第66話 月の光を浴びて

 窓から差し込む月明かり。


 差しんだ月明かりは、部屋の中だけではなく、開いたドアの向こう側──廊下側も照らしていた。


 月明かりという唯一の灯りに照らされた廊下に、彼女は、カルディアはひとりぽつんと立っていた


「こんばんは、旦那様」


 穏やかにカルディアは笑っていた。


 その身を包むのは寝間着だった。


 具体的には、シャツとスパッツという、なんとも活動的なものだった。


 実にカルディアらしい出で立ちでもあった。


 その出で立ちのまま、カルディアは両方の手を背中に隠すようにしてドアの前に立っていたんだ。


「……こんばんは、カルディア」


 笑うカルディアに返事をしながら、俺は目のやり場に困っていた。


 というのも、カルディアは両手を後ろ手にしていたからか、その、うん。まるで突き出すような態勢になっていたんだ。


 加えて、寝間着だからなのかな。


 下着をつけていなかったみたいで、うっすらとシャツ越しに透けて見えていました。


 おかげで目のやり場に非常に困ってしまった。


 カルディアの顔を見ていればいいんだろうけれど、俺の方が背丈が低いこともあって、カルディアの顔を見れば、自然とそこもまた見えてしまうわけで、どうすればいいのかまったくわからなかった。


「どうしたの、旦那様?」


 はてと不思議そうに首を傾げるカルディア。わざとやっているのか、それとも素なのか。全然わからなかった。


 が、真っ正面からカルディアを見つめることができず、俺は少し視線を逸らしながら、「なにが?」と尋ねたんだ。


「なにが、って。なんだか落ち着きがないように見えるよ?」


「……そんなこと、ないけれど」


「あるよ? 旦那様のことはいつも見ているから、わかっているし」


 あっけらかんとなんとも言えないことをカルディアは言ってくれた。


 やっぱりどう返事をすればいいのかがわからなかった。


 そもそも、どういう態度を取ればいいのかさえも、まるでわからなかった。


 わからないだらけだなと自嘲しながら、俺はカルディアを改めて見つめようとした。


「ねぇ、入っていい?」


「え、あ、うん。いいよ」


「そう。じゃあ、失礼します」


 カルディアはそう言って、部屋の中に入ってきた。


 その足取りにはまるで迷いはなく、まっすぐに俺が少し前まで腰掛けていたベッドへと向かい、ベッドの縁に彼女は腰を下ろしたんだ。


「旦那様」


 ぽんぽんと自身の隣を叩くカルディア。隣に座れということなのだろうけれど、そもそもどうして部屋に来たのかもわかっていなかった。


「えっと、カルディア?」


「ん」


「あの」


「ん」


「……はい」


 求められるままに俺はカルディアの腰掛けるベッドへと向かい、隣に腰を下ろした。


 でないと、いつまでも「ん」だけで会話が完結してしまうし。


 それに彼女を無視しているようで、気分もよくなかったし。


 あと付け加えるとすれば、いつまでも座らないままだと、そのうちベッドを壊しそうだったというのもある。


 実際、カルディアは「ん」と言いながら、ベッドを叩いていた。それも徐々に力を込めながらね。


 元々、ククルさんの宿泊施設は新人の冒険者用のものだから、そこまで大層なものではない。


 部屋数だけはあるけれど、特徴なんてそれくらいだ。


 あとはせいぜい宿泊費用が、周辺の宿屋に比べれば安いくらいかな?


