第40話 いざこざ
薄暗い森の中を進んでいく。
木漏れ日のおかげで、どうにか前方は見えていた。
が、足元は薄暗くて、まともに見えていなかった。
そのうえで、まともな道なんてものはなく、獣道だけだ。なにがあるのかもわからない道をどうにか進んでいく。
それは俺だけじゃなく、プーレも同じようで、その足取りは少し重たい。
ただ、カルディアだけは平然と前を歩いていた。
「アージェントの森」に来るまでは、先頭を進んでいたのはプーレだったけれど、「「アージェントの森」なら」とカルディアが先頭を進むことになったんだ。
どういうことかは言われた当初はわからなかったけれど、その意味はすぐに理解できた。
カルディアは狼の獣人だ。だからこそなのかな? 俺やプーレよりもはるかに鼻がいい。いや、鼻だけじゃなく、耳の聞こえも俺たちよりもいい。
だからだろうか、薄暗い「アージェントの森」の中であっても、カルディアの足取りは変わらなかった。
むしろ、森の外よりもはるかに足取りが軽いようにさえ感じられた。
「カルディアさんは、すごいのです」
「そう、だねぇ」
ふぅふぅと荒い息を吐きながら、俺とプーレは前方をひとりで進むカルディアの背中を見やる。
カルディアは時折振り返って俺とプーレの距離を確認してくれているが、それでも一向に距離は縮まってくれなかった。
「大丈夫? ふたりとも?」
前方からカルディアが声を掛けてくれた。俺もプーレも「どうにか」と返事をするのでやっとだった。
足元が見えないだけ。言葉にすれば、一言だけど、その一言だけのことがこんなにも大変なことになるなんて思ってもいなかった。
カルディアは「仕方がないなぁ」と言わんばかりに、立ち止まってくれていた。
ありがたいと思う反面、もう少し手心を加えてくれたらいいのにと思わずにはいられなかった。
『……無理よ。あの手のタイプは単独行動が基本だから、他の人に合わせるって考えがまるでないもの』
「……言い得て妙と言えばいいのかなぁ」
「間違っていないのが、反応に困るのです」
「だよねぇ」
香恋の鋭い一言に俺もプーレも言葉を濁らせた。
事実、カルディアは時折距離を確認してはくれていたけれど、立ち止まってはくれなかった。
立ち止まったのはそのときが初めて。どう考えても香恋の言葉が正しいのは明らかだった。
が、カルディアもカルディアで事情があるため、致し方がないことではあったんだ。
「早く仕事を終わらせて、シリウスを迎えに行ってあげたいんだけどなぁ」
やれやれとため息を吐くカルディア。その言葉に俺もプーレも「うっ」と二の句を告げなくなってしまった。
そう、そのとき、シリウスは俺たちとは別行動をしていた。
まぁ、別行動というよりかは、里帰り中でガルムとマーナと親子三人で過ごしていたんだよね。
理由は、「アージェントの森」の中をシリウスを連れて行くのはさすがに危ないからだ。
シリウスにとってみれば、「アージェントの森」はまさに庭であるのだけど、あくまでも群れの皆と一緒にという前提あってこそだ。
シリウスもまた進化種であるのだけど、まだ単独では難しいというのがガルムとマーナ、そしてカルディアの意見だった。
そのため、シリウスは実家でお留守番ということになり、俺たち三人、いや、四人で仕事をこなすことになったんだ。
だからなのかな。
カルディアはやけに急いでいた。
シリウスはカルディアにとても懐いているが、カルディアもシリウスを溺愛していた。それこそ、一時も離れたくないくらいに。
その証拠がその当時のカルディアが、普段のマイペースさとは真逆の急かし気味な態度だったんだ。
「旦那様ぁ、プーレもぉ、はーやーく」
カルディアは待ち疲れたとばかりに、文句を言っていた。
プーレは「ちょっと待っていてくださいなのです」と言うが、「待ち疲れたんですけどぉ」と反論されてしまう。
普段のカルディアらしからぬ態度だった。
『ちょっとは落ち着きなさいよ』
やれやれとため息を吐く香恋に、カルディアはむぅと頬を膨らませた。
「そういうのであれば、あなたも自分で歩けば? それじゃ腹話術の人形と変わらないよ?」
『はぁ? 誰が腹話術の人形ですって?』
「あなたに決まっているでしょう?」
『……雌犬の分際で言ってくれるじゃないの』
「私は狼であって、犬じゃないけど?」
『ふん。いまの姿は犬そのものよ? 大好物を前に「早く早く」と尻尾を振る犬そのものじゃないの』
「……ケンカ売っている?」
『どっちがよ』
