第13話 事実とヤンデル

 心地よい感触だった。


 感触の向こう側からは落ち着くぬくもりも感じられた。


 ぼんやりとした意識の中で、それらふたつに包まれていた。


 意識は少しずつ覚醒していたが、まだ微睡みの中にいた。


 感触とぬくもりのふたつが、微睡みから抜けだすことを防いでいた。


 それでも徐々にだが、意識は覚醒していく。


 窓の外から聞こえる小鳥のさえずりが少しずつ大きく聞こえていた。


 夢と現実の狭間。


 そのときの俺はまさにそんな状態にあった。


 このままではどちらにも、二度寝にも起床にも転がれる。そんな状態だった。


 このまま眠ってしまいたいと思う一方で、そろそろ起きないとも思った。


(……そろそろ希望が起こしに来るよなぁ)


 寝てもいいけど、その場合は希望にたたき起こされるのが目に見ていた。


 本来、幼なじみってもんは、優しく揺り起こしてくれるものだけど、うちの幼なじみの場合にはそんな優しさは皆無だ。


 何年か前なんて、寝ている俺の土手っ腹に、俺が使っている学生鞄を、全教科の教科書ないし資料集などを詰め込んでいる鞄をめり込ませてくれたもんだ。


 いや、あれはもはや鞄なんて生やさしいものではなく、即席のブラックジャックだった。


 下腹部にめり込んでくる痛みをいまでも憶えている。


 希望がなんでそんなことをしたのか。実に単純な理由で「起こしても起きなかったから」らしい。


 そんな理由で凶器を振り回さないでほしいもんだよ、切実に。


 だからこそ、あまり寝過ぎていると酷い目に遭わされてしまう。


 酷い目に遭わないためにも、そろそろ起きないといけない。


 そう思いながら、薄らとまぶたを開こうとした、そのとき。


「んぅ」


 耳朶にか細い届いた。


 まず間違いなく俺のものではない声。その声を聞いた瞬間、意識は一瞬で覚醒した。


「っ! んんっ!?」


 飛び起きるように体を起こそうとしたが、すぐさま再びぬくもりと感触に包み込まれてしまう。


 実際に飛び起きたのだけど、すぐさま捕獲されてしまった。


 俺を捕獲するのは細くきれいな二本の腕。


 しかし、どれだけ力を込めてもびくともしない。白亜の牢とも言うべきもの。


 それでいて、その牢の中は、一言で言ってすごかった。


 希望さえもはるかに凌駕する物量が俺の顔を挟み込んだんだ。


 ゲーム仲間のタマちゃんという子がいるんだけど、その子が無類の好きものなんだが、そうなる理由もわからなくもないと言えるくらいにすごかった。


 いままでの自分を変えてしまいそうなほどのレベルの衝撃。


 レベルインパクト。そんなブツが俺の顔を挟み込んでいた。


(タマちゃんに知られたら、確実に恨まれそうだ)


