第41話 シリウスという名
全員が身構えて茂みを向いていた。
茂みはガサガサと揺れ動いており、なにかが潜んでいることは明らかだった。
なにかがなんであるのかはわからなかったけれど、どんな正体であろうと対応できるように全員が身構えて集中していた。
そうして茂みをまっすぐに見つめていると、それは一気に姿を現した。
「っ、ナイトメア、ウルフ」
姿を現したのは、一頭のナイトメアウルフだった。
ただ、ガルムともマーナとも違っていた。
見た目はほぼ同じだけど、ひとつの違いがあった。
そのナイトメアウルフには、額には等間隔で刻まれた三つの傷痕が、爪痕らしきものが刻まれていた。
額の傷痕は、ガルムにもマーナにもなかったもので、ふたりとは別人であることは明らかだった。
「気を付けて、私も見たことがない相手だよ」
カルディアが警戒心を露わにしながら、得物を改めて構えた。
その言葉に俺とプーレもそれぞれに得物を構えて、ナイトメアウルフと対峙をしようとして──。
「あ、おじうえなの」
──シリウスが件のナイトメアウルフに向かって、笑いかけたんだ。
その言葉に「へ?」と俺たち全員が呆気に取られた。
が、件のナイトメアウルフは、シリウスの言葉に表情をわかりやすく緩めた。
「……やはりシリウスか。グレーウルフになったとマーナには聞いていたが、人化できるようになったのだな?」
「わぅ! ついこのあいだできるようになったよ」
「そうか、そうか。少し見ない間に成長したのだな。喜ばしいことだよ」
「わぅ! シリウスもおじうえとあえてうれしいの!」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいぞ」
優しげに笑うナイトメアウルフと、満面の笑みを浮かべるシリウス。
ふたりの会話はとても穏やかかつ親しげなもので、シリウスが件のナイトメアウルフに懐いていることは明かなのだけど、当時の俺たちはいきなりの展開に困惑していた。
「シリウス、おじうえって?」
「うん。シリウスのははうえの、あにうえさんなの」
「ってことは、マーナのお兄さん?」
「わぅ! そうなの!」
件のナイトメアウルフは、マーナのお兄さん、つまりはシリウスの伯父さんにあたる人だった。
シリウスの説明に、俺たち全員が弛緩しそうになったのだけど──。
「で? そちらはどなたかな? 我がかわいい姪を拐かそうとしているように見えるのだが、気のせいだろうか?」
──完全に誤解をされていた。
いや、まぁ、たしかにね? マーナのお兄さんからしてみれば、当時の俺たちの姿は、なにもわかっていないシリウスを誘拐しようとしている犯罪者に見えるというのは無理もないことだった。
「あ、いえ、これは違うんですよ? 誤解です、誤解」
カルディアは慌てて得物の剣を仕舞うも、マーナのお兄さんは胡散臭そうにカルディアを睨み付けていた。
その視線にカルディアはたじたじになってしまっていて、普段の姿からは想像もできないものだった。
「ほ、本当なのですよ、マーナさんのお兄さん! 決してプーレたちがシリウスちゃんを拐かそうとしているわけではないのですよ!?」
「……口ではどうとでも言える。違うかな?」
「……そ、それを言われると」
プーレも潔白を口にするも、一言で切り捨てられてしまった。
たしかに、マーナのお兄さんの言うとおり、いくら潔白であることを告げたところで、口ではどんなことでも言えるわけで、反論なんてできなかった。
「そもそもの話、そなたたちとは初めて顔を合わせたのだ。そんな相手の言葉をどうやって信用しろと?」
「……それを言われると」
「は、反論できないのです」
ぐうの音も出ない正論だった。カルディアもプーレも困り果ててしまっていたが、マーナのお兄さんはふたりから視線を外し、じっと俺を見つめられた。
……その視線は明らかに俺を値踏みしていて、なんとも言えない居心地の悪さを感じたね。
「……とはいえ、神子様が悪事に加担されるとは思えぬ。加えて、シリウスがそちらの獣人殿に懐いているし、我が妹のことも知っている。なにやら事情があるようですが、お教えいただけますかな? 神子様」
マーナのお兄さんは俺をじっと見つめながら、事情を話してくれと言ってくれた。
その言葉にカルディアとプーレがほっと一息を吐いていた。
が、それはあくまでもふたりにとってはであり、俺にとってはそこからが大変だった。
「……あー、まぁ、俺、いや、私もそこまで事情通というわけではないんですけど、知る限りでよろしいですか?」
「構いませぬ。それと話しやすい口調でよろしいですよ」
「よろしいので?」
「ええ。神子様のお望みのままに」
「ありがとうございます。あと神子様ではなく、カレンと呼んでいただければ」
「これはご丁寧に。私はそちらにいるシリウスの伯父にあたるアヴィスと申します」
「アヴィスさん、ですか」
「ええ。今後よろしくお願いいたします、カレン様」
「いえいえ、こちらこそ。では、事情ですが」
「はい、お聞かせいただけますか?」
「ええ。あくまでも俺が知る限りのことを話しますね」
「はい、お聞きしましょう」
マーナのお兄さんこと、アヴィスさんはそう言って頷いてくれた。
最初の態度よりもだいぶ軟化してくれていた。その様子にほっとしつつも、いままでの誤解をどうにか解くべく、俺が知ることを話していった。
「──ということらしいです。俺もまだシリウスと出会ったばかりなため、いまいちふたりの事情は知らないので」
