第44話 双子たち

 愛らしい寝顔だった。


「……わぅ~」


 カルディアの腕の中で、静かな寝息を立ててシリウスが眠っていた。


 カルディアはシリウスを抱きしめる形でやはり眠っていた。


 その隣でプーレはふたりと向かいあう形で丸まるようにして寝息を立てていた。


 三人とも一日の疲れがあるのか、すぐに起きそうにはないほどに、眠りは深いようだった。


 当時の俺は三人の寝顔をぼんやりと眺めていた。眺めながら香恋のお小言も受けていたんだ。


『……まったく、まだ会って数日だってのに、ショック受けすぎなのよ』


 寝ずの火の番を受け持った俺は、香恋とともに焚き火と、その向こう側で眠るカルディアたちを見つめていた。


 ぱちぱちと火が爆ぜ、薪が炭に変わっていく。赤い炎は夜の闇を切り裂いて、三人の姿を闇の中で浮かびあがらせてくれていた。


 そんな風情があるようで、ないような状況の中で、はぁと呆れる香恋に、俺はぐうの音も出せずにいたんだ。


「……だって、嫌いなんて初めて言われたから」


 新しく薪を放り投げながら、唇を尖らせる。香恋はため息交じりに頷いてはくれた。


『まぁ、嫌いって言われたらショックを受けるというのはわかるんだけどねぇ。それでもあんたの場合はショック受けすぎ』


「……うるさいなぁ」


『事実を言われたからって、ふて腐れるんじゃないわよ』


「むぐぅ」


 困った奴だと言わんばかりな香恋の態度に、なにも言い返すことができなかった。


 実際、自分でもあんなにもショックを受けるとは思っていなかった。


 ぱぱ上と呼ばれてはいたけれど、シリウスとは血の繋がりなんてなかった。それどころか、人と魔物という違いさえもあった。


 場合によっては、冒険者としてシリウスと対峙することだってありえたかもしれない。


 そんな相手に「嫌いだ」って言われたくらいで傷つくなんて、自分でも驚いてしまった。


 香恋の言うとおり、嫌いって言われたら誰だって傷つくものだけど、それでも俺の場合は香恋の言うとおりで、ショックを受けすぎているとしか言いようがなかった。


 なんでこんなにもショックを受けているのか、と自問自答するも答えは出ない。


 答えが出ないまま、俺はシリウスを、カルディアの腕の中で静かに眠るシリウスの寝顔を見つめていた。


『……かわいいわね、シリウス』


 いきなり香恋がシリウスの寝顔を見て、「かわいい」と言ったんだ。


 それは当時の俺にとっては晴天の霹靂と言えることだった。


「え?」


『なによ、「え?」って? なに? 私がシリウスを見て「かわいい」って思っちゃいけないの?」


「そういうことじゃないよ。ただ、意外だなって」


『意外?』


「うん。だって、香恋はさっきから「ショック受けすぎ」って言っていたじゃん」


『そうね』


「実際、俺はすごくショックを受けている。自分でもわけわかんないくらいに、「嫌い」ってシリウスに言われてショックだった」


『それで?』


「俺は相当シリウスを気に入っちゃっている。いや、気に入っているってレベルじゃないね。俺はたぶん本当にシリウスを娘のように思ってしまっているんだ」


『……うん』


「でも、それはあくまでも俺から見ればの話であり、香恋にとっては違うでしょう?」


『つまり、あんたは私がシリウスを姪とは想っていなかったんじゃないの、って言いたいわけね?』


「……まぁ、有り体に言えば、そうなる」


『はぁ~……本当にあんたってバカね』


「な、だ、誰がバカだよ!?」


『バカもバカ、大バカよ、あんたは。……あんたが娘と想っている子を、どうして私がかわいがわらないと思うのよ?』


「え? ってことは」


『当たり前でしょう? 妹の娘を、せっかくできた姪をかわいがらない伯母がいるって思って? それもシリウスみたいにかわいい子であれば、なおさらよ?』


「……香恋」


 最後は少しおちゃらけていたけれど、香恋は自分の気持ちをはっきりと伝えてくれた。


 その言葉が不思議と嬉しかった。


 香恋とはその日初めて言葉を交わした。


 それこそ、俺から見れば、付き合いはシリウスよりも浅い。


 それでも、香恋がシリウスを姪と言ってくれた。それがなぜか嬉しかった。


 言葉にできなくらいに嬉しかったんだ。


「……ありがとう」


『お礼を言われるようなことなんて言った憶えありませんけど?』


「うん。それでも、ありがとう……ねえ、さん」


 左右の手の指を絡めながら、自分でも珍しいと思うほどにしおらしいことを言ってしまった。


 ……いま思い出しても恥ずかしいのだけど、もう過去のことだから、どうしようもない。


『っ……ふふふ、あんたがそんなしおらしいなんて珍しいわね』


「わ、悪いかよ」


『いいえ、悪くないわ。……ええ、悪いわけがないでしょう? 私のかわいい妹』


