内線の呼び出し音に梨湖は、ハッとした。

 そして、次の瞬間、心臓が止まりそうになる。


 なんで――


 なんで私、此処に?


 眠っていたのなら、立っているはずがない。


 何故、今、自分は本棚の前に居るのか。

 何故、今、自分は意識が飛んでいたのか。


 落ち着け、よく考えるんだ。


 速まる鼓動を抑え、考えをまとめようと、胸と額に手をやる。


 その間も急かすように、電話の音は鳴り続けていた――る




 電話の主は宮迫だった。


 冴木が寄越した部下が迎えに来るからと、家政婦たちには言って、梨湖は門の外で待っていた。


 まあ、実際迎えに来るのは、矢島のようなので、親が挨拶に出てきても大丈夫なのだが、それでも、今、居なくてよかったと思った。


 家政婦も都の動きを見張っているよう言われてはいたようだが、最近は特に何もないので、ガードも緩くなっていた。


 しかし、矢島、運転出来たのか、と思っていると、

「都様ー」

という声がする。


 振り向くと、玄関が開いて、明かりが漏れていた。


 一番古参の家政婦である正木まさきが、子機を持って走ってきた。


「お電話でございます」


 出ると、矢島の声が響く。


『嬢ちゃん、免許忘れた!』


 歩いて迎えに行くからという。


 まあ、たいした距離はないのでいいのだが、中に戻るのもめんどくさいので、正木には、


「ありがとう。

 ちょっと冴木さんからの伝言があったみたい」

と嘘をついて微笑んだ。


 宮迫はまだ辻を離れられないみたいだな、と思いながら、梨湖は家政婦が屋敷に消えるのを待って、矢島が来る通りをひとり、歩きだす。


 さっき――


 意識が飛んでいた。


 なんで自分はあの本棚の前に居たのか。


 よく見たら、少し物色した後があった。


 まさか……


 児島都が目覚めてる……?


 そう思ったとき、軽くクラクションを鳴らす音がした。


 振り返ると、何処かで見たような小型の外車。


「都ちゃん!」


 窓を開け、何処に行くのかと問うた徹に、アバウトに説明すると、

「ふーん、よくわかんないけど、警察の用事なら乗せてってあげるよ」

と言う。


「徹さん、どっかに行くんじゃなかったの?」

「うん、ちょっとコンビニ行こうかと思っただけだから」


 まあ、なんだか例の話も誤解っぽいし、いいか、と乗せてもらうことにする。


「僕、もうちょっと日本に居るから、足が必要なときは呼んでよ」


 乗ってすぐ、徹はそんなことを言った。


「でも、どうせ、僕の携帯の番号なんて覚えてないんでしょ」

と厭味に嗤う。


「おじさんが煩いから、携帯まだ持ってないんだよね?

 番号言うからメモしてよ」


 あ、うん、と手帳を出しかけ、梨湖は惑う。


 だが、まあ、数字くらいいいか、と小さく徹の言う数字を書き込んだ。


 そのとき、いきなり車が止まった。


 幸い、人気のない住宅街の道だったので、後続車への影響はなかったが、あっ、と思った瞬間、徹は膝に置いていた緑の手帳を取り上げていた。


 パラパラッとそれを捲ると、ふーん、という目で見ていた。


「……やっぱり何も書いてないんだ」


 その言葉に、どきりとする。


 徹は、もう用はないという風に、それを、ポン、と梨湖の膝の上に放った。


「三ヶ月前からなんにも書いてないね。


 入院してたからっていっても、ちょっと変だよね。

 もう退院して、結構経つでしょ。


 そこまではビッシリ書いてあるのに。


 人間、習慣ってなかなか変わらないものだけど」


 言おうとした言い訳を先に封じられる。


 こいつ……。


「ねえ――。

 今週は二日続けて模試受けたのに、先週の模試、受けなかったのはなんで?


 ノートも最近取ってないみたいだね。


 オトモダチに聞いたよ。


 ノートコピーさせてって言ったら、取ってないって言われたって。


 先週の模試受けなかったの、マークシートじゃなかったから?


 ちょっと意識しすぎなんじゃない?


 どうせ、中間テストがもう始まるよ。

 それまでに『児島都』の筆跡を会得するつもり?」


 梨湖は街灯の明かりに照らし出された徹の顔を見つめた。


 彼は淡々と語り続ける。


「ノート取らなかったの、全部覚えてるからなんて言ったって無駄だよ。


 『児島都』はそんなに頭はよくはない。


 おばさんに頼まれて、ずっと勉強見てたんだ。それくらいわかってるよ」


 梨湖を見据え、徹は言った。





「君は、誰――?」







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