第55話 血路

 鬱蒼と生い茂る背の高い木々が集まった「アージェントの森」の深部にあるシリウスたち一族の住居となる洞窟。


 内部を天然の魔群晶で溢れさせた洞窟の入り口は、まさに戦場という体を為していた。


 洞窟の前にある広場には、ふたつの軍勢が詰めていて、軍勢同士でぶつかり合っていたんだ。


 洞窟の前を固めるようにして陣を築くのは、ガルムとマーナ、そしてアヴィスさんを中心としたウルフたち。


 ガルムたちに対するは数百人ほどの集団だった。集団は男女が入り乱れて構成されている軍勢とも言える集団だった。


 特徴的なのは、全員の装備が緑色に統一されているということ。


 とはいえ、武器や防具までもが緑色というわけではなく、全身の一部になにかしらの緑色の装備があるということ。


 緑色の装備は人によって様々であり、外套もあれば胸当て、手甲、中には髪を緑色に染めている人もいる。


 それほどまでに多種多様な緑色に統一された集団だった。


「深緑の翼」という名前に相応しいとつい思ってしまうほど。


 そう、ガルムたちと対峙する集団こそが「深緑の翼」であることは間違いなかった。


 ガルムたちは「深緑の翼」に一切退くつもりはないと言わんばかりに、強気の姿勢を崩さずに対峙を続けていた。


 が、どちらがより不利であるのかは明らかだった。


「さすがに、脚を止めていたら」


『機動力を活かせないのは厳しいでしょうね。言うなれば、騎馬隊が止まって動かないままで、歩兵と、弓兵等の遠距離攻撃も可能な歩兵部隊と対峙しているようなものだものね』


