第11話 ファースト・キス
潮の香りがしていた。
地元では嗅ぐことのないもの。
海の匂いを乗せた風が、全身をそっと包み込んでいく。
湿った風であるのに、不思議と嫌じゃなかった。
潮風が吹く中、俺は庭園の中にいた。
庭園は無数の花々が咲き誇っていた。色も種類も多種多様で潮風が吹いていても、芳しい香りを漂わせていた。
その庭園のちょうど中央にあるガゼボ──洋風の東屋の中に俺はいた。
「ふふふ、災難だったね」
「は、はぁ」
ガゼボの中には、例の美人さんもいて、俺は美人さんと対面するようにして、設置されていたテーブルにともに腰掛けていた。
カルディアに抓られた頬を擦る俺を、美人さんはおかしそうに笑って見詰められていた。
俺と彼女の間には一通りが揃ったティーセットに加え、色とりどりの焼き菓子が詰め込まれたティースタンドまである。
まさに絵に描いたようなティータイムだった。
ティータイムを楽しむように、美人さんは白磁のティーカップを片手に優雅な仕草で口元へと運んでいく。
琥珀色の紅茶の匂いを堪能してからゆっくりと一口含んでから嚥下する。
当たり前の所作でさえも、彼女の場合は非常に絵になっていた。
それこそ一枚の絵画のよう。至高の芸術作品のように見えてしまっていた。
無意識で見惚れてしまうほどに、彼女は美しかった。
「どうしたの?」
「え?」
「じっと見詰めているけれど、なにか顔についている?」
そうして美人さんに見とれていると、彼女は手に持っていたティーカップをソーサーの上に置くと、小さく笑いながら首を傾げた。
「え、いや、なんでもないです」
「そう? ならいいけれど」
頬杖を突きながら彼女は俺を見詰めていた。楽しそうに、いや、面白そうなものを見るようにの方が正しかったかもしれない。
玩具扱いをされている気分だったが、彼女ほどの美人さんにそういう扱いをされても嫌な気はしなかった。
それに、なんだか距離が少し縮まったように思えた。
つい少し前までは浮世離れしていたというのに、いきなり等身大の姿になったように感じられた。
同時に、いきなりの変化に思考回路がめちゃくちゃになりそうだった。
目の前の美人さんは、実在する人なのか?
それとも俺の想像の中の人なのか?
どうしても判別できなかった。
判別できないまま、美人さんの言葉を待った。
「ほっぺた、大丈夫?」
「……なんとか」
「そう。それはよかった。せっかくかわいいほっぺなのに、取れちゃったら残念だものね」
くすくすと笑いながら美人さんは、なんともずれているようで、そうでもないようなことを言ってくれている。
なんて言えばいいのかわからなかったが、当たり障りのない返事をするのが精一杯だった。
「さて、いまさらだけど、自己紹介と行きましょうか。私の名前はレヴィア。この城の主にして、この国を治めさせて貰っています」
「ご丁寧に、って、え?」
美人さんことレヴィアさんの自己紹介にお礼を言おうとしていたが、その際に聞こえてきた単語に思わず唖然となってしまった。
「……この国を治める、ってことは王様?」
「そうね。この国──「蛇の王国」を治めていて、「蛇王様」と呼ばれているね」
にこやかに笑うレヴィアさんだが、その言葉に俺は大いに慌ててしまった。
「こ、これはし、失礼しました。えっと、蛇王陛下」
「そんな畏まらなくてもいいよ? 公の場でもあるまいし」
レヴィアさんは紅茶を片手になんとも懐の広いことを言ってくれた。
言ってくれたが、王様からそう言われたとしても、すぐには頷けるわけもない。
「は、はぁ」としか俺は言えなかった。
レヴィアさんは「むぅ」とつまらそうに唇を尖らせた。
「そもそも、公の場であっても畏まられるのは好きじゃないんだけどね?」
「そう、なんですか?」
「うん。私としてはもっとフレンドリーにしたいのだけど、コアルスが口を酸っぱくして怒るから公の場ではそれなりの態度を取っているの。面倒なのにねぇ?」
そう言って俺との間で立ちすくむコアルスさんを見遣るレヴィアさん。
当のコアルスさんは「当たり前です」と大いに呆れた様子でレヴィアさんを見つめていた。
「国主とあろう方が、公の場でフランクに接してどうされますか? 王というものは、もっと尊大かつ威厳があるようにですね」
「えー、だって面倒じゃない? 私そんな尊大な態度なんてしたくないし、威厳なんてそんなものいまさら誇ってもねぇ」
レヴィアさんは再度頬杖を突きながら、空いた手でティーカップを指で軽く弾いた。乾いた音が静かな庭園内で響いていた。
「私が即位してからどれだけ時間が経っていると思っているの? 尊大とか威厳とかもうやり飽きたよ」
「……たとえ、何百年の治世であろうとも、王というものはすべからくですね」
「やだ。面倒くさい。王様ムーブ、飽きた」