 若干薄れそうになる意識の中、俺はそんなことを考えていた。


 正直に言うとよくまぁそんな余裕があるなぁと自分でも思ったもんだ。


 でも、まぁ、余裕がないときほど、余計なことを考えてしまうのってはあるあるだとは思う。


 それも余裕がなければないほど、どうでもいいことを考えてしまいがちだ。


 そんな「危機的状況下ほどどうでもいいことを考えてしまう説」を実体験していた俺の耳に、くすくすと楽しそうな声が聞こえてきた。


「ふふふ、カレンちゃんってば、甘えん坊さんかな?」


 頭上から聞こえてくる声は、聞き覚えのあるものだった。


 その声を聞いて、ようやく自分がどういう状況に陥っているのかを、俺は思い出した。


「……おはようございます」


 どうにか檻から顔だけ抜け出すと、そこにはほんのりと頬を染めたレアさんがいた。


「おはよ、カレンちゃん」


 穏やかに笑うレアさんは、やはり起き抜けで見ても、とびっきりの美人さんだった。


 そんなレアさんに挨拶を交わすと、挨拶を返してくれる。


 そこだけを見れば、日常そのものと言えるのだけど、現実はそうではない。


「……俺、寝ちゃったんですね」


「うん、いろんな意味でね?」


「……」


 寝たという言葉を曲解しながら答えるレアさん。

 が、残念ながら、そのときばかりはなんの否定もできなかった。


 昨夜に起きたことというか、してしまったことを鮮明に思い出し、頬が熱くなるのがはっきりとわかった。


 昨夜のことを思い出した俺を見てレアさんはニヤニヤと笑っていた。


「なぁに? 昨日、お姉さんにいっぱい甘えてくれたことを思い出したの? それともお姉さんをこれでもかってくらいにめちゃくちゃにしてくれたことを思い出したのかな?」


「……両方、です」


「そっか、両方とも思い出してくれたんだ、嬉しいなぁ」


 レアさんは俺をこれでもかと抱きしめてくれた。なんとも言えない気分になったのは言うまでもない。


 その理由はカルディアだった。彼女になんて言えばいいのかがわからなかった。


 まぁ、そもそもカルディアとは恋人でもなんでもなかった。


 恋人ではないのだけど、なぜか「カレンは私の」と言い出す彼女のことを考えると、彼女がそのときの状況を知ったらどういうことになるのか。


 そう考えただけでも、非常に頭が痛くなった。


 それこそ、レアさんの胸に顔をぐりぐりと埋めて現実逃避をするくらいには。


 だけど、その現実逃避がかえってレアさんを煽ることになってしまった。


「……あー、ダメ。かわいい。朝からはとか思っていただけど、もうどうでもいいや。というわけで」


 にやりと笑みを浮かべながら、レアさんは神妙に手を組み、そして一言。


「いっただきまーす」


 がばっと勢いよく起き上がると、俺を組み伏して顔をゆっくりと近づけて──。


「ダメっ!」


 ──寝室の扉が勢いよく開き、そこからカルディアが飛び込んできたことでレアさんは止まったのだった。


「あら? カルディアちゃん。おはよう」


 飛び込んできたカルディアを見て、レアさんはにこやかに笑っていた。


「うん、おはよう、レア様」


 あまりにもあっさりとした挨拶、あまりにも自然すぎる挨拶だったからか、カルディアは出鼻をくじかれてしまい、挨拶を交わしてしまう。


 レアさんはカルディアとのやり取りを終えてにこりと笑いながら「それじゃ、カレンちゃん続きを」と俺に迫った。


 カルディアはカルディアで、俺に迫るレアさんを見て、「はっ」と息を呑むやいなや弾かれたように「ダメぇ!」と言ってベッドに飛び込んできたんだ。


「もう、カルディアちゃん。いきなりベッドに飛び込んじゃダメじゃない。親しき仲にも礼儀ありって言うでしょう?」


「う、ごめんなさい、ってそうじゃない!」


 レアさんのペースに乱されすぎていたカルディアだったけど、どうにか自分を取り戻し、レアさんに顔をずいっと近づけた。


「レア様、カレンに手を出したらダメ!」


「どうして?」


「どうしてって、カレンは私の」


「だって、カレンちゃんはもう私のものだよ?」


「……はい?」


 レアさんの一言にカルディアは不思議そうに首を傾げた。


 レアさんが口にした言葉の意味がわからないみたいだった。


 無理もない。コアルスさんに連行されるまでとは状況がまるで違っていたのだし、カルディアの反応は当然だった。


