宮迫

 

「おい、宮迫」

「なんですか?」

と署で帰り支度をしながら、宮迫は後ろの矢島を振り返らずに答えた。


「お前、いつから本庁戻るんだ?」


「次の異動のシーズンですよ。早くて。

 でも僕、その話受けたわけじゃないんですけど」


「……嬢ちゃんと、あんまり会えなくなるかもとか思ってんのか」


 宮迫は無言でノートパソコンの電源を落とした。


「矢島さんとも離れたくないですしね」


「お、うまいことを。

 今日、呑みに行くか?」


「行きたいんですけど、母がこっちの家に来てるので、ちょっと寄ろうかと」


「なんだよ。

 じゃあ早く帰ってやれよ」


「……でもあまり、長時間は顔を合わせたくなくて」


 宮迫の複雑な心情を汲み取ったかのように、矢島は一瞬、気を使うような表情を見せた。


「ほら、矢島さん、早く帰らないと。

 奥さんも娘さんもまたお怒りですよ」

と笑って見せる。


「ああ、もう、うちの娘も嫁も、俺よりお前に懐きやがって……」


 お前は我が家のアイドルだ、と愚痴のように言った。


「人当たりいいからなあ、お前。

 底意地悪ぃのに」


「矢島さん~?」


「そのうち、お前、俺の上司にでもなんのかなあ」


 そう首を振り振り行ってしまう。

 宮迫はその後ろ姿を見送りながら、溜息を漏らした。


 矢島にも、矢島家にも本当に世話になっている。


 この間も、奥さんが実家に法事で帰ったとかで、お土産の薩摩揚げと焼酎をご馳走になった。


 矢島に似た愉快で豪快な奥さんだ。

 自分にもああいう温かい家庭を夢見た頃はあった。


 しかし、それは都合よく自分の罪を忘れていたときのことだ。


 宮迫はまだ、カタカタと音を立てているパソコンの上で、自らの手を広げて見る。


 細い指。

 これで人を殺したなんて信じられないほど。


 僕は自分の妹を殺した。


 この手で縊り殺した――。


 あの子供らしい滑らかな肌に、この指先が食い込む瞬間を、今でもまだ鮮明に思い出せる。


 もう課長も居ない。


 ブラインドの閉められた窓の向こうを見る。

 その闇の中に、何故か梨湖が居る気がした。


 闇の中に一人でも立てる彼女が心底羨ましい気がした。


 梨人も自分も、梨湖を支えているようで、梨湖に縋っていた。


 彼女は一人で立っている――。


 ますます梨湖との距離を感じ、遠く冴木の側に居るはずの彼女へと想いを馳せた。






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