斉藤零児

 

「僕の名前はね、おじいさんが辻占でつけてくれたんだ」


 うん、と梨湖は、ぼんやりした頭のまま相槌を打つ。


「僕の生まれた地方では、子どもの名前を辻を通りかかった人につけもらうって風習があってさ。


 おじいさんはそれにならったわけ。


 『零児れいじ


 ゼロ――。

 おもしろい名前だろ?


 何を思ってその人はつけてくれたのかな。

 まるでこうなる未来がわかってたみたいだ」


 こうなる未来って―?


「お前は斉藤零児だって言われたとき。

 ああそうだって思ったよ。


 そうだ、それが僕の名前だったって」


 ふっと梨湖は零児の家のソファで目を開けた。


 やあ、と側に腰掛けていた零児が微笑みかけてくる。


「霊障? 大変だね。

 僕も体調が悪いときはよくなるよ」


 細かいことは訊かずに、サラッとそう言ってくれるのがありがたかった。


 同じチカラを持つ人間だけが感じる連帯感。


「ごめんなさい、貴方が助けてくれたんですか?」

と梨湖は身を起こす。


「そう。

 ちょうど教授の用事でお使いに出ててね。


 あの近くの出版社に行ってたんだけど。

 誰かが強く助けを求めてるのを感じてね」


 君だったとは、と零児は苦笑する。


「あの、今、何か話してらっしゃいましたけど。

 もしかして、私、今、返事してました?」


 もしかして、自分の意識のない間に、都が出ていたのでは、と不安になって訊いてみる。


 うん、でも相槌程度だよ、と零児は言った。


「なんとなく、君の寝顔見てたら、話しかけたくなって。

 僕ね、あんまり同じ力を持ってる人と出会ったことないんだ。


 だから、君を初めて見たとき、びっくりしたんだ。

 あの夕暮れの中で、君のオーラは真っ白な羽根みたいに広がって見えた」


 冴木もまったく同じことを言っていた。


 白い羽根――。


 何故なのだろう。

 この手も魂も、あれだけの血に汚れているというのに……。


「動ける?」

「え?」


「ちょっと来て。

 見て欲しいものがあるんだ」


 そう言い、零児は立ち上がる。




 

 零児が梨湖を連れて行ったのは、あの部屋だった。


「本当は見たんだろう?」

 そう言いながら、零児はパソコンを立ち上げる。


 なんと答えたものかと迷ったが、彼は別に答えを待ってはいなかったようだ。

 ただその目はゆっくり立ち上がるパソコンの画面を見ている。


 一緒にその起動音を聞いているとき、違う音声が混じる感じがあった。


 ワタシ……


  ……ナッタノ


 誰? 誰の声だ?


 梨湖は目を閉じる。


  ……オナジ……


 ニナッタノ……


 女、女の声。


 この気配は、あのとき、キッチンで感じた。


 いや、その前にも何処かで――。


 梨湖の脳裏に足許に押し寄せる血のビジョンが見えた。


「凄いね」

 ふいにした零児の声に、ハッとする。


「あの徹くんとかいう人。


 勘がいいね。

 彼には霊感なさそうだったのに。


 よくこれを選んで呼び出したよね」


 画面にはあの、八角のお堂が現れていた。


「あっ、ああ、それは、一番わかりにくい場所に隠してあったからだそうです。


 なんだかあの人、パソコンがあったら、開けたくなるし、取り出しにくいものがあったら、取り出したくなるし、パスワードがあると破りたくなるらしくて。


 ――って、すみませんっ」


 言ってる途中で、そりゃロクなもんじゃないなと思う。


 一応身内の不始末だし、謝ってみた。

 まあ、いいよ、と零児は苦笑する。


「ほんとは時期が来たら、君には見せようと思ってたんだ」

「えっ?」


「これ、実はあの公園の近くにある小さなお堂なんだけど」

「あの近くにありましたっけ?」


「うん。

 住宅街の中の、目立たない場所にあるから。


 古いし、もともとの祭神もよくわからない。

 でも、入り口には狐の像があるんだよね。


 ところがこれ、どうも妙な感じがあってさ。

 特にこの間から、なんか変なんだ。


 うまくは言えないけど。

 此処って、あんまり知られてないのは、地元の人が敢えて口に出して言わないからで。


 その、いろいろ人が夜中にこっそり願掛けとかに使ったりするみたいなんだよね」


 願掛けか。

 人に見られたり知られたすると叶わないとか言うしな、と思った。


「なんかこのお堂気になっててさ。

 それで写真に撮ってみたんだ」

と零児はその写真を見せてくれる。


 本当だ。

 本当にあったんだ。


 夢で見たのと、木目まで同じような気がするお堂。


「それでね。

 ちょうど、大学の友達が開発した3Dのソフトくれたこともあって、なんとなく造ってみたんだ。


 手許に写真があって、やりやすかったから」


 でもさ、見て、と零児はそのCGを指差す。


「中に、ほら、ちらちらと戸板越しに人が動く影が見えるんだ」


 僕はそんなもの造った覚えはないのに、と零児は言う。

 身を乗り出し、その僅かな影を見つめていた梨湖は小さく呟いた。


「……板倉」

「板倉って誰?」


 背後から聞こえた零児の声が妙によそよそしく感じられる。


「えっ、今、そんなこと言いましたっけ? 私」


 零児はその鋭い目線のわりには、簡単に追及をやめてくれた。


「ふうん、そう。

 まあ、なんだかわかんないけど、気持ち悪いから消そうかと思ってね。


 やっぱり、あんな神や仏が宿るようなものをコピーしちゃいけなかったんだ。


 でもまあ、その前に、霊感が強い君に見せてみようかと思ってさ」


 それだけ、と淡々と言うが、その心の内までそうなのかは梨湖にはわからなかった。




 零児は、玄関先で、深々と頭を下げた『児島都』に、

「送っていこうか? 僕も大学に戻るから」

と問うた。


 それを聞いた彼女は、

「あっ、そうか、すみません。

 お仕事中だったんですよね」

とまた慌てて謝る。


 その様子は、ほんとに、いいおうちのお嬢さんと言った感じにしか見えなかった。


「いいよ。

 こういうときはお互い様だから、気にしないで。


 ちゃんと大学には連絡しておいたし。

 教授も私用で僕を使ったから、負い目があったしね。


 ちょっとゆっくりして来てもいいって言われてたんだ」


 何度も恐縮したように頭を下げて児島都は帰って行く。

 通りに消えるまでその姿を見送ったあとで、零児はあの部屋に戻った。


 暗くなっていた画面を再び呼び起こす。


 あのお堂が現れた。

 それを見ながらデスクの椅子に腰を下ろす。


 パソコンの作業は疲れるので、此処の椅子だけは身体に合ったいいものを使っていた。


 身体に馴染むそれに背を預け、画面を見ながら零児は呟いた。


「板倉憲明を知っているのか。


 やっぱり、君とは駄目なのかな、都ちゃん。

 せっかく、同じチカラを持つ、いい友達が出来たと思ったのに」


 そのとき、背後から、誰かが肩に触れたのを感じた。


 細い女の手。


 ワタシ……ナッタノ


 アナタト オナジ……


「へえ、そう」


 素っ気無く零児は答える。

 背後の霊の気配が薄くなったのを感じた。


「嘘だよ、姉さん」


 溜息をつき、ポンポンと、その肩に触れている手を叩いた。

 振り返らないまま、零児は問う。


「あのときも、ほんとはなんて言って欲しかったの? ねえ――」


 零児は彼女の名を呼びかける。






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