夕食
「遅い」
玄関に仁王立ちになっていた梨湖を見て、冴木は溜息を漏らす。
「お前、人が忙しい合間を縫ってきてやったのに、なんだ、その言い草」
「悪いとは思ってるよ……。
でも、此処へ出入りする人間の中じゃ、お前にしか気を許せないから、ついお前を待っちゃうんだよ」
素直にそう言うと、
「……結構な殺し文句だな」
と言われた。
そのまま、冴木が乗ってきたタクシーに乗り込む。
「そういや、お前は運転できたんだろう?
なんでタクシーが多いんだ?」
あのとき、免許がないと言ったのは確か梨人だったし、何度か此処にも乗ってきたことはあるのに。
「車だと呑めないから」
「あ、そ」
と窓の外を見る。
「いやあ、しかし、お前と居るようになって、俺も少しは家事ができるようになった気がするよ」
お前は何もできないからな、と溜息混じりに言う。
「なんだよ、たまにお茶淹れてくれるくらいじゃないか。
ああいうのは家事とは言わないんだ。
っていうか、私も珈琲なら淹れられるんだ。珈琲なら」
「今までの女はなんでもやってくれてたんだがなあ」
「深沢もか?」
「あれは、缶コーヒー渡して終わりだ」
サバサバした綾の顔を思い出し、笑い出しそうになる。
なんだか無性に懐かしかった。
「会いたいなー、まずいだろうけど」
お前は会ってるんだろ? と問うと、
「前ほどはな。俺も忙しいんで」
と言う。
ふうん、と梨湖は小首を傾げた。
自分のところに入り浸っているくらいだから暇だろうと思っていた。
「ま、俺は確かに蒲沢たちと違って、料理はできんが。
金の力でなら食わしてやるぞ」
と言って笑う。
「……うん、まあ。
お前のそういうところも嫌いじゃないんけどな」
冴木が連れて行ってくれたのは、中華の店だった。
個室に通される。
食事の途中、梨湖は、さっきの話を掘り返すようにして言った。
「お前のなあ、その潔さが見ていて、気持ちのいいときもあるんだ。
例え、方向性を間違っているとしても。
私はいつも迷ってばかりだから」
本当にこれでよかったのだろうか。
選択したのは自分ではないとしても、都の身体を使って、今も、のうのうと生きている。
「児島都が少しでも正気に返っているのなら。
あの記憶を抱いたまま、蘇りたくはないさ。
それに――
お前は都を糾弾するつもりは無いんだろう?
ぶち込まないにしても、あれだけの殺人鬼を野に放つのはちょっとな」
それを言われると、梨湖も困ってしまう。
「まあ、お前は、都の殺人の動機が自分たちにあるから、責めにくいんだろうが」
都に罪がないとは、到底思えないが。
それでも、あの板倉たちが起こした事件さえなければ。
そう考えると、例え、自分たちが絡んでなかったとしても責めづらいものがある。
ふと気がつくと、冴木が二杯目のスープを取り分けていた。
梨湖が顔を上げたタイミングで、見えるように溜息をつく。
「いや、お前と居ると、俺も器用になるわ」
悪かった悪かった、と慌てて取ろうとしたが、もともと小器用な冴木は、さっさと注いでくれていた。
梨湖は自分の手許に置かれた白い椀の中を、改めて覗く。
さっきは機械的に食べてしまったが、よく見れば、フカヒレと卵のスープだったようだ。
オレンジ色のゆれる液体から、温かい湯気が立ち上がってくる。
おいしそ……。
「でもさ、冴木。
中華っていうと、四、五人居た方がいいような気がするんだが」
「またあいつらと顔合わせろっていうのか?」
「お前、他の友達居ないのか?」
居るわけないだろう、と呟く。
「他の友人は女ばかりだ。此処で一同に
「……一同に会せないようなら、それは友達じゃないぞ」
ふと思いついて、
「前島たちは?」
と問う。
「あ?」
「前島と綾だよ」
「綾はともかく、あれが友人か?」
強い疑問形で訊かれたが、この二人は傍から見ていれば、友人以外の何者でもないのだが。
修平と梨人などとは、その形は違うけれど。
「ところで、梨湖様」
なんだ? とスープを口許に運びながら目だけを上げる。
「此処は個室だからいいが。外で俺を冴木と呼ぶな」
「ああ……そうだな。
最近、お前の職場の知り合いにも会うこと多いからな」
「じゃあ、冴木―― さんか? 不気味だな」
と言うと、
「康介でいいだろ。
婚約者なんだから」
と、こちらを見ずに素っ気無く言う。
「呼び捨てでいいのか?」
「お前に、敬称つけられると俺も気色悪い」
そこが唯一の妥協点だ、と言った。
「じゃあ、康介」
あっさりそう呼び、梨湖は皿を突き出す。
「もう一杯くれ」
「お前……意外に食うね」
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