模倣犯

 

 そこは警視庁近くの小さなオープンカフェだった。


 梨湖は今朝の疲れを押し付けるように、鞄を胸に抱え、ストローでジュースをかき混ぜていた。


 結局、家を出たものの、学校には、具合が悪いので、登校出来るようなら途中から行くと電話をして、サボっていた。



 冴木は今日は本部より先にこちらに顔を出すということにして、時間を作っていた。


「ところで、いいのか、こんな目立つ場所で」

と梨湖は辺りを見回す。


 警視庁のすぐ近くの、しかもオープンカフェだ。


 冴木は脚を組み、警視庁を見上げて笑う。


「こういうときは、堂々としてた方がやましくないんだ。

 問われても、ちゃんとストーリーも出来ている」


 大方、婚約者が具合が悪くて、両親が忙しいので、自分が病院に連れて行った帰りとか、そんなところだろう。


「ところで、夕べ言ったことは本当なんだな?


 あの連続殺人事件。

 すべての犯人が都ではないと」


 冴木は真面目な顔になってこちらに問う。

 横向きに座った梨湖はテーブルに肘を預け、目の前の木の根元を見ていた。


 大きな蟻が根をよじ登ろうとしている。


「そうだ。

 都の記憶は順序がバラバラだったりもするから、そのせいかとも思っていたんだが。


 間違いない。

 都が行ったときには、もう死んでいた人間が居る」



 その人間が、たまたま都が殺す人間の条件に合致していたから、都はそれをそのままにして、その日は帰ったのだ。


 到着した都 ――いや、板倉か?

 その足許に流れてくる血。


 都がやるのと全く同じ手口の、模倣犯。


「今回のが前回の模倣犯なわけじゃなかったんじゃないか!?

 前回の事件にもそれが混ざっていて、もし、同一人物の仕業だとするなら、それはもう模倣犯じゃない」


 それは、或る意味、本当の『犯人』だ――。


 梨湖はストローに口をつけながら言う。


「まあ、今回は手口も少し違うようだし、わからないが。


 そのときの犯人と今回の犯人が同一人物だとしたら、零児は、少なくとも、辻での殺人に関しては、犯人から外れるな。


 あいつは前の事件のとき、日本には居なかったんだから」



 イラついたようにテーブルの上を見ていた冴木が、ふっと何かの気配を感じたように、顔を上げる。


 そこには、前島が立っていた。

 前島は目を細めて、こらちを見ながら言う。


「康介と―― 鏑木梨湖か?」


 えっ!? と梨湖はグラスを落としかけた。

 冴木も腰を浮かしかける。


 こちらまで来た前島は、じっと自分を見て、


「ああ、違うな。

 お前は確か、児島都」


 乗り換えたのか? というように冴木を見る。


「お前、こういうのが好みなんだな」


 『こういうの』というのは、自分と児島都をひっくるめての話だろう。

 自分たちはよく似ているから。


 前島は、そこに何故、綾が入る? と言いたいようだった。


 だが、冴木が引っかかったのは、もちろん、別のことだった。


「なあ、なんで今、こいつを鏑木梨湖だと思った?」


「ああ、今朝、コンタクトを落としてな。

 眼鏡だとあまり視力が矯正できないし、めんどくさいから、外してたんだ。


 見えてなくても、大体の外観と雰囲気で誰だかわかるんだが」

と前島は首を捻っている。


 恐ろしい奴だ……。


 しかし、そうか。

 視力に頼らない人間なら、相手は気配で誰かを判断する。

 要注意だと梨湖は思った。


 油売ってないで帰れよ、と前島が厭味をかまして去ったあと、冴木は呟く。


「梨湖様、俺はお前の記憶は当てにしてないが。

 やっぱり零児と会ったのは、都じゃなくて、お前じゃないかっていう説はなしかもな」


「すれ違ったか、ちょっと話したか。

 そのくらいの状態なら、お前も都もきっと同じだ。


 マジマジ見れば、全然違うが、ぱっと見の雰囲気は、よく似てるからな。


 それで零児が会ったことがないと言い切るのなら、やはり、単に、零児にとっては、都は印象に残らない相手で、都にとってはそうでなかったということなんだろう」


 何故、都の中に、零児がそんなに強いインパクトを残したのかはわからないままだが。


 一目惚れ、というのもないよな。

 都は梨人が好きだったんだし。


「ともかく、ほんとにあの男、一度も日本に戻ってないのか、調べてみるよ」


 そう言い、冴木はレシートを掴んで立ち上がる。


「ああ、私は適当に帰るから」

と、まだジュースを飲みながら見送ろうとすると、こちらを振り返って言った。


「くれぐれも先走るなよ。

 零児が犯人でないとしても、もし、『お前の思っていること』がほんとなら、あの男には必ず何かある。


 勝手に近づくな」


 その言葉とともに、タクシー代だ、とテーブルの上に金を置いて去っていく。


 手をつけないまま、ちらとその札を見て、梨湖は呟く。


「無神経なくせに、どうして、こういうとこだけ気が廻るんだろうなあ」


 あのマメさが長くモテる秘訣なら、将来的には梨人はモテなくなるかもな、とちょっと思った。


 あいつが気を使うのは、ほんとに気を許した人間だけにだから。




 さて、どうするかな? とカフェを出た梨湖は悩む。


 冴木にはああ言ったものの、もちろん家にも学校にも戻る気はなかった。

 さっきから妙な感じがしていたからだ。


 都の身体と魂のズレが激しくなっているような。

 こうして、日射しの眩しい街中を歩いていると、くらりと来るほどだ。


 やはり、駄目なのかな。

 梨人のチカラを持ってしても、冴木の身体に長く留まることは不可能だった。


 もうあまり長くはこの身体には居られないかもしれないな。


 都の身体は、仕方ない、彼女の意識が戻って来るまで、病院にでも預けるしか……。


 ふっ、と梨湖は息をついた。


 今まず、最優先すべきことは、あの最初から死んでいた死体が誰のものだったのか、確かめることだが。


 それは冴木が資料を持ち帰ってからしか出来ないことだ。


 冴木より自由の効く宮迫という手もあるが、『児島都』が宮迫と表立って会っているのはおかしいので、呼び出しようがなかった。


 それにしても暑いな、と思った。


 もう秋なのに。


 熱があるみたいに暑く、軽く嘔吐がつく感じがあった。


 寝不足のせいだろうか。


 いや――。


 梨湖は足許を見た。


 やっぱりか、と思う。


 歩道を這って来た赤子の霊が自分の足首を掴んでいた。


 だいたい予告もなしに嘔吐がつくときは、霊障であることが多い。


 まずいな。

 弱ると途端に、こういうのがやってくるから。


 そう思いながら、梨湖は強い霊障に、その場にしゃがみ込む。


 子どもが背中を這い昇ってくる。

 わあわあ、と大きな声で耳許で泣いているのは、その赤子だけではないようだった。


 ぺたり、と梨湖の頬にその冷たい小さな手が触れたとき――。


「都ちゃん!?」


 なんだろう。

 水の気配。


 澱んだ水面に落ちた一滴の雫が、波紋を広げ、辺りを染め変えるように、その声は、周りに群がる邪霊たちを一掃した。


「都ちゃん、大丈夫?」


 まるで人ではないかのような冷えた手が腕に触れる。


 さっきの赤子の手よりも、もっと冷たい――。


 梨湖はまだ重い視界を無理やり抉じ開け、あのときの前島のように、視界ではなく、感覚で見て呼びかけた。


「……零児?」





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