 当然だったんだけど、レアさんはそれでよしとすることなく、カルディアに追撃をしたんだ。


「だって、昨日カレンちゃんを抱いたし、カレンちゃんに抱いて貰ったもの。だからカレンちゃんは私のもので、私はカレンちゃんのものだよ」


 にっこりと追撃、いや、トドメとなる一言を告げてくれるレアさん。


 カルディアは驚いた表情で俺を見遣ると、また顔を近づけてきた。


「ど、どういうこと!?」


「いや、あのね? 違うんだよ?」


「なにが違うの? どう違うの?」


 カルディアは目を据わらせながら顔を近づけてきた。


 ……めちゃくちゃ怖かったです。いま思い出すだけでも、寒気がするほどにだ。


「お、落ちついて、カルディア」


「私は落ちついている、よ?」


「いや、落ちついている人は刃物を出さないからね!?」


 カルディアは腰に佩いていた双剣をゆっくりと構えた。


 構えながらその目はしっかりと俺にロックオンされていた。


 あ、これ死ぬわ。


 自身の未来が、待ち受ける未来がはっきりと見えてしまった瞬間だった。


 体は自然と震えた。


 だが、カルディアは俺が体を震わせているのを見ても、にこやかに笑うだけだった。


 笑いながらもカルディアは、ゆっくりと口をオ開くと──。


「大丈夫だよ、カレン」


「な、なにが?」


「カレンの首を跳ね飛ばしたら、すぐに私も自分の心臓を抉り出すから。だから安心してね?」


「安心できる要素が皆無なんですけど!?」


 むしろ、なにを以て安心しろというのか。


 カルディアの言葉はあまりにもぶっ飛んでいた。


 けれど、当のカルディアは「大丈夫だから。安心して、ね?」の一点張りだった。


 意思疎通ができているようで、一切通じ合っていないという状況に愕然としそうだった。


 だけど、そうしている間にもカルディアはその双剣を打ち合わせて、「ふふふ」と光のない瞳で笑っていた


 カルディアはヤンデル系だったのか。


 知りたくなかった事実を知っても、俺は身動きが取れなかった。


 というのも、レアさんが退いてくれなかったからだ。


「うーん。首がなくなっても、体は保存できるからいいけど、やっぱりちゃんと首があった方が」


 レアさんは非常にずれたことを言ってくれた。


 そうじゃないでしょう、と言いたかった。


 言いたかったけれど、下手に視線を逸らすと即座に双剣で首を落とされそうな気がした。


 かといってなにもしないままでも、デッドエンド確定。


 ……有り体に言えば、詰みだった。


(……あ、俺終わったわ)


 どう考えても助からない。そんな死亡確定な状況を前に、俺は心の中で十字を切った。


(……ごめんね、希望。約束は守れない)


 ここにはいない想い人との約束が不履行になることに涙し、迫りつつあるそのときにただ身を任せようとした、そのとき。


「……なにをなさっているんですか、あなた方は」


 救世主は現れたのだった。


 救世主はゆらゆらと揺れ動きながら、燕尾服を纏って近付いてくる。


 その顔にあるのは笑み。


 でも、とても怖い笑顔だった。


 その笑顔の前に、さしものレアさんもびくりと体を震わせていた。


 カルディアに至ってはガタガタと体を震わせてさえいる。


 だが、救世主はそんなことはお構いなしとばかりに近づき、そして──。


「淑女たる者が、朝っぱらからなにやらかしているんですかぁぁぁぁぁーっ!?」


 ──救世主ことコアルスさんの怒号が響き渡ったのだった。


 その後、俺はどうにかコアルスさんの手で救出されることになった。


 だが、レアさんとカルディアは首謀者ということで、こってりとお灸を据えられることになったのは言うまでもない。


 うん、いま思い出しても、とっても怖い。


 コアルスさんは苦労人だけど、その分怒らせてはいけない人だということが、そのときのやり取りでよくわかった。


 コアルスさんの怒号と小鳥のさえずりがこだまする中、「今日もいい天気だなぁ」と俺は現実逃避をしていった。


 そうしてこの世界に来て初めての朝を俺は迎えたんだ。

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次回は21日となります。

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