一週間

 

 自分の家の玄関が開けられなくて、梨湖は軒下にしゃがんでいた。


「さむ……」

 もう夜は冷える。

 半袖のままの自分の腕を抱いて、玄関扉に背を預けた。


 月がないのか、星空がよく見える。


 なんたる間抜け。

 自分ちの鍵を持っていなかったとは――。


 そのとき、通りから軽い足音が響いてきた。


 思わず少し腰を浮かした梨湖の前に、白いシャツを着た男が現れた。


 大きな影に、一瞬、別人かと思う。


 彼は玄関前にしゃがんでいた自分に、ぎょっとしたようだった。


 立ち上がった梨湖は、やっぱり、別人かと彼を見る。


「お前……お前、私より、背が高くなってないか?」


 莫迦、といつもすぐ近くで聞いていた、あの冷ややかな口調で言われた。


「俺は元から、お前より高い」


 都の身体に入っているときは、梨人の方が高くて当たり前だったので、なんとも思わなかったのだが。


 今、この身体に戻ってみても、はっきりと身長差を感じるほどに梨人の方が大きくなっている。


「なんかショックだー」


 なんなんだ、それは、と言いながら、梨人は横を通り、鍵を開けようとする。


 素っ気無いな、久しぶりに戻ってきたってのに。

 そう思ったが、鍵がすぐ開かないのに気が付いた。


 鍵を持つ梨人の手は震え、うまく差し込めないようだった。


 無言で、その手の上に己れの手を被せる。

 梨人の目がこちらを見た。


 まだ信じられないとでもいうように、その視線は落ち着かなげだった。


 梨湖は少し微笑み、こつん、とその額に額をぶつけた。


「……ただいま、梨人」


 しばらく間を置いてから、……梨湖っ、と梨人は強く梨湖を抱き締める。


 


「梨人、腹が減ったな」

「また、お前は――」


 戻ってきた途端、と言いながら、梨人は既にキッチンに居た。


「こんなことしてる場合じゃないんだが」

と一応、眉をひそめている。


 どのみち、今は連絡待ちだったので、間で食事でも取ってこいと言われていたようだった。


 梨湖はダイニングの椅子を揺らして冷蔵庫を見ながら、呟く。


「梨人、ずっと気になっていたことがあるんだが」

「なんだ?」


 カン、とフライパンを五徳にぶつける音がした。


「あの海老レタスマヨネーズ。

 あのあと、どうなったんだ?


 お前、作りかけで出しっぱなしにしてたから、腐ったんじゃないのか。

 もったいない。


 なあ、梨人。


 梨人?

 なに怒ってんだ、梨人」


 こちらに凄い勢いで戻ってきた梨人は、梨湖の座る椅子の背に手をつくと、身を乗り出して言う。


「お前、ほんとはあの間もずっと思ってたんだろ?

 そんなことはいいから、早く海老レタスマヨネーズを作れって」


「いやあ、そんな……」


 笑顔が怖い、と引きつりながらも、梨湖は笑って誤魔化そうとした。



 

 梨人が目の前にほかほかのピラフを置きながら言う。


「お前は具体的に、今、どういう状況だと思ってるんだ?」


 どうって言われてもな、と梨湖はそれを口に運びながら呟く。


 いい匂いだ。

 懐かしい梨人のピラフの匂い。


 久しぶりの梨人の料理は、やはり一番口に馴染んで美味しく感じられたが、今まで胃腸が動いていなかったので、ゆっくり食べることにする。


 ――とは言っても、そんな落ち着いてられる時間もないのだが。


「板倉は夕べの夢ではねほんとに切羽詰った感じだった。


 他の理由もあるのかもしれないが。

 私は、もしかしたらそれは、今日が火曜日だからじゃないかと思ったんだ」


 火曜日。

 板倉があの通りで死体を殴打してから、一週間。


 前回の事件になぞらえるならば、今日、もうひとつ、あそこに死体を置かねばならないはずだ。


「だが、板倉はもう死んでいる」

と梨人は言う。


「だから――

 あいつの代わりにやろうとしてるんじゃないのか? 丸山秋実が」


「何故、そんなことを。

 いや、それよりまず、なんで丸山は、板倉がそれをやったことを知っているんだ」


「共犯だったんじゃないか?」

「共犯……?」


「というかだな、もしかしたら」

 梨湖は、うーんと唸って言う。


「板倉って車持ってたか?」

「いや」


 梨人は、はっとする。


「そうか、被害者の本当の死因は交通事故だったな。

 もし、板倉が模倣犯に見せかけ、死体を始末しようとしたのなら。


 そもそも、車で跳ねたのは誰なのか」


 零児のような被害者の遺族や関係者ならば、あそこに死体があることに意味があったのだから、たまたま見つけた死体を置きにくることもありうる。


 だが、やったのが板倉ならば、その可能性はないから、もともと死体があり、それを始末するためにあそこに持ってきたと考える方がいいだろう。


 もともとあった交通事故の死体。

 そして、板倉は運転をしない。


 そうか、ともう一度、梨人は言った。


「被害者を跳ねたのが、丸山秋実。


 恐ろしくなった彼女はそういうとき、悪知恵が働きそうな板倉に相談を持ちかけた」


 うん……と頷いた梨湖に、なんだ、歯切れが悪いな、と言う。


「そうなんだと思うんだ。でも、何かもうひとつ――」









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