 そう、不利なのはガルムたちだった。


 ガルムたちは、全員が進化種。通常の魔物よりも強力な存在だった。


 だけど、いくら強力とはいえ、持ち味を完全に活かせなくては宝の持ち腐れだった。


 ガルムたちの住居の入り口前は、両軍が対峙できるほどに広くはある。


 が、ガルムたちが縦横無尽に動けるほどの広さはない。


 縦横無尽に動けないが、それでも脚を動かすことはできる。


 しかし、ガルムたちが洞窟を背にしている以上は、洞窟に残っているであろう子供たちを死守しようとしていたら、脚を止めるしかない。


 万が一でも洞窟内に侵入されるわけにはいかない。だから、脚を止めてでも、あえて不利を背負ってでも守備の陣形を取るしかないようだった。


 ガルムたちからは攻勢には出ない。仕掛けるとすれば、反撃くらいか。


 言うなれば、拠点を死守するため、一切動かない騎馬隊ってところだった。


 本来なら機動力を活かして、敵軍を分断したり、突破したりするのが持ち味であるというのに、その持ち味を自ら捨てている。


 この時点でガルムたちはすでに追い詰められつつあった。


 その証拠に戦場には「深緑の翼」たちの死体もあるけれど、ブラックウルフやダークネスウルフたちの死骸の方が多かった。


 まだガルムたちの数の方が多い。


 だけど、そのままでは時間の問題でもあった。


「助太刀するしかない!」


 当時の俺は行動を一瞬で決めた。


 でも、俺よりも速く行動に映ったのはカルディアだった。


 カルディアは何の迷いもなく、「深緑の翼」へと切り込んでいったんだ。


「な、なんだ!?」


「獣人の女!?」


「深緑の翼」たちが動揺を示す。その動揺はガルムたちと対峙していた先鋒にまで至っていた。その動揺をガルムたちは見極めると、すかさず反撃を仕掛けていった。


 ウルフたちの牙や爪が容赦なく「深緑の翼」の構成員たちの骨肉を裂き砕いていく。


 肉を噛みちぎる音、骨が砕ける音、そして断末魔の悲鳴が響き渡る。


 それらの音に「深緑の翼」たちの動きに迷いが生じていた。そこにすでに中央近くまで切り込んでいたカルディアの雄叫びが重なった。


 カルディアはすでに全身が赤く染まっていた。


 進むたびに、構成員たちを切り捨てて、その返り血を頭から浴びていたんだ。


 真っ白なカルディアが赤黒く染まっていく様に、俺は言葉を失った。


 失いながらも、カルディアだけに背負わせるのはと自分を奮い立たせようとしたのだけど、脚は動いてくれなかった。


「なんで」


 カルディアとガルムたちは決死の行動に出ている。


 守りたい者たちのために、命懸けで戦っている。


 なのに、俺はそれを眺めることしかできなかった。


 情けなかった。


 ただ見ていることしかできない自分が、途方もなく情けなく、悲しかった。


 それこそ涙がこぼれ落ちるほどに。


 それでも脚は動いてくれない。


 動かないまま、それは起きた。


「喰らえ!」


 構成員のひとりが叫びながら、カルディアへと、ちょうど背中を向けていたカルディアへと剣を振り下ろしたんだ。


 カルディアにとって完全に死角からの一撃だったが、カルディアはとっさに身を捻って避けた。


 でも、その一撃はかすかにだが、カルディアの体を切り裂いた。


 カルディアの柔らかな頬を、剣の切っ先で切り裂いたんだ。


 カルディアは顔をわずかに顰めた。顔を顰めながら、カルディアは右手に持った剣で、斬りかかってきた構成員の首を刎ねた。


「そこだ!」


 首を刎ね飛ばしたカルディアへと、別の構成員が槍を抱えたまま突撃していた。


 完全に背中を向けていたところへの一撃。普通であれば、直撃してカルディアの体を貫いたんだろう。


 でも、カルディアはその一撃さえも回避した。


 まるで最初から見えていたと言わんばかりに、槍の一撃を跳躍して回避し、その穂先にと着地したんだ。


 曲芸じみた行動に、突撃を仕掛けた構成員があ然となっていた。


「一撃は一撃、だよね?」


 戦場には不釣り合いなほどに穏やかな笑みを浮かべながら、カルディアは槍の穂先を足場にして再び跳躍した。


 跳躍して、空中でくるりと回転しながら槍を手にした構成員の首筋を切った。


 切り裂かれた首筋から噴水のように血が噴き上がった。


 それは瞬きの間に起きるような、一瞬の出来事だった。


 その構成員は、血が噴き上がったことで、自分が死ぬことをようやく理解したようで、首筋を押さえながら、ゆっくりと倒れ込んだ。


 その間にカルディアは着地して、ガルムたちの元へと駆け込んでいく。着地する間に噴き上がった血をさらに浴びてしまったが、カルディアは気にすることなく、戦場をさらに駆けていく。


 でも、その足取りは少し重たそうで、切り込んでいったときよりも明らかに疲弊していた。


 疲弊しながらも、カルディアは両手にある双剣のみを以て、「深緑の翼」という名の人の波を掻き分けていく。みずから血路となる道程を切り開いていた。


 その姿に俺は「なにをしているんだ」と自分を叱責した。


 同い年のカルディアがああして戦っているのに、愛する人がああしてひとりで戦っているのに、俺はなぜなにもしていないんだ、と。


 怒りが沸き起こる。


 次いで、いままで以上の情けなさが募っていった。

 

 自然と拳を握っていた。強く、強く握りしめていた。


「……カレンさん、無理をしなくても」


 プーレが気遣うように言ってくれた。でも、その言葉に応えることなく、俺はそっとプーレを地面に下ろすと、背中のシリウスを無言でプーレに預けた。


『……カレン。行くのね?』


 香恋の言葉が響く。俺は無言で頷いた。


『……なら、私はもうなにも言わない。好きになさいな』


 本当は俺を止めたかったのだろうけれど、香恋は俺の意思を尊重してくれた。そのことは当時でもわかっていた。


「……ありがとう、姉さん」


『いいのよ。出来の悪い妹を支えるのも姉の役目ですものね? ……プーレ。あなたはどうかシリウスを守っていてちょうだい』


 余計な一言を口にしつつも、香恋は付き合ってくれると言ってくれた。その言葉に感謝していると、香恋はプーレにシリウスを守っていて欲しいと頼んでくれた。


 俺もシリウスを守ってもらうために、プーレにシリウスを預けた。プーレならばきっと頷いてくれると思ったのだけど──。


「いえ、プーレも行きます。シリウスちゃんはプーレとカレンさんのふたりで守るのです」


 ──プーレもまた参戦の意思を示してくれた。示しながらも、その手はかすかに震えていた。それでもプーレの目には強い覚悟が灯っていた。


『揃いも揃って、本当にバカな子たちね。……でも、嫌いじゃないわ。行きましょう』


 香恋がため息を吐く。


 ため息を吐く香恋の言葉に頷きながら、俺とプーレはカルディアが開いた血路へと踏み入れたんだ。


 はるか先にいるカルディアへと向かって、カルディアが文字通りに広げた血路を駆け抜けていったんだ。

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