第12話 卒業

 眩い星空が見えていた。


 異世界に来て最初の日は、あっというまに暮れて、気付けば夜になっていた。


 時間の移り変わりは、元の世界と変わらなかったし、空の色のグラデーションの変化も同じだった。


 青から緋色、そして黒に染まった空。


 黒い空を星々の眩い光と優しい月の光が彩っていた。


 月はこの世界でもひとつだけのようで、空の中心にどんと構えるようにして、夜闇に染まった世界を照らしていた。


 そんな月とは違って、星々は俺の知っているものとは違っていた。


 正確に言えば、星の位置は同じだ。星座の形も同じ。


 ただ、暑い時期であるのに、オリオン座らしきものが、オリオン座の象徴である三連星が見えているのが不思議だった。


 元の世界の常識と真っ向から喧嘩を売っているなぁと、夜空をぼんやりと俺は眺めていた。


 夜になり、俺はあてがわれた部屋にひとりでいた。


 ……あくまでも、そのときは。


 特徴的な音が隣の部屋から聞こえてくる中、所在なさげにベッドの上で正座をしていた。


 正座をしながら、星座の鑑賞なんて、下手な言葉遊びみたいな状況だったが、当時は本当に余裕がない状況に追い込まれていた。


 正座していたベッドが柔らかすぎて、落ち着かないというのも理由ではあったよ。


 うちの実家はザ日本建築みたいな風情だけど、俺の部屋自体は洋間なので、ベッドは使い慣れていたんだ。


 慣れていたけど、自室のベッドとは比べようもないほどにふかふかのベッドだった。


 このまま横になったら、明日の朝まで眠れそうなほどに、心地いい眠りが約束されていると思わせてくれたのだけど、それがかえって落ち着かさなを助長させてくれていた。


 高級ホテルのベッドってこんな感じなんだろうなぁと思いつつ、俺はベッドの上で俺は正座をしながら固まっていた。


 固まりながらも、空を眺められる余裕はあった。


 いや、余裕というか、空を眺めていないとやっていられない状況だったという方が正しかったのかな。


 非日常のことが起こりすぎた一日。その最後がとびっきりだった。


 その理由が隣の部屋、ひとつ壁を挟んだ部屋からの水の音だった。


 隣の部屋と言っても、実態は同じ部屋だった。


 俺に宛がわれた部屋は、さながら高級ホテルの一室だった。


 部屋は広々としており、簡易的なキッチンに、ゆったりとできる大きなソファーと備え付けのやはり大きなテーブル、窓際のそばにある天蓋付きのベッドと必要なものはあらかた置かれていた。


 そして当然、バスルームも部屋の中にはあった。


 バスルームと言っても、転移先だった浴室よりもだいぶ狭い。


 でも、ビジネスホテルに備え付けのバスルーム

よりも広々としていた。


 なにせ、備え付けのバスルームであるはずなのに、ユニットバスではなく、大きな浴槽とシャワーが置かれていたんだ。


 もはやバスルームというよりも、一般家庭のお風呂場を思わせるレベルだ。


 それも普通のお風呂場とは違い、大人数人が一度に使用できるほどの広さと来ていた。

 

