第68話 決闘の朝

 まぶたを開くと、木目調の天井が飛びこんできた。


 天井はいくらかの染みがあるけれど、至って頑丈そうだった。


 頑丈そうな天井を眺めていると、隣から「ふふふ」と楽しげな声が聞こえてきた。


 まだ思考がおぼろげな中で、視線を向けるとそこにはシーツに包まったカルディアが、両手を重ねるようにして横になっていた。


 カルディアの紅い瞳は俺をまっすぐに捉えていた。


 紅の双眸は半分ほどが開いていたが、その視線は一直線に俺を射貫いていた。


 俺をじっと見つめながら、カルディアは楽しげに笑っていたんだ。


「……おはよう、旦那様」


 カルディアは半目のままで笑っていた。俺も「おはよう」と告げた。


 窓の外からはまだ日の光は差し込んでいなかった。


 お互いに体力の限界が来るまで求め合ってから、揃って眠ったはずだったのに、まだ夜明けを迎える前に目を醒ましたみたいだった。


 というか、もしかしたら寝ていたと思ったのは俺だけで、微睡んでいただけだったのかもしれない。


 その割には頭の中はやけにすっきりとしていた。

 すっきりとしているけれど、眠気はいくらかあった。


 あくびを搔けと言われたら、すぐにでもあくびを掻けそうだった。


 そのくらいには眠気はあったけれど、不思議と睡魔に襲われることはなかった。


 それどころか、徐々に意識が覚醒していて、俺はじっと目の前にいる最愛の人を眺めていた。


「……俺、どれくらい寝ていたかな?」


「ん~。たぶん、一時間くらいかな? 私も少し前に起きて、旦那様の寝顔を堪能していたから」


「……人の寝顔を勝手に堪能しないで」


「だって、かわいかったから」


 そう言って、舌をちろりと出して笑うカルディア。


 実にいたずらっ子な笑顔だったけれど、それがかえってカルディアには似合っていた。


 仕方がないなぁとため息を吐きながら、体を起こそうとしたのだけど──。


「えい」


 ──やけにかわいらしいかけ声とともにベッドへと引き戻されてしまった。


 見れば、カルディアの重ねられていた両手がいつのまにか俺の右腕を取っていて、その右腕をカルディアは引っ張っていたんだ。


 おかげで俺は背中からベッドに体を押しつけることになった。


 幸い、体を起こしたのはすぐだったこともあり、ベッドからはせいぜい数十センチしか離れていなかった。


 それでも、ベッドが軋み、俺はカルディアともどもベッドにいくらか深く沈んだ。


 沈んでもすぐに元通りとなったけれど、しばらくの間、ベッドが軋む音は響き続けていた。


「……なにすんの?」


「それは私のセリフだよ?」


 ベッドが軋む音を聞きながら、俺はカルディアを見やると、カルディアは頬をぷっくりと膨らまして俺を見つめていた。


 そのときのカルディアはいかにも不満そうなもので、俺の行動を咎めていることは明らかだった。


「まだ夜明けにもなっていないのに、なにをするつもりだったの?」


「いや、準備をしようかなって」


「まだ早いよ?」


 カルディアがちらりと窓の外を見やる。つられて視線を向けると、まだ空には月があり、夜明けはまだ訪れていなかった。


「こんなに早い時間から準備をしてどうするの?」


「いや、だって、遅れるとまずいかなって」


「そもそも、時間の指定自体していないじゃん」


「……それはそうだけどさ」


 そう、決闘は朝からということになっていたけれど、具体的な時間は決められていなかった。


 場所はククルさんと首魁の話し合いの結果、「アージェントの森」に向かう途中で休んだ例の高台となった。


「アージェントの森」ではガルムたちに迷惑が掛かるし、場合によっては首魁たちが罠を仕掛けてくる可能性もあった。


 まぁ、それを言えば、あの高台にだって罠を仕掛けようと思えばできるのだけど、公平を喫するために高台周辺は蛇王軍が警備をして貰うことになっていた。


 あと「アージェントの森」にも、ガルムたちの居住地にも冒険者部隊による警護をしてもらっていた。


 すべては俺と首魁による一騎討ちの邪魔をさせないためだ。


 もっともその一騎討ちの決闘の時間が決まっていないというのは、どうなのかなとは思うのだけど、ククルさんと首魁曰く、「遅くても日が中天に達するまでには」ということで決まっていた。


 そこまで決めたのであれば、正確な時間まで決めればいいのにとは思ったけれど、なにぶん急に決まった決闘だから、お互いにやることもあるだろうということで、時間に関してはゆるゆるになったわけだ。