 あくまでも駆け出しの冒険者用という体の施設であるため、宿泊費用は駆け出しの冒険者でも祓える程度。


 そうなると、自然と調度品もそれなりのものとなるし、ベッドも安物となってしまう。


 実際、ベッドは横になっただけで軋んでしまうほどに粗末な安物だった。


 もしくは長年使用された影響で、劣化しているのかは定かではないけれど、横になっただけで軋むような品質のベッドであることには変わりない。


 その安物のベッドを高位の冒険者であるカルディアが叩き続けたら、どうなるのかなんて考えるまでもない。


 ククルさんの厚意で、ただで泊めてもらっている手前、ベッドないし調度品を破損させるわけにはいかなかったんだ。


 破損させないためには、カルディアの意思を尊重するしかなかったんだ。


「それで? どうしたの、カルディア?」


 ベッドが軋む音とともに、カルディアの隣に腰掛けて、なにかあったのかと尋ねると、カルディアは「うん?」と首を傾げていた。


 尋ねた返事が「うん?」ってどういうことよと言いたくなったが、「なにか用事があったんじゃないの?」と根気よく尋ねたんだ。


 するとカルディアは──。


「用事はないよ?」


 ──なんてことを言ってくれました。


 想定外の返事に「……へ?」と俺はあ然となった。


 あ然となった俺にカルディアは、何気ない口調で続けたんだ。


「強いて言えば、旦那様の肩の力を抜いてあげようかなってところかな?」


「肩の力を?」


 思わず、オウム返しをするとカルディアは「そう」と頷いてくれた。


「明日、というか、もう今日だね。あと何時間かしたら決闘でしょう?」


「うん」


「旦那様のことだから、ギルマスの言動で思い悩んでいるんだろうなぁと思って。少しばかり息抜きをさせてあげようかなって」


「……それで、わざわざ?」


「うん。でも、お義姉さんが先にいろいろとしちゃっていたから、出遅れたなぁと思っていたんだぁ」


 一足遅かったよ、とため息を吐きながら、カルディアは俺にジト目を向けていた。


 正確には俺の中にいる香恋に対してなのだろうけれど、そのときは香恋はすでに眠ってしまっていた。


 カルディアに声を掛けてすぐに「じゃあ、おやすみ~」と言って寝ちゃっていたんだよね。


 おかげで香恋からの援護は期待できず、俺だけでカルディアと対峙することになったわけだ。


 が、当のカルディアは自分がやろうとしていたことを、香恋に横取りされて不満げだった。


 ここに来て、まさかの嫁の機嫌取りをしなければならないのかと思うと、少しだけ気は重くなった。


 でも、わざわざ俺の気を紛らわせるためだけに来てくれたことを思えば、それくらいはしてしかるべきかと思い直したんだ。


「……なんか、ごめんね。あと、ありがとう」


「どういたしまして、って言いたいところだけど、どうしうようかなぁ」


「別に俺はこうして寝るまで話をしてくれるだけでも」


「それだけだと私の気が済まないよ。せっかくシリウスを寝かしつけてきたのに」


「そういえば、シリウスは?」


「シリウス? プーレと一緒に寝て貰っているよ」


「そのプーレは?」


「ギルドの仮眠室で寝ているよ。家に帰るのかなと思っていたんだけど、家に帰っても落ち着けないからと言っていたね」


「そっか」


 カルディアの話に頷きながら、事情を察していった。


 たしかに、プーレにしてみれば、家に帰るよりも、他の皆がいるギルドで寝泊まりした方が安心できるというのもわかる。


 シリウスにしてみても、ギルドでもプーレの家でも寝泊まりできるのであれば、どちらでも大差はなかった。

 

 そしてカルディアにとっても、プーレの家から薄着な寝間着で俺の泊まる部屋に来るのもさすがに憚れたんだろうね。


 大半の人がイメージするであろうカルディアは、薄着であっても気にすることはなさそうだけど、実際は結構気にするんだよね。


 あくまでも俺の前であれば、気にしない。むしろ、見せつけてくるけれど、他の人の前では必要以上に肌を露出しないんだ。


 特にそのときみたいに、シャツ越しにうっすらと隠す部分が見えているような服装で、わずかな距離かつ夜間とはいえ、外を出歩くようなことはカルディアはしない。


 あくまでも同じ施設内でかつ、ごく短い距離だからこそ、カルディアは思い切った行動に出ていたんだ。


 その証拠に、カルディアは不満げな表情を浮かべつつも、ほんのりと頬が染まっていたし、うっすらと汗を搔いてもいた。


 カルディアなりに緊張していた証拠だった。


 それに部屋に入ってきたのも、いつまでも人目がつくような場所で、薄着のままでいたくなかったというのもあったんだろう。


 口数が少な目で、そこまで感情を表に出さないからこそわかりづらいけれど、カルディアもれっきとした女性であり、恥ずかしいことは恥ずかしいんだ。


 そのことを改めて知り、俺は自然と笑みを浮かべていた。


「……なんだか、旦那様がやけに優しそうに笑っている」


「そう? 単純に楽しいからかな」


「楽しい?」


「うん。こうしてカルディアと話をしていることが、楽しいんだ」


「……殺し文句」


「え?」


「いや、それ殺し文句なんですけど」


 カルディアと話をしているのが楽しい、と告げると、なぜかカルディアは顔を真っ赤にして、「殺し文句」だと言ってくれた。


 どの辺がと思ったけれど、カルディアは「もう!」と少し怒り気味に言うと、俺をベッドの上に寝転がらせて、そのうえに跨がったんだ。


「か、カルディア?」


「……別にこういうことをしにきたわけじゃないけれど、その余裕溢れる態度に少しカチンと来ました」


「よ、余裕って」


「旦那様は黙っていて。とにかく、旦那様から余裕を奪ってあげるよ」


 カルディアはシャツの裾に手を掛けると、一気にシャツを脱ぎ捨てた。


 真っ暗な部屋の中で、カルディアの肢体が、真っ白な体が浮かびあがる。その肌を窓から差し込む月明かりが照らした。


 美しい銀髪と真っ白な体が月光に照らされる様は、神秘的な光景のように俺には見えたんだ。


「カル、ディア」


 目の前のカルディアに、俺はただカルディアの名前を口にすることで精一杯になっていた。


 そんな俺を見下ろすカルディアだけど、その顔は真っ赤に染まっていた。


 恥ずかしげに、頬を染めながら、「ふふん」と笑った。


「これで余裕なんてないでしょう」


 そう言って、カルディアは自信満々に、だけど、とても恥ずかしそうに笑ったんだ。

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