「レヴィア様!」
コアルスさんが顔を真っ赤にして怒っていた。
初対面は優雅な男装の麗人とも言うべき人だったのだけれど、そのときには上司に恵まれない苦労人という風に見えてしまった。
事実コアルスさんは奔放なレヴィアさんに苦労させられているので、お労しいとしか言いようがない。
そんなコアルスさんを苦労させているレヴィアさんは、初対面とはまるで違う人に見えた。
初対面は完璧な美人さんという風に見えていたのに、そのときにはなんとも奔放な人という見えた。
超絶美人さんなことはたしかだけど、その内面はさながらいたずらっ子というか、やんちゃな人。そのギャップがやけに堪らなかった。
「……むぅ、なんかいい雰囲気だしぃ」
レヴィアさんの新しい一面を垣間見ていた俺に、カルディアは頬をぷっくりと膨らましていた。
頬を膨らましながら、ティースタンドの焼き菓子をこれでもかと口に詰め込んでいた。
さながらリスかハムスターのようで非常にかわいらしかった。
……本人に言ったら確実に怒られるだけなので、あえて当時は言わなかったけどね
後に狼の獣人というのは基本的に狼であることを誇りにしていると言うことを知った。
もし、狼の獣人相手に、ほかの動物の名前を出すとかなり危険だとも。
話を聞いたときは無知は怖いなぁとしみじみと思ったものだ。
いま思えば、当時の俺ははまさに英断をしていたんだと思う。
というか、間一髪と言う方が正しいのかもしれない。
本当に危なかったんだなぁといまでも思うよ。
ただ、当時の俺はそのことを知らなかった。
知らなかったからこそ、やけ食いしているようにしか見えないカルディアを諫めようとしていた。
でなかったら、リスかハムスターという危険な一言を投げ掛けていたんだと思うと、本当に命拾いだったよ。
「あ、あの、カルディア? その食べ方だと、着ている服がですね」
「……カレンにはかんけーないでしょ?」
ふんだと顔を背けてしまうカルディア。
初対面とはまるで違いすぎる姿に、なんとも言えない暖かな気持ちが沸き起こっていった。
なお、そのときの俺たちの格好は、レヴィアさんとカルディアはドレスだった。
カルディアのドレスは、赤い生地のもので、まるで炎を連想させるものだった。
炎は炎でも猛々しいというよりも、情熱って感じでカルディアによく似合っていたし、美しい銀髪にも映える見事なドレスだった。
対してレヴィアさんはというと、男性なら目のやりどころに困るデザインでしたとだけ言っておく。
女性から見れば痴女だと言いようがないとも言えるか。
北半球は完全に露わになっているし、背中に至っては隠す気はないと言わんばかりに完全に露出していた。
レヴィアさんは女性としては長身だから問題ないかもしれないが、上から覗き込まれたら、いろいろと見えてしまいそうなほどな危険なデザインだった。
だというのに、レヴィアさんが着ると不思議と格好よく見えてしまったのが不思議だった。
そういう意味でも目を奪われていたのかもしれない。
まぁ、どちらにしろ、カルディアにヤキモチを妬かせてしまっていたというのは変わらないのだけどね。
でも、ひとつだけ言えるのは、カルディアもレヴィアさんもとてもきれいだったということ。両手に花はああいうことを言うんだろうなといまは思う。
でも、当時の俺はそこまで考えていなかった。
なぜかと言うと、当時の俺が格好が問題だったんだ。
俺はふたりとは違って俺、なぜかコアルスさんと同じ燕尾服を身につけていたからだ。
いやさ、ドレスが似合わないのはわかっている。わかっているんだ。
こんなちんちくりんがレヴィアさんのようなドレスやカルディアのようなドレスを着ても空しいだけなのはわかっていた。
それでも、それでも、なんで俺は燕尾服だったんだろうか。
なんで燕尾服が用意されていたのかが理解できなかった。
けれど、そんな俺の疑問に対する答えはレヴィアさんからの一言だった。曰く──。
「カレンちゃんはそっちの方が似合うと思ったの。女の子をエスコート慣れしていそうだなぁってね」
──ということだった。
その言葉に対して俺はなにも言うことができなかった。
呆れたというわけではなく、事実だったから。
実際に俺はエスコートには慣れていた。
慣れていると言っても相手は希望だけであり、希望以外の子をエスコートしたことはない。
だから、エスコートには慣れているものの、特定の相手だけであって、女の子全般に慣れているというわけじゃない。
慣れているわけじゃなかったのだけど──。
「……むぅ」
──カルディアはどうにも俺が女の子をとっかえひっかえしているように取ってしまったみたいだ。
唸りながら、じぃっと俺を睨み付けていたんだ。とても居心地が悪かったね。
俺がなにをした?
