ゼロの子
「斉藤零児は死んでいる、か」
夜道を歩きながら、矢島は呟く。
車は近くのパーキングに止めていた。
宮迫は人気のないその道を見つめ、ぼそりと呟く。
「そうですね。
死んだんでしょうね、斉藤零児」
はあ? と矢島が振り向く。
「この間見たろうが」
いえ、と宮迫は矢島の前にその紙を晒して見せた。
「死んでるんですよ、ほら」
『斉藤健太』
と斉藤怜奈の資料を見せる。
「バイク事故で、高校生のとき、死んでるんです、斉藤健太」
それは怜奈の弟だった。
「……どういうことだ?」
「母方の実家が同じ佐渡っていうことに、なんの意味があるのかと思ってましたけど。
さっきの話聞いてわかりましたよ。
斉藤零児が高校生で死んだと、彼の小学校のときの同級生に零児の姉は言った。
ところが、高校生で死んでいるのは、『斉藤健太』です。
ということは――」
「……このとき、死んだ斉藤健太が、斉藤零児?
二人は入れ替わってたのか?」
逆です、と宮迫は資料を戻しながら、溜息を漏らした。
「入れ替わっていたのが戻ってたんです。
普通、出産って、何処でします? 矢島さん」
「あ、そうか。
カミさんの実家」
「斉藤零児と斉藤健太は取り違えられていたんです。
それがいつ頃か。
まあ、恐らく、中学校でしょうね。
そのことに気づき、二人はそれぞれの家に帰された。
でも、取り違えの話なんか周囲にしたくないですよね。
今日からこっちがうちの子ですとか、特にあれくらいの家になると、言いづらいものなんじゃないんですか?
零児の家は新たな場所に引っ越し、さも、最初から今の斉藤零児が斉藤零児であったかのように振舞った」
だが、零児の姉と零児は未だによそよそしかったという。
そして、離散している家族。
「そうか。
もしかして、斉藤健太が死んだから」
「ええ、恐らく。
もしも、あのまま何事もなければ、今頃は普通に暮らせていたかもしれません。
もう元の家族に戻ってからの年月の方が長くなってるんですから。
でも、斉藤健太は死んだ。
取り違えたことに気づいて、二人を元に戻さなければ、とか。
なんで自分が育てた子が死んで、この子が生きているんだとか。
うちで引き取った子は死んだのに、あっちでは、自分が育てた子が生きているのは、ずるいとか。
まあ、それぞれの家庭で、いろんな葛藤があったんじゃないですかね」
「でも――
勝手だな」
ぼそりと矢島はそう言った。
そう。
そんなことは生き残った零児には関係ない。
健太の死の責任と、二人分の子としての責任と役目を押し付けられた斉藤零児。
そして、運悪く、彼にはあの力があった。
普通の人間よりも感受性が鋭かったはずだ。
「でも……今でもあるんだな、取り違えなんて」
子の親として、矢島は宮迫よりも、深く想いに沈んでいるようだった。
「着きましたよ、矢島さん。
少し、下がっててください」
そこはあの通りだった。
そして、斉藤怜奈の死んだ場所。
宮迫は目を閉じ、暗がりに集中した。
背後の飾り棚に置いた和製のランプにだけ火を入れ、零児はあのパソコンを立ち上げていた。
ぼくんやりとその画面を見つめる。
本当は電気なのだが、まるで本物の蝋燭のように揺れるランプの明かりが、つるりと光る画面に映し出されていた。
佐渡の一部地域には、辻で三番目に逢った人に、赤子の名をつけてもらうという風習がある。
『零児――』
僕に名前をつけてくれた人は、何を思ってそうつけたのだろう。
時折、それを疑問に思う。
それでというわけじゃないんだろうけど。
僕に深く関わった人間は次々に、この世から消えていく。
あの日もそうだった。
僕らを取り上げたお産婆さんが殺された。
ひとりは初めから自宅出産をすることになっていたので、お産婆さんを呼んでいた。
ひとりは大きな街の病院で産むはずだったのに、予定より早く産気づいて、もうどうにもならなくなって、お産婆さんが居たその家に連れてこられた。
どちらも凄い難産で、ようやく産まれたときには、みんな疲労困憊していた。
ところが、生まれたばかりの赤子二人は泣きやまず、母親二人がそれを気にして、ロクに眠ることをしなかったので、ついにお産婆さんが、近所の自分の家に連れて帰った。
そこで事件は起こったのだ。
街で暮らしているお産婆さんの息子が、いつものように金をせびりに深夜訪れた。
しかし、ふたつの難産に立ち会ったばかりのお産婆さんは疲れており、息子にいつも以上にひどい言葉を投げかけた。
後でその息子が自供したところに寄ると、
「あんたも昔はこんな可愛い赤ん坊だったのに」
から始まり、ネチネチと昔のことを持ち出して厭味を言われた。
その間に、片方の赤子が泣き出して、それに釣られて、もう片方も泣き出した。
狭い部屋に反響する赤子の泣き声に、ともかく苛ついたのだと話していたという。
零児はなんとなく、最初に泣いた赤子というのは、自分のことではないかと思った。
いつも自分が人に不幸を呼び込む。
小学六年のとき、恒例行事で夏休みに船に乗って旅行に出るという企画があった。
母親はあんたは船酔いしそうだからやめておきなさいと言った。
だけど、自分が粘ったので、優しかった、当時、母と結婚していた男性が―― ともかく、物心ついたときには、父親はよく変わっていた――、まあ、そんなに行きたいのなら行きなさいと言ってくれた。
そして、万が一事故にあったときのために、血液検査をしておきなさいと忠告までしてくれた。
その血液検査がすべてを引っ繰り返したのだ。
産婆さんが殺されたとき、同じ産着を着ていた自分たちは、どちらがどちらかわからず、結局、病院で血液検査をして、それぞれの家に送られた。
間違ったのは、その大病院だったのだ。
だが、斉藤の家が事を公けにしたくながったので、その事件は表沙汰にはならなかった。
斉藤零児は加藤健太として(当時の父は加藤と言った)、加藤健太は斉藤零児として、それぞれ新しい環境で一から始めた。
あんなことさえ起こらなければ、そのうち、僕は斉藤の家に馴染めていたろうか。
いや、『健太』が死んだのは僕のせいだ。
あの家に行かなければ、健太は死ななかったかもしれない。
斉藤の両親は、決して、子どもにバイクなど許すような親ではなかったのだから。
画面の中で、お堂を取り囲むように、蒼白い炎が揺れている。
なんて邪魔な結界。
「板倉をそこから引きずり出せ」
画面の中の闇に住まうものに呼びかけてみるが、狐の蒼い炎に阻まれ、入れない。
狐が道を開けるのはあのときだけ。
板倉が導いてくる少女の魂。
あれがこの中に入るときだけ。
後ろ姿と、後はお堂越しなので、はっきりとは見えないが、真っ白なオーラを持つ美しい少女。
児島都とも似ているが、背格好がまるで違うようだった。
今日はまだあの少女は来ていないようだと思ったとき、ふと気づいた。
いつもはある気配がない。
「怜奈……?」
そう呼びかけ、振り返る――。
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