つきまとう男


「えーと、何がいい? 紅茶でいいかな。それとも、珈琲?」

 居間に向かって歩きながら零児は言う。


「あー、えっと、紅茶。


 あ、そうだ。

 この間の紅茶、すごく美味しかったです。


 どうやったら、あんな風に淹れられるんですか?」


「じゃあ、一緒に淹れてみる?」

 親切な零児はそう言ってくれた。


 それに素直に従ったのは、ほんとに紅茶が美味しかったから、というのもあるが、梨人が言っていたことが引っかかっていたからというのもあった。


 居間以外の部屋も見てみたいと思ったのだ。


 零児はキッチンまで梨湖を連れて行ってくれた。

 廊下を歩いているとき、ふと、途中の部屋が気になった。


 何かの気配のようなものを扉から感じる。


 梨人が言っていたのはこの部屋のことではないかと思った。


 そこに潜む何かを意識で追いながら、梨湖は零児に気づかれないよう、素知らぬ顔で通り過ぎた。




 梨人は連たちをまき、ひとり児島の家に向かっていた。


 もう学校は出たはずだが、梨湖は何処に行ったのだろう。


 親の監視の目も緩んできたので、随分、自由に動けるようになったと言っていたのに。


 あいつがこの状況で何も動かないとは思えないが、まさかひとりで斉藤零児の家に行くほどの馬鹿では――


 ありそうだ……と足を止める。


 どのみち児島の家には行けないしな、と思ったとき、塀の側に車が止まっているのに気がついた。


 小型の外車だ。

 側をうろうろしているのは、若い男。


 なかなか可愛らしい顔をしている。


 しかし、うろついているのが、今、梨湖が寝泊まりしている児島の家の前だというのが問題だ。


「おい」

 声をかけると、男は文字通り飛び上がった。


 振り返った男は、思わずと言った感じで、声を上げる。


「げっ、蒲沢梨人っ!」


「お前、何故、俺の名を知っている?」


 明らかに自分より年上の男なのに、何故かタメ口で違和感がなかった。


「お前、何故、俺の名前を知っている?」


 男が答えないので、もう一度、梨人は訊いた。


「……興信所に調べさせたから」


 梨人は更に訊き直そうかと思った。


 だが、訊き直すまでもなく、男は自分で繰り返した。


「興信所に調べさせたんだ。

 僕の居ない間に都ちゃんに近づいた男のことを」


「別に児島都に近づいた覚えはないが」


 というか、そもそも、あの女に興味はない、と言うと、男は、ほっとしたように胸を撫で下ろした。


「まあそう聞いてはいたんだけど。

 ほんとにそうなんだね、よかった」


 ……なんなんだ? こいつは。


 警戒心の欠片もなく、恋敵かもしれない男に、興信所に調べさせたなどと言う。


 都にチクられたら立場が悪くなるとか思わないのだろうか。


 素直なのか、莫迦なのか、どっちだ? と梨人は窺うように、男の笑顔を見つめた。


 まあ、本来、都の周りの男のことなんて、どうでもいいのだが、今の都は梨湖だ。

 仕方なく、訊いてみる。


「お前、児島都のなんなんだ?」


「僕は都ちゃんの恋人だ」


 ――は?


「って、言ったら、都ちゃんに違うって言われた……」

と力なく付け足す。


 どうやら、ただの害のない間抜けのようだった。


 梨人は溜息をつくと、項垂れている男に近づき、肩を叩いた。


「そのお前の都ちゃんは何処に行った?」


「知らない。

 まだ今日は家から出てきてないよ。

 叔母さんが今日は居ないから、僕、ずっと此処で待ってたんだけど」


「ずっとって、いつから?」


「十時から」

 梨人は腕時計を見た。


「都ちゃん、お休みの日は、十時まで寝てるはずだから、それからずっと待ってたんだけど」

と屋敷を見上げて、ぶつぶつ言っている。


「……都なら、模試受けに学校に行ったぞ」


「ええっ!? なんで都ちゃんが模試なんて。

 エスカレーター式で楽勝って言ってたのにっ。


 っていうか、そういえば、お前、なんで、都ちゃん呼び捨てにしてんのっ!?

 僕だって、ちゃん付けしてるのにっ」


 ぎゃあぎゃあうるさい男に、余計疲れた梨人は問うた。


「その車、お前のか」

「そうだけど?」


「乗せてけ」


 それでなくとも、まだ本調子でないのに、学校では連が騒ぎを起こすわ、こいつはウルサイわ、今から零児の家に歩いていくのは、ちょっと辛い感じだった。


「なんで、僕がお前を――!」

「憧れの都ちゃんが、別の男の家に行ってるかもしれないぞ」


「えっ?」


「俺は都には用はないが、相手の男に用があるんだ。

 お前はその男のことを突き止めたいだろう?

 乗せてけ」


 うむを言わせぬ口調で言った梨人に、男は頷く。


 だが、すぐにまた文句を言いはじめた。


「おい、なんでお前、後部座席に乗るんだよっ。

 僕が運転手みたいじゃないかっ」


 梨人は知らなかったが、梨湖が冴木に言われたのと同じことを、その男、世賀谷徹せがや とおるは梨人に向かってわめく。


「俺が助手席じゃ気色悪いだろうが。

 黙って運転しろ」


 まったくもう……と言いながらも、徹はおとなしく運転しはじめた。


 意外に落ち着いた、いい運転だった。


 しかし、都にこんなストーカーが居たとは、危ないな。


 あそこにポケッと立ってたことからしても、家には近寄らせてもらえないようだから、そう問題はないとは思うが。


 ミラー越しに徹の顔を窺いながら、呼びかける。


「おい」

「なんだよ」


「お前、大学生か?」


「そう、普段はイギリスに居るんだ。

 その制服、英凛だよね?」


「よくわかったな」


 ああ、興信所からか、と思ったが。


「僕の母校だから」

と徹は言う。


 げ、先輩――

と思ったが、梨人はその事実には触れないよう、素知らぬふりをした。







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