第5話 揺れ動く想い

 熱気が部屋の中で篭もっていた。


 窓の外はすっかりと暗くなっていて、道行く人を見かけることはない。


 元の世界と比べて、科学技術が発展していないこの世界では、日が落ちた後に外を出歩く人はそこまで多くはなかった。


 まるでいないわけじゃないけれど、元の世界に比べたら雲泥の差だ。


 元の世界であれば、暗くなっても出歩いているのは、仕事や学校の帰り、もしくは深夜勤務の人が出勤しているのが大半だった


 なかには、夜に遊ぶ人もいれば、夜にランニングを行う人もいる。


 夜出歩く人の目的ははそれこそ千差万別と言ってもいい。


 けれど、この世界では、夜出歩く人はほぼ間違いなく帰宅を急ぐ人か、その街の衛兵さんくらい。


 現にいまも夜の巡回をしている衛兵さんたちがうちのギルドの前をふたり一組で通り過ぎていくのが見えた。


 巡回といっても、いくらか気を緩ませているようで、ふたりでなにやら話をしているようだ。


 距離があるから、さすがにその声は聞こえないけれど、薄らと見える表情はとても楽しそうだ。


 笑える内容か、もしくは楽しい話題で盛り上がっているんだろう。


 それがどういう内容なのかはわからないけれど、その様子を見ていると、「この街はわりと平和だなぁ」と思えてくる。


 まぁ、俺が言える筋合いではないわけだけどね。


「……どうしたの? 旦那様」


 カルディアが呼吸を乱しながら尋ねてきた。


 振り返ると、カルディアはシーツで体を隠しながら、気怠けに体を起こしていた。


 きれいな銀髪が汗によって肌に張り付いていて、カルディアは鬱陶しそうに髪を払うも、すぐにまた張り付いてしまっている。


「もう」と鬱陶しそうにカルディアが不満そうに声を漏らしながら、頬を膨らませて俺を睨みつけて来た。


「……旦那様は本当にケダモノさんだよね」


「あー、ごめん」


「途中で「もうダメ」って何度も言ったのに、無視するし」


「いや、だって」


「だってじゃないの」


「……はい、ごめんなさい」


 カルディアの苦言に素直に頭を下げると、カルディアは「よろしい」と頷いてくれた。


 カルディアから誘ってきたのに、その言い分はどうよと言いたい。


 でも、その言い分も間違っていないので、反論のしようがなかった。


「でもさ」


「うん?」


「昨日はシリウスに見せていたのに」


「二日連続で見せるものじゃないでしょう?」


「いや、そもそも小さな子に見せるものじゃないと思います」


「そうかな?」


「そうだよ」


 カルディアのあまりにも呑気な言葉に俺はため息を吐いた。


 ため息を吐きながら、視線をゆっくりと下げると、ベッドの上で丸まるシリウスがいた。


 香恋もいまはシリウスのように眠っている。ただ、シリウスとは違い、香恋には実体がないから、本当に眠っているかはわからない。


 わからないけど、集中するとかすかに香恋の寝息のようなものが聞こえるので、たぶん眠っているのだと思う。


 揃って、すっかりと夢の世界に旅立っているふたりが、いい夢を見られることをいまさらながらに祈った。


「わぅ〜」


 いい夢をと祈ってすぐに、シリウスが毛並みのいい尻尾をまるで抱き枕のようにして抱きしめたんだ。そうして眠る姿は、とても愛らしい。


 でも、時折、尻尾から手を放して、ベッドの上で小さな右手をあちらこちらへと彷徨わせていた。


 手を彷徨わせるときは、決まって「ぱぱうえ、ままうえ」と寝言を口にする。


 どうやら夢の中で俺とカルディアを探しているのか、それとも夢の中でも俺とカルディアと過ごしているのかもしれない。


 どちらにせよ、いまの姿もやはりとてもかわいらしい。


 窓際から移動し、左手で掛かっている前髪をそっと払ってあげると、愛らしい笑顔を浮かべてくれた。


 愛おしいと言う言葉を、こんなにも感じたことは、いままでそうなかった。


 でも、いまはふたつの意味で、愛おしいという言葉をよく抱くようになった。


「……シリウス、かわいいね」


「うん。そうだね」


 カルディアがようやく笑ってくれた。


 昼間とは違い、その身を隠すものはなにもない。


