梨湖

 

「模倣犯にしちゃ、半端だな。

 何故、今日やらないんだ?」


 冴木と二人タクシーに乗った梨湖は、窓枠に腕を預け言った。


 犯行があったのは火曜日。

 模倣犯ならば、木曜日にするはずなのに。


「木曜にやれない訳でもあったんだろ。

 まあ、一応、今日も見張りを立たせてはいるが」

と冴木は言う。


 チラとその横顔を見て、梨湖は問うた。


「お前は、その訳とやらの察しはついているのか?」


 さあ、と冴木は曖昧に笑ってみせる。


 何故、私にまで誤魔化そうとするんだ。

 梨湖は、不満げに冴木を見た。


「……今度の被害者、私は知らないぞ」

 そう付け足すように言う。


「お前の記憶は当てにならんが、蒲沢もそう言っていたからそうなんだろうな」


 ひどい言われようだ。


「私があれをやらなくなって長い。

 もう、印のついた女はほとんど居ないだろう。


 だから、適当にってことも無きにしもあらずだが」


 前を向いたまま、そう呟く。


 梨湖が生気をいただいたあと、それを補うように女たちに宿る梨湖の因子。


 それは梨湖の霊力であり、彼女たちのそれをも増幅させるものであった。


 それが、力のある人間には、ぽうっと蒼白く光って見えたりするのだそうだが。


 今、その印を持つものは、ほとんど居ないはずだった。


「煙草、吸うなよ」


 一応空気清浄機のついているタクシーだったが、密閉された空間での煙草はこたえる。


 梨湖は顔の前をぱっぱと払った。


 冴木は、梨湖が煙草の煙が嫌いなことを知っている。


「嫌がらせか?」

と問うと、しれっとして、


「なんで俺がお前に嫌がらせをせにゃならんのだ。

 ま、特に気に入られたい理由もないがな」

と言う。


「……理由ならあるじゃないか」


 梨湖はいじけたように、膝に両手を置き、窓ガラスに向かって倒れた。


 ゴツッと思ったより大きな音がして、冴木が笑う。


 明かりの少ない住宅街に入った外を見て、梨湖は呟いた。


「―お前は本当は後悔してるんだ」


 何を? と冴木が訊く前に、タクシーは児島の家に着いていた。




 

 玄関を入るとすぐに都の母が大仰に冴木を出迎えた。


 児島の家は、この話に大いに乗り気のようだった。


 キャリアの身内を抱えておくと、何かと便利なことがあるらしい。


 軽くお茶をしてから、上に上がる。冴木も当然のように付いてきた。


「……後悔か」

と後ろで冴木が呟く。


 振り向き、梨湖は足を止めた。

 都の部屋の白いドアの前、冴木も立ち止まっていた。


「まあ……確かにしてるかもな。

 如何に己れが非力なのか思い知らされたよ」


「お前は今まで、まず、犯人の目星を付けてから逆に捜査してたからな。

 まあ、お前のことだから、すぐに慣れるだろうが」


 梨湖はノブに手をかけたまま、ドアを見つめ、小さく言った。


「……できる限りの協力はする」


 再び、ゴツリ、とドアに頭をぶつけた梨湖に、

「どうした、殊勝だな」

と笑う。


「私をあのままにしておけば――」

「そしたら、都は死んでいただろう」


 生きる意志を失った身体が確かにそう長く持つとは思えない。


 だが、冴木は都のことは、そう気に留めている風ではなかったのに。


 振り返ると、こちらを見ずに冴木は言った。


「やっぱ、今日は帰るよ」


 そうか、と言ったあとで、引き止めるべきだったかな、と思った。


 背を向けかけた彼に向かって問う。


「なあ、冴木」

「ん?」


「なんで今日連れてってくれたんだ?」


「いや。

 蒲沢に会いたいかと思ってな」


 おやすみ、と小さく手を上げ、冴木は階段を下りていった。


 その背中を目で追いながら小さな声で呟く。


「……おやすみ」


 はーあ……。


 梨湖は鞄をソファに投げると、ベッドに飛び乗る。

 ごろりと横になった。


 ぜんっぜん変わってなかったな、梨人。


 相変わらず感情の露にならない顔で、自分を見て何を考えていたのか――。


 あのときのことを、梨湖は考えないようにしていた。


 自分に触れたあの手を、どちらのものと解釈すればいいのか。


 どちらとも取れることが都合よく、どちらでもないこととして、梨湖は二人に接していた。


「都ー」

と声がして、コンコンとドアを叩く音がする。


 はーい、と振り向くと、母親が顔を出した。


「貴方、もうお風呂入ったら?

 最近、ずいぶん長風呂になったみたいだから」


 のぼせるわよ、という母親に、

「あら、ママ。

 半身浴は身体にいいのよ」

と笑って見せる。


 そ、と小柄な都の母は笑い、ドアを閉めた。


 ママ、ね……。

 自分の言葉とは思えず、ちょっと背中がむず痒い感じがした。


 自分の演技力が特に素晴らしいとも思えないのに、今のところ、バレる様子もなかった。


 そもそもが都の両親はほとんど家に居ないのだ。


 通いの家政婦が二人、家を守ってはいるが。


 兄はもう社会人で別に家を構えているし、姉も大学生で、一人暮らしをしている。


 他人なら、あんまり好きなタイプじゃないけど。


 親子として接するとまた違うものだと初めて知った。


 自分に愛情を向けてくる人間に対して、人は厭な意識を持てないものだ。


 他人に鼻につくような行動を取っているのを見ても、無意識のうちに庇いたくなる。


 あれでもいいところもあるんですよ、と。


 さて、風呂に入るか、と立ち上がり、ドアに手をかけ、ふと気づく。


 さっき、都の母は声をかけ、ドアをノックしてから入ってきたが、梨湖の家ではそんなことは一度もなかった。


 というか、そもそも、大抵ドアは開いていた。


 懐かしい我が家を思い出し、なんとなく、回しかけたノブを止める。



 このドアを開けても――


 見知った笑顔は何処にもない。





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