 そのバスルームからシャワーの音が聞こえていた。


 次いで鼻歌のようなものも聞こえていた。


 その鼻歌はとても耳触りのいいソプラノボイスで、いつまでも聞いていられるほどだった。


 そのソプラノボイスの鼻歌とともに水が流れていく音を聞きながら、「どうしてこうなったんだろう」と当時の俺は緊張感に包まれていた。


 あのときは、その場の状況にまるで着いていくことができていなかった。


 あまりにも状況が劇的に動きすぎて、状況把握がまるでできていなかったんだ。


 けれど、状況は俺の願いなんてまるっと無視して進んでいった。


「これでよしっと」


 水の音が止まった。


 同時に鼻歌も止み、代わりにどこか楽しげなレヴィアさんの声が聞こえてきたんだ。


 それからすぐに扉が開く音も聞こえてきた。


「お待たせ、カレンちゃん」


 扉の向こうからバスローブ姿のレヴィアさんが現れたんだ。


 ……ここまで言えばもうわかるかと思うが、ずっと俺が緊張していた理由はレヴィアさんだ。


 要はレヴィアさんが隣の部屋風呂でシャワーを浴びていたんだ。


 うん、シャワーを浴びるだけであればまだいい。

 問題なのは、寝間着ではなくバスローブ姿だということ。


 そもそも、なんで俺用にと用意された部屋の風呂に入っていたのか。


 その理由はレヴィアさん曰く、「今日はカレンちゃんとお泊まりするから」だった。


「この人なに言っているの?」と思ったよ。


 けれど、家主ならぬ城主の意向を無視することはできなかった。


 レヴィアさんがシャワーを浴び終わるのを待ち続けることしかできなかった。


 それさえも、必死の抵抗でようやく勝ち取れたんだ。


 なにせレヴィアさんったら、最初は「一緒に入ろう?」と言っていたし。


 どうにか諦めさせた結果がシャワー待ちという状況だった。


 実家の自室とは比べようもないほどに広い部屋のベッドの上でひとり正座をし続けていたそのときは、正直落ち着かなかったし、生きた心地がしなかった。


 あのとき、もしひとりでなければ、カルディアがそばにいたら、まだ女子会みたいな雰囲気を出せていたかもしれない。


 でも、残念ながらそのとき、俺のそばにカルディアはいなかった。


 カルディアがそばにいなかったのはカルディアが俺の唇を奪ったことが原因だった。


 正確には白昼堂々といきなりキスをしたカルディアを見て、コアルスさんが激高してしまったんだよね。


「淑女としてあるまじき姿だ」と怒り狂ったコアルスさんに首根っこを引っつかまれて、カルディアどこかへと連行されてしまったんだ。


 その後、俺はカルディアを見かけることはなかった。


 夕食の時間になってもカルディアが姿を見せることはなかった。


 姿が見えなかったのはコアルスさんも同じで、結局俺は夕食までひとりレヴィアさんの相手をしていたんだ。


 その後も俺はレヴィアさんと一緒に行動した。


 本来ならコアルスさんに案内されて、宛がわれた部屋に向かうはずだったのだけど、カルディアの相手に忙殺されていたコアルスさんの代わりをレヴィアさんがしてくれたんだ。


 最初は恐縮したんだけど、レヴィアさんが「どうしても」と言って聞いてくれなかったというのもある。


 そうしてレヴィアさんに案内してもらい、言われたのが「お泊まりする」という一言だったんだ。


 当然、そのとき周りには誰もいなかった。


 コアルスさんもカルディアもいない。


 ニコニコと笑いながら、俺が宛がわれた部屋に入ろうとするレヴィアさんしかいなかった。


 助け船を出してくれる相手なんて誰もいなかった。


 気が遠くなるのを感じながらも、俺はどうにか断ろうとはしたが、事実上の押しかけの客人である以上、家主の動向を無視することはできなかった。


 そうしてレヴィアさんと一夜を共にすることにはなったものの、緊張するなというのが無理な話だった。


 相手は初対面にも関わらず、閨をともにしてと言い出すレヴィアさんなのだから。


 そのときも、いや、閨をともにしてと言い出されてからというもの、レヴィアさんが俺を見る目はどうひいき目に見ても狩人そのものだった。


 シャワー待ちをしている間、正座をしていたのは迫り来る恐怖に必死に耐えていたがゆえにだった。


 一人称が「俺」で、口調もがさつではあるけれど、それでも性別上は女であり、生娘だった当時、肉食獣を想わせる人とふたりっきりの状況というのは、恐怖以外の何者でもなかった。


 抵抗しようにも、生殺与奪の権利を事実上握られている以上、どうすることもできなかった。


 俺にできたのは、何度も言うけれどシャワーを待つことと可及的速やかに眠りに就くことくらいだった。


 いくらレヴィアさんでも、眠った相手に手を出すことはしないだろうという、一縷の望みを懸けていた。


 だけど、そんな望みはあっさりと覆されてしまった。


「じ、じゃあ俺も──」


「それじゃあ、しよっか。カレンちゃん」


 シャワー浴びてきます。


 そう言おうとした矢先、数メートルほど離れていた場所に立っていたレヴィアさんが、気づいたら目の前にいた。


 レヴィアさんは笑いながら、俺をベッドに押し倒すと、そのまま俺の上に馬乗りになったんだ。


 その間、俺は一切の抵抗ができなかった。いや、抵抗できなかったというよりかは、状況があまりにも混沌すぎて処理が追いついていなかった。


 いま自分がどんな状況にあるのかを理解できずにいたんだ。

 

「捕まえた」


 でも、俺がフリーズしている間もレヴィアさんは俺から逃げられないように、体重をうまい具合に掛けられていた。


 俺が自我を取り戻したときには、すでにレヴィアさんによる包囲網が完成していた。


「れ、レヴィアさん?」


「なぁに?」


 レヴィアさんは俺にのし掛かりながら笑っていた。妖しく笑っていた。


 その笑みにぞくりと背筋が震えるのを感じつつも、その一方で俺は見惚れてしまってもいた。


 サファイアのような瞳は、シャワーの影響なのか濡れているように見えていた。


 のし掛かられていることで、瞳はずっと近くにあって、濡れる瞳がより美しくて、その瞳に見つめられていると胸がどんどんと高鳴っていた。


「あ、あの、退いて」


「やぁだ」


 退いて欲しいと頼んでもレヴィアさんは意地悪そうに笑うだけだった。


 むしろ、退いて欲しいと言ったことで、より距離を詰められてしまい、レヴィアさんの髪が俺の頬に触れていた。


 ただでさえきれいな髪がシャワーを浴びたことで、艶が出てよりきれいに見えていた。きれい髪に触れられ、少しくすぐたかった。


「や、やだって」


「なにを言われても退かないよ、カレンちゃん」


 なにを言われても退かないという一言に緊張感が高まっていった。


 そもそもいきなり組み伏され、のし掛かられてしまられたら、俺じゃなくても緊張はするだろう。


 その相手がレヴィアさんのようなとびっきりの美人さんならなおさらだ。


 そんな俺の動揺する様を見て、レヴィアさんはおかしそうに笑っていた。


「緊張しているね?」


「そ、それはそうですよ。ってそうじゃなくて、あ、あの、冗談はこのへんで」


「私、こんな冗談はしないよ?」


 目をすっと細めながら、レヴィアさんはバスローブの結び目を解かれると──。


「……え?」


 バスローブを解かれて見えた光景に俺は言葉を失った。


 バスローブの下には真っ白な素肌とその素肌に刻み込まれた無数の傷跡があった。


 元々きれいな肌であることは知っている。あの痴女のようなドレスを着ているときから肌がとてもきれいであることは知っていた。


 でも、無数の傷痕は少なくともドレス時に見えていなかった。


 それもドレスを着ていたときにも露わになっていた部分にも、見覚えのない傷痕は刻まれていたんだ。


「……やっぱりそうなるよね?」


 レヴィアさんの体の傷痕に目を奪われていた俺に、レヴィアさんは悲しそうに顔を曇らせていた。


「その、傷は」


「……いろいろとあってね。いまは見せていいかなって相手にだけ見せるの。この痕を見た人とはたいてい関係を持ったよ。カレンちゃんで何人目になるのかな?」


 傷跡のことを尋ねると、レヴィアさんの表情が硬くなった。


 だが、すぐに穏やかに笑いながら俺の頬に触れてきた。


 レヴィアさんの掌は冷たかった。


 シャワーを浴びていたはずなのに、熱は一切感じられない。氷、いや、まるで極寒の深海のように感じられた。


 冷たい掌だったけれど、不思議と心地よくもあった。


 でも、どれほどに心地よくても顔の曇ったレヴィアさんを見ていると、胸がざわめていった。


「冷たいでしょう? だから温めてほしいの。カレンちゃんのぬくもりで私の体を火照らせて」


「で、でも、俺は」


「好きな子がいるのは知っている。知っていてあえて言っているんだよ」


 レヴィアさんはじっと目を逸らすことなく告げた。なんて返事をするべきなのかがわからなくなってしまった


 あまりにも価値観が違いすぎていた。この世界特有のものなのか、レヴィアさん個人のものなのかも判断ができなかった。


「なんで、俺なんですか」


「一目惚れかな?」


「え?」


「カレンちゃんを一目見て、「美味しそう」って思ったの」


「美味しそう、って」


 いきなりのセリフに少し引いてしまった。が、当のレヴィアさんは穏やかに笑っていた。


「すっごく好みな子だなぁって思っていたんだ。だからカレンちゃんのこと抱きたいなぁって思ったの」


「だ、抱きたいって」


 臆面もなくはっきりと告げられて、頬に熱がこもるのがわかった。


 でも、当のレヴィアさんの様子は変わらない。ただ俺をまっすぐに見下ろしながら、頬を撫でてくれていた。


「代わりに私をめちゃくちゃにしていいからね? 大丈夫。好きな子とこういう関係になったときの練習台にしていいから。だから──」


 ──しようよ、カレンちゃん。


 そっと囁かれたのは一言だった。


 そのただ一言を俺は跳ね返すことはできなかったし、抜け出ることもできなかった。


 俺の反応を了承と受け取られたのか、レヴィアさんは「ありがとう」とお礼を言った。


「あ、いや、いまのは」


 慌てて否定をしようとしたけれど、もう遅かった。


 レヴィアさんは「少し強引になっちゃうけれど、優しく教えてあげるね」と言って、顔を近づけていた。


 顔を逸らすことはできなかった。


 気づいたときには目の前にレヴィアさんの顔があり、そして口の中が燃えるように熱くなった。


 その時間はどれほどのことだったのだろう。


 数十秒?


 それとも数分?


 いま思い出してもよくわからない。


 ただ短いようで長い時間だったということはわかる。


 その時間を過ごした後、レヴィアさんがゆっくりと離れていった。


 離れる際に、俺とレヴィアさんの間に銀色の橋が架かっていた。唾液によってできた銀色の橋が架けられていた。


「カルディアちゃんに奪われちゃったけれど、「こっち」は初めてだもんね? 初めて奪っちゃった」


 くすくすとおかしそうに笑いながら、レヴィアさんの目は陶酔していた。その目に頭の回転がゆっくりと鈍っていくのがわかった。


「レヴィ、アさん」


「いまは「レア」でいいよ? カレンちゃんはもう私のものだし、私もカレンちゃんのものになりたいし」


「で、でも」


「でももなにもなーい。もう決定事項だよ。だから覚悟決めよう、ね?」


 結び目を解いただけだったバスローブを脱ぎ捨て、レヴィアさんは産まれたままの姿になった。


 傷痕があっても、その体はとてもきれいだった。


 状況を忘れて見惚れてしまうほどにきれいだった。


 じっとレヴィアさんを見上げると、なぜか「ふぅん?」と口元を妖しく歪められた。


「先にしてあげようかなぁと思っていたけど、カレンちゃんに先にして貰った方がいいかな? 私はどっちでもよかったけれど、カレンちゃんの緊張を解すのにちょうどいいかもね」


 口元を妖しく歪めたまま、とんでもないことを言い出したレヴィアさんに「なにを言っているんですか」と顔を熱くしながら反論した。


 でも、レヴィアさんは「カレンちゃんを「卒業」させてあげることだよ?」となんでもないように言ってくれた。


「卒業って」と絶句する俺にレヴィアさんはまたもや妖しく笑っていた。


「大丈夫。怖くないから。むしろ、夢中にさせてあげる。私の体で「女の殺し方」をいっぱい学ばせてあげるからね、カレンちゃん」


「れ、レヴィアさん、ちょっと待って」


「レアって呼んで?」


「れ、レアさん」


「うん。それでいいよ。じゃしようか、カレンちゃん」


 レアさんがまた顔を近づけてくる。


 手を差し込んで抗おうとしたけれど、なぜか手は動かず俺はされるがままにレアさんと唇を重ねた。


 そのあとのことはいまいち憶えていない。


 いろいろとしたし、されたということは憶えているのだけど、具体的なことはと言うとよく憶えていなかった。


 ただひとつ憶えているのは、具体的に記憶にあるのは、蒼い髪を振り乱しながら肌を淡く紅潮させ、陶酔しきった目で俺を見上げるレアさんの姿だけだった。 

________________________________________________

以上10話でした。


さて、今後の更新についてですが、今後は3日に一度のペースで更新していきたいと思っています。


毎日更新は仕事の関係上難しく、かと言って週一は私自身がダレてしまいそうなので、3日に一度の更新にさせていただこうと思います。


今後も拙作をよろしくお願いします。


次回は18日予定です。

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