日曜日
お堂の中
誰かが私の手を引いている。
また、板倉か?
その夢で、まず感じられたのは手の感触。
そして、その後で、眼を開ける。
暗い中に、ぼうっと並ぶ蒼白い炎と、突き当りのお堂。
「板倉っ」
目の前の男に呼びかける。
「何が言いたいんだ、板倉」
だが、板倉は再び、無言で梨湖をお堂まで連れて行く。
板倉が引いている手は、私のものか。都のものか。
そっと窺う。
板倉に握られている手は、細くて長い。
都の手は、もっと小柄だ。
私の手――?
やはり、板倉は都ではなく、私の手を引いている?
なんでだ。
私と板倉の間には、ほとんど面識はないはずなのに。
再びお堂に入ると、ぱたん、と扉が閉まった。
外からは、ぼんやりとしか見えなかったが、こうして見ると、八角形のお堂のようだった。
中にある行灯の明かりに、板倉と自分の影が揺れていた。
「板倉、何が言いたいんだ。どうしたいんだ。
私を此処に閉じ込めたいのか?
それとも、お前が閉じ込められているから、助けて欲しいのか?」
その言葉に反応したように、板倉は俯きがちに呟く。
『助……ケ……テ』
梨湖は緩んだ手を振り払い、いつものように腕を組んで板倉のひょろ長い身体を見上げる。
「お前、ちょっと調子よくないか?
そりゃあ、殺人に関してはお前は知らないことかもしれないけど――」
板倉はそこで首を振った。
「違う? 何が」
と言いかけたとき、ゾッとするような気配を背中に感じた。
慌てて振り向く。
お堂の壁の方からそれを感じた。
そっとそちらに近づく。
板倉に背を向けるのは危ないような気もしたが、今の彼からは、殺意も何も邪悪な気配は感じなかった。
木目だ――。
壁の木目の
中が抜けて、穴が開いているようだ。
……覗くの怖いな。
映画とかだと、こういうところから、針とか出てくるじゃないか、と思った。
「いっ、板倉ーっ、覗いて見ないか?」
振り返り言ってみたが、板倉は俯いたまま、口の中で、ぶつぶつ何事か言っている。
じっとその姿を見ていると、こっちまでおかしくなりそうだった。
頼りない、仲間とも言えない言いたくない相手に、溜息をつき、梨湖は壁に手をつき、身を乗り出した。
そのとき、
バンバンバンバン!
とお堂の扉が叩かれた。
「うわっ」
梨湖はよろけて、その場に尻餅をつく。
だが、すぐに、音は止んだ。
なんだ? 今の……。
風?
しかし、かなり扉が軋んだように見えたが。
板倉が自分に近づいてきた。
何をするのかと思わず身構えたが、板倉は何故か自分に向かって、手を差し出した。
「……板倉? どうした」
手を差し伸べてもらっておいて、どうしたもないものだが、強い違和感があったのだ。
「お前……、本当に板倉なのか?」
迷いながらも、板倉の手を掴む。
感触は変わらない。
生温かい――。
もっとも、それが生前の板倉と同じかどうか、レコードの入った袋を渡してもらったときに、触れたくらいの記憶しかない梨湖には、判断しかねるのだが。
立ち上がりかけた梨湖は、ひょっと隙をつくように、側にある節の中を見た。
向こうから誰かが狙っているとしても、今のタイミングで覗くとは思わないだろうと判断してのことだった。
「きゃっ」
よろけた梨湖を板倉が支える。
針は出てこなかったが、血走った人の眼が、瞬きもするまいと、こちらを覗いていたのだ。
「い、今のは――?」
梨湖が身を起こし、もう一度、そこを覗き込もうとしたとき、再び、扉が叩かれた。
振り向くと、扉に、そこを突き抜けたかのように、手形がたくさん浮かんできていた。
「ひゃっ」
「――梨湖様っ!」
汗だくで起き上がった梨湖は、当然のように、そこに座っている男を見た。
「冴木……。
お前、もしかして、私を悪夢から引き出してくれるために、そこに居るのか?」
特に表情もなくこちらを見ていた冴木は立ち上がり、
「幾らなんでも、泊まってくわけにはいかないからな」
と言う。
「まあ、こういうこともあるかな、とは思っていた。
お前、都の記憶が思っていたよりハッキリ見えるようだったし、そういう意味での悪夢も見るかと思ってな」
「……そうか、すまなかった。ありがとう」
はっきり言わなかったのが、冴木らしいとも言えた。
「今、何時だ?」
「八時」
「……遅刻するじゃないか!」
「今日、日曜だぞ」
「昨日だって、土曜だ。
二日続きで、違う会社の模試があるんだよ」
「模試? お前の学校、エスカレーター式だろうが」
そう言われて、梨湖は黙る。
実際、学校で実施される全国一斉模試を受けたいと言ったとき、驚かれた。
今まで都は、他所の大学に行く意思などなかったようだったから。
「落ち着かないんだよ。
受け続けてたものを受けないでいると。
もう私が元の身体に戻れないことはわかっているし、やっても意味がないこともわかってる。
でも、例えば、このまま都の身体に、後二、三年留まることになるのなら、あの学校以外のところに行きたいとも思うしな」
勝手に都の進路を変えてはいけないとわかってはいる。
だが、あのお嬢様学校は、やはり、梨湖には少し息苦しかった。
都の友達は意外にいい奴が多い。
グループを形成するには、やはり、バランスというものがある。
都が強烈で攻撃的だからこそ、彼女の周りには、穏やかで温和な人間が集まっていたりするのだ。
都の強い自己主張を、しょうがないわねえ、と受け流してくれるような人間。
そういえばそうだ。
都と同じタイプの人間ならば、彼女の毒に反発し、一緒には居られないことだろう。
だが、それでも――。
梨湖の頭には、華川や修平や、連たちが浮かんでいた。
ああいうサバサバした気性の持ち主はあの学校には居ない。
今、無性に彼らに会いたかった。
「さてと」
と立ち上がった梨湖だったが、くらりと来る。
「おいっ」
と冴木が抱き止める。
軽い眩暈を感じる。
今にもこの身体から引き剥がされそうな。
梨湖は車酔いにも似た気持ちで、眼を閉じていた。
暗闇の視界もぐるぐると廻る。
「拒絶反応だ。
都の中に私の魂を入れているのは、違う血液型の血液を放り込んだようなものだからな」
非常に相性が悪い―― と呟く。
掴んでいた冴木の腕から手を離し、
「そういや、お前は梨人を追い出そうとしたことはないのか?」
と問うてみた。
「馬鹿、俺があの男の意思の強さに敵うか」
冴木は吐き捨てるようにそう言ったが、梨湖は、それはどうだろう、と思っていた。
。
力の強さも意思の強さも、似たり寄ったりだと思うのだが。
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