カルディアを諫めようとしていた香恋だったが、カルディアの一言で一触即発となってしまった。それもカルディアもまただ。
「香恋、落ち着けって」
「カルディアさんも言い過ぎなのですよ」
ようやく追いついたところで、俺とプーレは香恋とカルディアをそれぞれに諫めていく。
ふたりは無言でいたが、揃ってため息を吐いた。
「……とりあえず、休憩しようか」
『……そうね。いろいろと落ち着かせないといけないものね』
「そうだね」
そう言うと、ふたりは揃って「ふん」と顔を背けてしまう。
香恋の場合は実体がないから、実際に顔を背けたかはわからないけれど、口調からして顔を背けたのは間違いなかった。
俺とプーレはお互いを見やり、それぞれに頷くと、俺は香恋を、プーレはカルディアにと声を掛けていったんだ。
そうして声を掛けると、香恋は──。
『まったく、腹話術なんて失礼にもほどがあるでしょうに』
──ぶつぶつと文句を言っていた。
とはいえ、気持ちもわからなくもなかった。
俺とは別人であり、れっきとした個人であるというのに、腹話術の人形扱いだ。怒ってしまうのも無理もない。
香恋は香恋でちゃんとしたひとりの人物だった。
まぁ、かく言う俺も、当時はいきなり声をかけられたばかりで、香恋がどんな存在なのかもはっきりとわかっていなかったし、歩き慣れない森の中を歩いていたことで余裕がなかったのも痛かった。
おかげでカルディアの「腹話術」扱いを否定できなかったんだ。
というか、まさかカルディアと香恋がケンカをするとは思っていなかったんだよね。
香恋は香恋で俺とプーレのために、カルディアを落ち着かせようとしてくれたのだけど、その結果がカルディアとのいざこざに発展してしまった。
そうなったのも俺とプーレが森の中を歩くことに慣れていなかったせいではあるのだけど、すでに賽は投げられた後だった。
「機嫌を直せって、香恋」
『なによ、私が悪いっての?』
「そうは言っていないって。カルディアも悪気があったわけじゃないんだよ」
『それこそ、どうだかよね~』
はんと吐き捨てるように言い切る香恋。
人形扱いに頭が来ていたようで、なかなか機嫌を直してくれなかった。
それはカルディアも同じようで、プーレがしどろもどろになっているのが遠目からでも、はっきりとわかった。
『そもそもの話、誰の許可を得て、あんたを「旦那様」扱いしてんのよ、あの雌犬は』
「いや、それは」
『たかが、薄膜一枚あんたに捧げたくらいで、正妻面とか、ちゃんちゃらおかしいわよ』
「ちょ、ちょっと香恋、落ち着けって」
『私は落ち着いているわよ!』
「……落ち着いている人は叫んだりしないよ?」
『むぅ』
文句たらたらな香恋に俺はどう対応するべきかと困っていた。
プーレもプーレで、カルディアがいつにもなくなマシンガントークにたじたじとなっていた。
「困ったなぁ」と俺もプーレもヒートアップ中の香恋とカルディアにどう対処するべきなのかがわからないまま、ふたりの言い分を聞くことしかできずにいた。そのとき。
「わぅ! ぱぱうえとままうえ、みっけなの」
不意にシリウスの声が聞こえてきたんだ。
一斉に振り返るのと同時に、シリウスがカルディアの腕の中に飛びこんだんだ。
「し、シリウス?」
「お留守番しているはずでは?」
「ばぅ、ぬけだしてきたの」
そう言って笑うシリウスに、俺とプーレは言葉を失い、香恋は「この子は」と呆れ、そして──。
「……もう、シリウスってば、ダメでしょう?」
──カルディアはそれまでの不機嫌さがどこへやらすっかりと落ち着いた様子で、抱きついてきたシリウスをそっと撫でていた。
その変化に俺がまたもやドキッとしてしまい、その様子に香恋となぜかプーレも不機嫌になってしまったのだけど、カルディアの不機嫌さはシリウスのおかげでなくなった。
これでどうにかなるかなぁと思っていたんだが、事態は俺の思惑とはまるで別の方向へと転がってしまった。
その切っ掛けは──。
「わぅ? だれかくるの?」
──シリウスのその一言だった。
シリウスの小さな耳がぴこぴこと動いたんだ。一拍遅れてカルディアも「誰か来る」とシリウスを抱っこしたまま、得物である剣を抜いて、茂みに向かって構えた。
俺とプーレは戸惑いながらも、それぞれの得物を構えた。
そうして全員で茂みに向かって構えていると、それは現れたんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます