告げる
梨湖は予め持ってきておいた
本当は道祖神がいいようだが、この際、仕方がない。
黄楊の櫛を使うのは、『告げる』という言葉と、『つげ』をかけているのと、櫛の持つ呪力に期待してのことと言われている。
人が通らなきゃ意味がないんだが、もともと此処、人通り少ないからなあ、と思っていると、そのうち、わらわらと人の話し声が聞こえ始めた。
下校途中の生徒たちのようだった。
目を閉じ、集中する梨湖の耳に入ってきた言葉は――
「昨日マックでさー」
昨日、マックでさー?
そりゃ全然違うだろ、と思ったとき、ピーンッと耳が痛くなった。
空気が張り詰める。
夕暮れ時は、逢魔ヶ時。
魔と逢う時間。
ぼんやりと周りの音が遠ざかっていく。
――『私』
『な』
『ぐら』
『れ』
『たの―』
いろんな人の言葉の、要るところだけが聞こえ、意味を成す。
『死んでた!』
『のに』
『……な』
『ぐ』
『られた』
『の』
誰の意識だ? これは……。
そう思ったとき、
「なにしてるの? こんなところで」
夕暮れの空気に馴染むような男の声が、その場に作り上げられていたものを打ち破った。
振り返ると、離れた位置から、背の高い男がこちらを見ていた。
夕陽に透けるウェーブの髪が顔の横を流れている。
鼻筋の通った顔。
優しそうな切れ長の目。
その顔立ちは、宮迫よりも繊細そうに見えた。
――だ、誰だっ?
男は少し身を屈め、笑うように梨湖を見ていった。
「面白いことやってるんだね、辻占?」
こいつ、なんだって、これだけで辻占だってわかったんだ?
っていうか、それ以前に、なんで私、こんなにどぎまぎしてるんだ?
梨湖は男の顔から目を逸らせず、棒立ちになる。
黄楊の櫛が手から落ちて、アスファルトで跳ね、高い音を立てた。
「なんだ、あの男」
出て行こうとした梨人を冴木が制する。
「黙って見ておけ」
それは後ろに居る宮迫たちに向かっても言っている言葉のようだった。
「これもお告げの一部かもしれないだろ?」
そうなのだろうか。
梨湖は何故か男の顔を憑かれたように見つめている。
男は笑って、櫛を拾い、梨湖に手渡した。
「心配するな、お前もそう負けてはいない」
唐突にそんなことを言った冴木を、噛みつくように振り返る。
「なんの話だっ」
僅かに気を使い、遣っていた敬語も吹き飛んでいた。
声でけえだろ、と呆れながら、冴木は、その大きな手で梨人の口を塞ぐ。
宮迫や矢島でさえ、梨人には少し引いたところがあるのに、この男は遠慮のえの字もなかった。
「あ、あの……」
梨湖は、ようやく口を開いた。
「詳しいんですね、そういうこと」
うん、と男は微笑む。
「大学で専攻してるから、民俗学。
君はなに? 恋占いでもしてるの?」
「なんで、恋占いなんですか?」
「だって高校生くらいの女の子がやってるって言ったら、そんなとこでしょう?」
ああ、その制服、今西女学院? と問う。
「でも―― 迂闊にそういうものに手を出さない方がいいよ。
きっと後悔する」
じゃあ、と男はそのまま行こうとした。
「あのっ、すみません。
お名前、教えていただけませんかっ」
我ながら、何を言ってるんだと思った。
無意識の行動だった。
だが、そうやって訝しがるもう一人の自分を、彼も辻占の結果なのかもしれないから、と言い訳のように言い聞かす。
男は変に思ったろうが、足を止めたあと、笑って言った。
「斉藤……斉藤
「そこの先の斉藤って家だよ。
ありふれた名前だけど、意外とこの辺少ないから、すぐわかるよ。
白いコンクリートの家。
何か知りたいことがあったら、訪ねておいで」
そう言うと、今度こそ零児は行ってしまう。
梨湖はその後ろ姿を見送りながら、なんて気配の薄い人間だ、と思った。
人としての生気をあまり感じない。
男の消えた辻の向こうを、いつまでも見ていた梨湖に、苛々した声が呼びかける。
「――で? どうだったんだ?」
振り向いた梨湖は、梨人、と驚いたように言った。
「お前、いつから側に居たんだ?」
本当にそう思って訊くと、思い切り嫌な顔をされる。
横に居た冴木たちが噴き出した。
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