 くすくすと笑う香恋。上品ぶったと言えなくもなかったのだけど、そのときの香恋はとても大人びていて、「姉さん」という言葉がとてもよく似合っていた。


「……恥ずかしいから、やっぱりなし」


『ふふふ、あらあら、残念ね? でも、一度口にしたことはなかったことにはできないのよ? ごめんなさいね』


 くすくすとまた香恋が笑う。


 その前とは違い、完全にからかわれているということは明らかで、俺は「からかうなよ」と悪態を吐くも、香恋には通じなかった。


「……意地悪だよ、香恋は」


『そう? それはありがとうね』


「褒めてねえから」


『あら? そうなの? それは残念』


 くすくすと三度笑う香恋に、「こいつには勝てないなぁ」と素直に思えた。


 頭の上のたんこぶがまたひとつ増えたのかと思うと、少しだけ憂鬱だった。


 でも、それ以上に不思議と嬉しかった。


 俺にも「姉」という存在ができた。それがたまらなく嬉しかったんだ。


「……もう少し話をしてもいい?」


『いくらでもいいわよ。私はあんたが寝るまでは寝られないから』


「そう、なの?」


『ええ。そういう風になっているの。だから、あんたが起きているときは私も起きている。逆にあんたが寝ているときは私も寝ている。まぁ、あんたが寝て欲しいと言うのであれば、その仕組みを無視して寝ることもできるけどね?』


「寝て欲しいって、どんなときだよ」


『うん? そんなのカルディアと子作りしているときでしょうに』


「こっ!?」


 いきなりの爆弾発言に俺は咽せてしまった。咽せる俺を見て香恋はおかしそうに笑っていた。


「な、なに言い出すんだよ、いきなり。そもそも、そんなの俺にはできないから」


『あら? それはあくまでも地球の常識よ? この世界であれば、女同士であっても子供は作れるわよ?』


「そ、そう、なの?」


『ええ。……とはいえ、普通の方法とは言えないけれども』


 香恋は少し含むように言った。香恋の言う意味がいまいちわからず、「どういうこと?」と尋ねると、香恋は少し考える素振りをするように「ふむ」と言うと──。


『有り体に言えば、あんたとカルディアの遺伝子情報を元に新しい命を培養するってことね。要はホムンクルスを作り出すってことよ』


「ホムンクルス、ってあの?」


『そう、あんたの考えている通りの存在ね。この世界は魔法と科学が融合したような技術が存在しているの。その技術によって女同士であっても子供は作ることは可能なの』


「そう、なんだ」


『ええ。とはいえ、人によっては忌避感あることみたいだから、この世界でも一般的にとは言えないのよ』


「……そっか」


 普通の方法ではないと香恋が言ったから、どんな方法だろうと思っていたけれど、まさかのホムンクルスだったとは、当時の俺は思ってもいなかった。


『だから、この世界でも養子を招き入れてふたりの子供として育てるというケースが一般的かしらね?』


「そこは地球とさほど変わらないんだ?」


『あくまでもこの世界は魔物と魔法、そして神という存在が実在するだけであって、あとはほとんど地球とは変わらないわ』


「……その差が大きいと思うんだけど?」


『……それに関しては否定はしないわ』


「というか、できない、じゃない?」


『そうとも言うわね』


「そうとしか言わないと思うけど?」


『うっさいわねぇ。一端のレディを気取るのであれば、細かいことをぐちぐち言うんじゃないわよ』


「はいはい」


『はいは一回でいいのよ!』


 香恋がうがーと叫ぶ。すこし前までは大人びいていた香恋だったけれど、その大人びた雰囲気はどこへやらだった。


 でも、大人びた雰囲気も、子供みたいに騒ぐのもどちらも香恋であることには変わらない。


 そんな香恋との会話を楽しんでいると、不意にカルディアが身動ぎをし、起き上がると──。


「……ん~、うるさいよぉ、アンジュ~」


 ──知らない人の名前をいきなり口にしたんだ。

「アンジュ?」


「……ふえ? あ、旦那、様?」


 寝ぼけていたのか、カルディアはぼんやりと俺を眺めていたのだけど、すぐに相手が俺であることに気付いて慌てていた。


 その顔にはあきらかに「しまった」と書かれていた。


「カルディア、アンジュって?」


 カルディアが口にした女性の名前を尋ねると、カルディアはばつが悪そうな顔をしつつも、躊躇いがちに教えてくれたんだ。


「……私の妹、のことだよ」


「妹?」


「うん、双子の妹でね。ちょっとばかり融通が利かないけれど、優しい子だったんだ」


 カルディアはそばにいるシリウスを眺めながら、ぽつりぽつりと身の上を話し始めてくれたんだ。

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