零児の過去
「斉藤怜奈。
梨湖ちゃんが見つけた二人目の被害者ですよね。
道に引きずり出されてた」
夜八時、既に閉まっている大学の食堂に、宮迫と矢島は居た。
営業はしていないが、カップ麺の自販機とお茶が置いてあるので、夕食をとっている職員や、お菓子を持ち込んで休憩している生徒たちが居る。
「実家は福井。
東京でひとり暮らし。
母親はスナックをやってましたが、父親が変わるたび、家を転々としてたらしいですね。
それから――」
そのとき、白衣を着た若い男が現れた。
大学にいつも泊り込んでいると言っていたから、もっと小汚い感じを想像していたのだが、短髪で髭もない、意外に小ざっぱりとした男だった。
ガタイのいいその男は、どうも、と立ち上がった二人に、頭を下げる。
「萩原です」
「すみません、お忙しいのに」
「零児がどうかしたんですか?」
と彼は緑の丸椅子を引きながら問うてきた。
宮迫たちは、松田などの情報源が多いことから、斉藤零児について先に調べ直すことにしたのだ。
松田に聞いたところに寄ると、彼、萩原
「あいつ、何か事件でも?」
と訊いておいて、そりゃあないか、と快活に笑う。
「いえ、実はその、仕事じゃないんです。
その、松田さんに頼まれて」
と松田の名を使い、声を落とした。
ああ、と萩原はすぐに反応する。
「もしかして、美幸ちゃんのことですか?
あれから会ってないけど、元気にやってます?
まだ元気ないのかな。彼女、零児にベタ惚れだったですもんねー」
「えっ、でも、美幸ちゃんが零児……くんをフッたんですよね?」
いやいやいや、と萩原は大仰に手を振って見せる。
「違うんです。
ほら、美幸ちゃんちとは家族ぐるみの付き合いだったじゃないですか。
それでフラれたなんて、美幸ちゃんが家族に言い出しづらいだろうって零児が気を使って」
うまくやってたんですけどねー、と萩原は首を捻っている。
「大学時代、後輩だった美幸ちゃんが、ガンガン押してきたんですよ。
零児、勢いに押されたみたいに、付き合い始めたんですけど。
でも、あそこのご家族も美幸ちゃんも明るいじゃないですか。
あの人たちと付き合うようになって、少し明るくなったかなあって思ってたんですけどね」
「それがなんで突然?」
「去年の八月だったかなー。
美幸ちゃん、友人たちと旅行中に、事故に遭いましてね」
ああ、職場の方ならご存知でしたか? と問われ、いいえ、と首を振る。
皆そんな家庭の事情は持ち込んではこないから。
「まあ、バイクで引っ掛けられた程度だったんですけど。
あの子、運動神経がいいわりに、ちょっと頓狂でしょう?
弾みで、自分で引っ繰り返っちゃって。
ガードレール乗り越えて崖下に転落しちゃったんですよ。
結構な断崖だったらしいけど、たまたま、木に引っかかって助かって。
でも、一歩間違ってたら、危なかったみたいですよ。
それで零児、真っ青になっちゃって。
入院中はかなり献身的に世話してたんですけどね。
退院してしばらくして、何故か別れちゃったんです」
と眉をひそめた。
萩原としても、納得のいかない展開のようだった。
「零児がまだ、家族を養えるような状態じゃないからって、先延ばしになってましたけど、結婚の話も出てたんですよ。
ほら、大学の助手なんて薄給でしょ?
塾でバイトでもすればいいんだけど、そういうガラでもないし。
ま、あいつ、そんなことしなくても、家には金ありますけどね。
都内に家二軒も持ってるんですよ。
しかも、もう一軒の方は今は使ってないみたいで。
あいつが中学のときに買ったって言ってたかな。
羨ましい話ですよね~」
と苦笑いした。
「あいつ、自分で養えるようになるまでは結婚したくないんだって言ってましたけど。
でも、僕には、言い訳のように聞こえてました」
何もない白い大きなテーブルを見ながら萩原は呟く。
「言い訳?」
「零児は自分の家族とか作る気ないみたいなんですよ。
ほら、あいつんち、一家離散してるじゃないですか。
そういうのも関係してるのかなって思うんですけど。
でも、だからこそ、美幸ちゃんみたいな子と結婚したらいいと思ってたんですけどねえ」
そう萩原は溜息を漏らす。友人想いの男のようだった。
「ところで、刑事さん。
なんで零児の話を松田さんが今更?」
「いえ、それが。
美幸さん今、付き合ってる人が居るらしいんですけど、どうも結婚に踏み切れないらしくて。
松田さんが、零児くんのことが引っかかってるんじゃないかって。
それでたまたま、この近くに用事があった僕らが、ちょっと零児くんの親しい人に話、聞いてみてくれないかって頼まれたんです。
ほら、直接、お兄さんだと言いにくいこともあるかもしれないじゃないですか」
はあ、なるほど、と萩原は顎に手をやる。
「零児に直接訊いても、自分のことなんか話しませんしねー、あいつ」
お手間取らせてすみませんでした、と話し終え、立ち上がった宮迫たちは頭を下げる。
「宮迫さんて言いましたっけ?」
と萩原は宮迫の方を見て笑う。
「貴方モテそうだから、いろいろご縁があるでしょう?
零児に女の子紹介してやってくれません?
出来るだけ、陽気で積極的な子。
また美幸ちゃんみたいな彼女が出来たら、あいつも少し変わるかもしれないから。
あいつ、仕事で出る以外は、閉じこもりがちなんですよね。
なんていうか、パッと見、男前だけど、霊が見えたりして、人と言動ちょっと違うし、ときどき違うとこ見てるし、不気味がる子も居るんですよね」
耳が痛い、と宮迫は、内心苦笑いする。
「でも……いい奴なんですよ」
俯きがちに微笑む萩原に、でしょうね、と答えた。
宮迫自身は直接、零児と話したことはないが、この萩原の入れ込みようといい、松田が妹と別れた男なのに、未だに気を使っている風なことといい、いい奴なのだろうとは思っていた。
「あ~、でもそういえば、一個だけ」
ふと思い出したように萩原は言う。
「僕は零児のこと、不気味だとか思わないんですけど。
ちょっと妙なことはありました。
コンパのとき、零児の小学校時代の友人っていう子に会ったんですけど。
その子、斉藤くんって、あの格好いい子よねって言ってたんですが。
なんだか話が過去形で。
よく聞いてみたら、『斉藤零児』は高校生のとき、死んでるって言うんです」
「え――?」
「でも、僕、零児と同じ高校でしたしねー。
そんな死んだと勘違いされるような事故にも病気にも遭ってないんですよ。
そんなはずないって言ったら、だって、お姉さんがそう言ってたって」
たまたま、その彼女が勤めているお店に、零児の姉が客として来たらしい。
昔、零児のことが好きだったという話になり、久しぶりに会いたいと言ったら、彼女は弟は高校のとき死んだと言ったのだそうだ。
「零児が小学校まで居たの、今とは違う区ですからねー。
ほら、もう一軒の家の方。
今のとこから遠いし。
彼女もその後、零児の消息を聞くこともなかったから、ああ、そうなんだって信じたらしいんですけど。
なんなんでしょうね、弟に会わせてくれって言われて、面倒臭くなったんでしょうか」
と萩原は首を捻っていた。
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