気配

 

 小奇麗に片付いたキッチンで、紅茶のセットを前に、梨湖は唸る。


 一度零児が淹れるのを見ていたのだが、時間も細かいし、かなりめんどくさかった。


「大変ですね、紅茶淹れるのって」


「珈琲でも一緒だよ。

 君はそっちは慣れてるんだろうから、めんどくさいことを無意識のうちにやってるんだ」


 ちょっと待ってて、と言い置き、零児は奥へと引っ込んだ。


 零児の淹れてくれた香りの強いお茶を前に、今の手順を思い返そうとしていた梨湖だが、ふと、背後に、何かの気配を感じた。


 零児ではない――。


 誰か……居る!


 振り返ったが、もちろん、そこに『人の姿』はない。


 しかし、零児が消えたのと、反対側の部屋の隅が、微かに歪んで見えた。


 梨湖はそこに眼を凝らすと、声を落として問うた。


「……オマエは誰だ?」


 何処かで感じたことのある、この気配――。



 

「うーん」

 自分の淹れた紅茶を前に唸っている児島都を、零児は陰から見つめていた。


 真剣に悩んでいるらしいその後ろ姿に、ほんとに可愛い子だと思う。


 顔立ちうんぬんの話ではない。


 彼女の纏っている空気がとても奇麗なのだ。


 だが――。


 零児は都の後ろ姿に眼を凝らす。

 彼女の周りが二重にブレて見えた。


 あの赤黒い邪悪なオーラはなんだ?

 あの子が二重人格だとでも?


 ふっ、と零児は気配を感じた。


 都が居る部屋の隅。

 彼女もまた振り返る。


「……オマエは誰だ?」


 いつもとは違う口調でそう言い放つ都のオーラは、神々しいほどの白さを持っていて、ますます零児にはわからなくなった。


 都ちゃん……君は、僕の味方なのかい?

 敵なのかい?


 あの日、夕暮れの道で振り返った児島都の姿を思い出しながら、踏ん切りをつけるように、零児は青いクッキーの缶を手にする。


 彼女の前に姿を現した。


「ごめん。

 待たせたね―」



 誰ガイイカト

   訊カレタカラ


 アノ人ガイイト 言ッタノ



 ダッテ、名前ガ素敵ダカラ――。




 ふいに高いチャイムの音がして、零児の話を聞きながら、お茶を飲んでいた梨湖は顔を上げた。


「都ちゃん、都ちゃんっ」


 零児の返事を待たずに、叫ぶ声と、玄関の扉を叩く音がする。


 いつか聞いたぞ、この声は――。


「君の知り合い?」

と眉をひそめた零児に問われ、


「そっ、そうみたいですね……っ」

と答える。


 できれば、他人のふりをしたかったが、都ちゃん、都ちゃんなどと叫ばれては、シリマセンと言うことも出来ない。


 にしても、玄関からこの部屋まで相当距離があるのに、どんな声だ。


 零児とともに、扉を開けると、案の定、徹が、

「都ちゃんっ」

と叫びながら、飛びついてきた。


「都ちゃん、なにっ、この男ーっ1?」

と零児を見上げて言う。


 今の状況じゃ、お前こそ、なに? だぞ、

と思ったとき、彼の後ろ、ポーチのところに見知った影があるのに気がついた。


「……梨人」


 なんでこの二人がペアなんだ?


 騒ぎの主が徹であることは想像できていたが、それに梨人がくっついていたことは想定外で、思わず、動きを止め、目をしばたく。


 後ろで零児が苦笑いしながら言った。


「あの、とりあえず、上がってもらったら?」




「なんで一人で住んでらっしゃるんですか?

 ご家族は?


 結婚してらっしゃらないんですか?

 お幾つなんですか?


 付き合ってらっしゃる方は?」


 ソファに座った途端に、捲くし立てる徹に、困った顔をしながらも、零児は軽く受け流しているようだった。


 横に座る梨人が小声で言う。


「たまたま連れて来たんだが、いい仕事するな、こいつ」


 自分たちが遠慮して訊けないことを、ズバズバ訊いてくれる。


「たまたま連れてくんなよ。

困ってるじゃないか」


 ちらと零児を窺いながら言うと、梨人は何故か冷たい目で見る。


「……なんだよ」


「いーや、別に。

 ところで、一人で来て、何か進展あったのか」


「いや、それがこれといって」

と言うと、


「なんで一人で来た?」

と鋭く訊かれる。


「ふいに思いついたから。

 って、なんでいちいち引っかかるんだよっ」


 しつこい梨人に苛々して、思わず叫んでしまう。

 零児たちがこちらを見た。


「あ……えーと、ごめん」

と浮かしかけた腰を落とす。


「あの、さっきから気になってたんだけど」

と零児が遠慮がちに話しかけてきた。


「もしかして、そっちがほんとの言葉遣いなの?」


 どうしようかと迷ったが。


「そうなんだ」

と梨湖は言った。


「実は、ちょっと前に事故にあって。

 そのとき、頭を打ってから、少し記憶が混乱したりして――


 言葉遣いも変わっちゃったりするんです」


 わざと今度の語尾だけ、元の都に戻しておいた。


「事故……?」

と零児が訊き返す。






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