 首魁にしてみれば、一刻も早く妹さんたちを取り返したいところだろうけれど、今後の「深緑の翼」の行く末を決める大事な決闘なこともあり、首魁も時間の指定がないことに関してはなにも言わなかったんだ。


 ククルさんも朝までゆっくりするようにと仰っていた。


 逆に言えば、朝になった起こしに行くということでもあるんだろうけど。


 その朝がいつなのかは人それぞれ。


 人によっては目を醒ましたらということもある。もしくは朝日が昇ればということもある。


 ククルさんにとっての朝がどちらであるのかは、当時の俺にはわからなかった。


 だからこそ、ククルさんが迎えにくるまでに、ある程度の準備を済ませておこうと思っていたんだ。


 ……それがカルディアには不満だったみたい。


 もっと言えば、カルディアは俺とピロートークを楽しみたかったんだろうね。


 体力の限界まで求め合ったものの、お互いにあっさりと目を醒ましてしまった。


 決闘が行われる日だけど、その時間の指定はされていないうえに、まだ夜明けにもなっていない時間帯。


 となれば、絶好のピロートークの機会。その時間がたとえわずかなものだったとしても、俺とゆっくりと話がしたいとカルディアが思うのはある意味当然だったのかもしれない。


「……夜明けまでね」


「うん。それでいいよ」


 カルディアは嬉しそうに笑うと、いそいそと掴んでいた俺の右腕をまっすぐに伸ばすと、そのうえに頭を乗せてくれました。


 いわゆる腕枕だった。


 正直、女性同士で腕枕をするのはありなんだろうかと思ったけれど、当のカルディアが嬉しそうだったこともあり、俺はなにも言わなかった。

 

 ……言いたいことがなにもなかったわけじゃないけれど。


「……ねぇ、カルディア?」


「うん?」


「腕を引っ張りすぎて、肩が外れるかと思ったんだけど」


 そう、カルディアは必要以上に腕を引っ張ってくれたんだよね。


 おかげで肩が外れるかと思ったね。


 鍛錬中とか、戦闘中で肩が外れたとかならば、まだ格好はついたけれど、ピロートークをする際に、肩が外れたなんて笑い話にしかならないよ。


 でも、当のカルディアはあまり気にしていないみたいだった。


「肩くらいなら入れてあげるよ」


「いや、俺もできるから別にしなくてもいいよ。というか、そもそも引っ張りすぎなことについてはノーコメントですか?」


「……ちょっと引っ張りすぎただけだから」


「……そっか」


 カルディアはあまり気にはしていなかった。でも、あくまでも「あまり」であり、全然気にしていないわけじゃなかった。


 たぶん、カルディア自身も若干テンションをあげすぎたと思っていたのかもしれないね。


「とにかく。ちょっと加減してね?」


「……旦那様に言われたくない」


「なんで?」


「だって、旦那様、ひどかったもん。すごく意地悪だったんだから。ダメって言ってもするし、やだって言っても無理矢理言わせるし」


 カルディアは唇を尖らせながら、徐々に声を小さくしていった。言いながら恥ずかしくなってしまったんだろう。


 というか、言われている俺も、最中の自身のありように言いたいことが山ほどありました。


 オラオラ系とまでは言わないけれど、だいぶサディストだったね。


 でも、それもぜんぶ最中のカルディアがかわいすぎたからであり、決して俺だけのせいではないと言いたかった。


 ……もっとも、当のカルディアにしてみれば、とんだ言いがかりだけどね。


「……ごめんなさい」


「……わかればいいの」


 ふんだとカルディアが顔を背けていた。


 その反応がとても愛らしくて、ついついと笑ってしまった。


 が、カルディアにしてみれば、笑えることではなくて、「むぅ」と唸っていた。


「次からは気をつけてね」


「うん。気をつけるよ」


「……ほんとーかなぁ」


「本当だよ?」


「……一応信じてあげる」


「うん。そうしてほしいな」


 くすくすと笑う俺と、むすっとするカルディア。


 でも、揃って笑みを浮かべるまでにそこまで時間は掛からなかった。


 ほどなくして、俺たちは揃って笑っていた。


 不安を消し飛ばすようにして笑っていた。


 決闘がどう転ぶかはまるでわからない。


 それでも、またこうして笑い合えることを祈りながら、俺たちはベッドの上で笑い合った。


 そんな俺たちの不安とは裏腹に、夜の帳は徐々に落ちていき、夜明けを徐々に迎えていった。


 そうして決闘の朝は、いつものように訪れたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る