「左様でしたか。人間の暮らしぶりを学ばせる、ですか。実に義弟らしいことです」
「そう、なんですか?」
「ええ、あれは穏健派ですからね。だからこそ、群れの長を継承できたということもあるでしょうね。人と相争うのではなく、手と手を取り合う道を探ること。それが一族を存続させるために、これから必要なことであるとあれは言っていましたからなぁ」
ふふふとおかしそうにアヴィスさんは笑っていた。
アヴィスさんは、ガルムの意見だとは言っていたけれど、おそらくはアヴィスさんも同じ意見であることはなんとなく窺えた。
もし、異なる意見であれば、鼻で笑うような蔑んだ言い方になるだろうから。
でも、アヴィスさんはガルムの意見を蔑んでいる様子はなかった。
人と共存の道を行くこと。魔物であるガルムやアヴィスさんたちからしてみれば難しいことではあるのだろうけれど、相争う道を進むよりかは存続の可能性が高い道だった。
その先鋒として選ばれたのがシリウスなんだろうけれど、まだ幼い自分の娘を選んだ理由はなんなんだろうとも思った。
「……シリウスはどうして選ばれたんですか?」
「さすがにそこまではわかりかねます。が、期待を掛けていることはわかりますよ」
「シリウスに期待、ですか?」
「ええ。「シリウス」という名を付けた時点で、多大な期待をしているということですからな」
アヴィスさんは笑いながら、ふさふさの尻尾を揺らし始めた。
すると、シリウスが「わぅ」と鳴いて、カルディアの腕の中から飛び降りたんだ。
カルディアは「シリウス?」と驚いた声をあげていたけれど、シリウスは「わぅ」と再び鳴くと、アヴィスさんの尻尾に抱きついたんだ。
「相変わらず、そなたは私の尻尾に夢中であるな?」
「わぅ。おじうえのしっぽ、ふさふさなの」
「ははは、そうか、そうか。存分に触りなさい」
「わぅん!」
シリウスは嬉しそうに笑うと、アヴィスさんの尻尾に顔を埋めていった。その顔はとても満足げで、そしてとても愛らしいものだった。
「この通り、愛らしい子ではあるのですが、この子の今後は明るい道ばかりではありません」
「と言いますと?」
「カレン様はグレーウルフという存在がどういうものなのかをご存知ですか?」
「え? えっと、たしかウルフの進化種、ですよね?」
念のためにカルディアとプーレを見やって確認すると、ふたりは揃って頷いてくれた。アヴィスさんも「相違ありません」と頷いていた。
「ですが、それだけではないのです」
「どういうことでしょうか?」
「グレーウルフとは、特殊な進化をした同胞のことなのですよ」
「特殊な進化?」
「ええ。ウルフには六属性それぞれの一族がありますが、グレーウルフになる者は、生まれつき光と闇の力を色濃く持った者だけなのです。その者が進化した姿こそがグレーウルフなのです。ただ、シリウスの場合はさらに特殊なのですが」
「え?」
「シリウスはグレーウルフとして産まれた子なのです」
「産まれたときから、ですか?」
「え? そんなことってあるんですか?」
アヴィスさんの言葉に俺だけではなく、プーレも驚いていた。カルディアだけはなにも言わずに佇んでいて、その様子からカルディアがシリウスの事情を予め知っていたということがわかった。
「本来なら進化種として産まれることはありえません。が、シリウスはそのありえない存在として産まれた子なのです。ゆえに、ガルムは「シリウス」と名付けたのです」
「どういうこと、でしょうか?」
「シリウスという名は、我らウルフたちの偉大なる始祖の御名です。始祖様のような偉大な存在になってほしい。そうガルムが願ったのでしょうな」
「……なるほど」
アヴィスさんの説明を聞いて、嘘であることはわかった。
いや、正確に言えば嘘というよりも、理由のすべてを話していないというところか。
始祖のように偉大な存在になってほしいから、という理由はまだわかる。
でも、それでグレーウルフとして産まれたことで「シリウス」として名付けようとしたということにはならない。
アヴィスさんの説明では=にならない。理由のひとつにはなるだろうけれど、それだけですべてが説明できるわけじゃない。
本命の理由がある。
でも、その理由はまだ語れないということなのだろうと当時の俺は感じ取っていた。
プーレもたぶん同じ結論に達していたみたいで、あえて詳しい事情を聞こうとはせず、頷いていた。
アヴィスさんもそれ以上の事情は口にせず、自身の尻尾にじゃれつくシリウスを見て、穏やかに笑われていた。
「シリウス。伯父上さんの尻尾は好き?」
「わぅ!」
「じゃあ、まま上の尻尾と比べたら?」
「わ、わぅ? それは、えっと、その、なの」
「ふふふ、冗談だよ」
「わ、わぅ。ままうえ、いじわるさんなの」
「ごめん、ごめん。お詫びにまま上の尻尾も触っていいからね?」
「わぅ~」
カルディアは自身の尻尾をそっとシリウスに突き出した。突き出された尻尾をシリウスは抱きしめてご満悦そうに「ありがとーなの」と笑っていた。
シリウスがシリウスと名付けられた理由。その理由は当時の俺には見当も付かなかった。
でも、なにかしらの重たい理由があることはわかった。
その重たい理由に押し潰されず、強く育って欲しいと願わずにはいられなかった。
「わぅわぅ、おじうえのしっぽも、ままうえのしっぽもだいすきなの!」
愛らしく笑うシリウス。その道行きがどうか幸福であれるようにと願わずにはいられなかった。
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