだ。


 風圧で開いたのかな。

 それとも閉め忘れ?


 徹は、なんの躊躇もなく、人の家のドアを勝手に開け、その中へと入り込んだ。



 

 ふっ、と零児の顔つきが変わったのに、梨湖は気づいた。


 だが、零児はそれを悟らせまいとするように、いつもの顔で言う。


「何か今、変な音しなかった?」

「そうですか?」


「此処、結構風が強くてね。物が落ちたり、ドアが開いたりするんだ。

 見てこよう」

と立ち上がりかける零児を、梨湖は制した。


「私行きます」

「でも―」


「きっと、徹さんです。

 あの人、そそっかしいから、何かしでかして、バタバタしてるのかも。


 私、見てきます」


 実際、徹がそそっかしいかどうかなんて知らないのだが、如何にもそんな感じなので、説得力があった。


 笑顔で言い切る梨湖に、零児もそれ以上、強く押してはこなかった。



 

 行ってみると、案の定、あの部屋のドアが開いていた。


 零児の様子から、この付近で何か起こったのではないかと思っていたのだ。


 なるほど、いい仕事をするなあ。


 梨人の言葉を思い出して、そう思う。


 だが、梨湖がその部屋に足を踏み入れようとしたとき、何かに弾かれた。


 ――結界?


 梨人はそんな話はしていなかったが、外から覗いただけだったのだろうか。


 それとも、梨人が入り込んだのに気づいて、後から結界を張ったのだろうか。


 そして、そんなことの出来る斉藤零児という男がますます胡散臭く感じられる。


 そのとき、梨湖の目の前で、ごそごそしている男が居た。


「徹! ……さん」


 慌てて付け足した梨湖に、何故か平気で結界の中に居る徹が、一瞬、こちらを見て止まったあとで言う。


「徹でいいよ、都ちゃん。

 ねえ、それより、これなんだろう?」


「なんだろうって――」

と見ると、徹は、あのパソコンを立ち上げている。


「えっ、ちょっと勝手に、人のパソコン……っ」


 確かに見てみたいとは思っていたが、立ち上げるのにも閉めるのにも時間がかかるのに、今はまずいのではないかと思った。


 だが、そこに映っていたものに釘付けになる。


「それっ!」


 それは、立体的に造られた八角形のお堂のCGだった。


「ねえ、なにしてるの?」

 背後から声がした。




 雑然とした捜査本部の中、目の前で語る久保の話を適当に聞き流しながら、冴木は手許の資料を読んでいた。


 久保が去ったあと、宮迫がやってくる。


「大変ですね、後輩に押し付けようとしてたのに、また本部に連れ戻されて」

と、いっぱしの嫌味を言う。


「お前も遠からず同じ目に合うさ」

と目を上げずに笑った。


「斉藤零児なんですけど」

と宮迫は声を落とす。


「ひとつ、気になることが――」

 その言葉に冴木はようやく顔を上げた。


「もし、辻占が正しくて。


 彼が何某なにがしかの事件のヒントになる人物だと想定した場合の話なんですけど。


 前回の被害者で、斉藤怜奈れなって居ましたよね?」


「調べた」

 冴木は宮迫の前に、その資料を投げる。


「あのとき、一応、斉藤怜奈の周辺は調べていただろう?

 だが、親戚筋まで、事細かに調べたりはしていなかったからな。


 今、調べ直してみたんだが、別に零児とは関係ない」


 そうですか、と宮迫は溜息を漏らした。


「なんだと思ったんだ?


 斉藤零児が斉藤怜奈の身内で、まだ我々が知らない、今回の事件に繋がる何かを知っているとでも?


 それとも――」


 それとも――


 そこで、入り口に居た署長に呼ばれ、冴木は立ち上がる。


 行きかけて振り返った。


「でもな、宮迫。

 辻占ってやっぱり、最初に聞こえた言葉に一番意味があるんじゃないか?」


「『昨日、マックでさー』ですか?」

と嫌そうな顔をする。


「まあ、俺にも意味はよくわからんが」

と冴木は時計を見た。


 もう模試は終わった時間だな、と思った。






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