なにもしていないでしょう、と言いたかった。
けれど、そのときのカルディアになにを言っても通じないというのは明らかだったので、俺はただ針のむしろになることしかできなかった。
「やっぱりカレンちゃんは女殺しな子なのねぇ」
俺の様子を見て、レヴィアさんはおかしそうに笑っていた。
すべてあなたが原因ですけどと言いたかったが、仮に言ったところで相手をして貰えないのはわかっていた。
どのみち、俺はカルディアに睨まれることしかできずにいたということだった。
そんな睨まれ続けるお茶会をどうにか過ごしていたとき。
レヴィアさんは俺をさらに追い込む一言を放ってくれたんだ。
「ねぇ、カレンちゃん」
「なんですか?」
それはお茶会が始まってしばらくして、具体的にはカルディアを諫めて失敗してすぐのことだ。
レヴィアさんはニコニコと笑い、何気ない口調でこう言ったんだ。
「今夜一緒に寝てくれない?」
はじめ、なにを言われたのかがわからなかった。
レヴィアさんの放った一言はそれだけとんでもないもので、言葉の意味をすぐに理解することができなかった。
その言葉にカルディアが大きく反応を見せ、コアルスさんも「……また始まった」と嘆かれた。
でも、俺はふたりの反応を気にする余裕はなく、唖然としつつ尋ねていた。
「……えっと、冗談ですよね?」
「ん? 本気だけど? カレンちゃんを「大人」にしてあげたいなぁって思ったの」
表情と限度のギャップが激しすぎた。
笑顔自体はまるで淑女そのものであるのに、発言は完全に痴女のそれだ。
頬が思いっきり引きつる俺を見ても、レヴィアさんの態度は変わらないどころか、レヴィアさんは加速した。
「カレンちゃんって、本命さんがいるよね?」
「……え?」
「だから、その予行演習の相手をしてあげる。本命さんを満足させる方法、ううん、「女の殺し方」を教えてあげたいのだけど、どう?」
目をすっと細めるレヴィアさん。
もともと蠱惑的な人だったのに、それがより顕著になった気がした。
目が離せなくなっていく。まるで、レヴィアさんに吸い込まれていくような気分だった。
意識が遠ざかる中、レヴィアさんの言葉に頷こうとした、そのときだった。
「レア様、ストップ!」
俺とレヴィアさんの間に挟まり込むようにして、カルディアが体ごと突進してきた。
おかげで俺はその場で空を見上げることになったものの、レヴィアさんの視線から逃れることはできた。
その代わりに、カルディアの整った顔がすぐ目の前に迫ってきていた。
細長い睫毛や、きめ細やかな肌、柔らかな銀髪、透き通った紅い瞳。
それらすべてがすぐ近くにまで迫っていた目の前の光景に息を呑んだ。
息を呑みながら、俺はカルディアをぼんやりと見つめることしかできずにいた。そんな俺にカルディアは──。
「カレンは私のものなんだからダメ!」
──そう言って俺の唇に自身の唇をいきなり重ねてきたんだ。
レヴィアさんの「ずるーい」とかコアルスさんの「この人たちは」という声を聞きながら、初めての感触に俺は頭を真っ白にしていた。
カルディアと交わしたキス。それは俺にとって初めてのキスだったんだ
異世界に来て、唇を奪われた相手は、希望とは異なるタイプの美少女。
異性相手ではなく、同性がファーストキスの相手。
なんとも俺らしい、そんな初体験だった。
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BLOOD+みたいなサブタイになってしまった件←
でも、話の内容的にはこれ以外なかったので←汗
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