 せいぜいがシーツくらいで、ほかに彼女の素肌を隠すものはなにもない。


 彼女の体からは汗の臭いが香っていた。


 俺はもう乾いているけれど、カルディアの体はまだ汗に塗れているからなのか、汗が香っていた。


「じっと見ているけど、どうしたの?」


 カルディアが小首を傾げた。それでようやくカルディアを見詰めていたことに気づけた。


 個人的にはじっと見ていたつもりはなかったのだけど、どうやら「つもり」でしかなかったみたいだ。


 さすがに凝視レベルではないと思いたいところだけど、実際のところはどうなのかは自信がない。


「いや、汗引かないな、って」


 取り繕おうとしたのだけど、下手な言い訳レベルにしかならなかった。


 言い訳とは違って、後ろめたいことはなにもない。


 後ろめたさなどはないが、どう言い繕えばいいのかがわからず、なんとも言えない内容を口にしてしまい、カルディアに何度も瞬かせてしまった。


(呆れられそうだなぁ)


 自分で言ったことではあるけれど、確実に呆れられてしまいそうだ。


 というか、呆れられる。俺だったら呆れるだろうし、それはカルディアだって同じはずで──。


「ふふふ」


「え?」


「言い訳がおかしすぎ。かわいいね、旦那様は」


 ──呆れられると思っていたのに、カルディアはおかしそうに笑われてしまった。


 いや、これも一種の呆れなのかなぁとと考えていると、カルディアがベッドの上で脚を抱えて座り込んだ。


「素直に見とれていたって言えばいいじゃん」


「……別にそういうわけじゃ」


「素直じゃないなぁ、旦那様は。旦那様にとっての一番の女が誰なのかなんて、わかりきっているのに」


 カルディアの腕が俺の頬に伸びた。


 大事なものに触れているかのように、とても慎重な、優しい手つきだった。


 こうしてカルディアに触れられるのは、いったい何度目になるだろうか。


 もう数さえもわからない。


 でも、嫌ではない。


 むしろ、心地いいくらいだった。


「……嬉しそうだね?」


「え?」


「旦那様、じっと私を見つめている。旦那様ってば、やっぱり私のこと大好きなんだね」


 カルディアの頬が染まった。


 いじらしいようにも見えるのに、それでいて妖艶な雰囲気をかもち出しているのがなんとも言えない。


「そう、なのかな?」


「そうじゃない? というか、好きじゃなかったら。旦那様はこんなことしないよね?」


 くすくすと笑いながら、カルディアはもう片方の手でも俺の頬を撫でる。


 両手で頬を包み込むようにして、カルディアは撫でてくれた。


 まるで恋人や夫婦のようだった。


 実際はどうなのかはわからないというか、俺とカルディアの関係はなんなのかと問われても、答えようがなかった。


 答えようはないけれど、俺の中でカルディアはとても大きな比重を持った人だった。


 それこそ。


 それこそ「彼女」と同じくらいに俺にとってカルディアは大切な人で──。


「──ねぇ? 旦那様、聞かせて?」


「なにを?」


「「ノゾミ」って子と私。どっちが好きなのかを」


 あまりにも不意討ちすぎる一言が投げ掛けられてしまった。


 カルディアはそれまでとは表情を変えて、いままでになく真剣な表情を浮かべていた。


 そうしてカルディアが告げたのは、なんとも答え辛い内容だった。


「希望は、別に関係が」


「あるよ。だって、ノゾミが好きなんでしょう?」


 どきりと胸が高鳴った。


 どう答えていいのかわからなくなる。


 いや、答え自体はとても単純だった。


「……好き、だよ。一方的にだけど」


 そう、答えはとても単純だ。


 俺は希望、幼なじみの天海希望に恋している。


 でも、俺と希望は結ばれることはない。


 だって俺と希望は同性だった。


 同性の幼なじみだった。


 もし、異性であったらと何度思っただろうか。


 異性であれば、とっくに告白していた。


 でも、俺は異性じゃない。希望と同じ女だった。


 だから告白なんてできるわけがなかった。


 希望を困らせるだけだ。


 だから言えなかった。


 告げることもできなかった。


 いつのまにか、友達としてではなく、違う意味で彼女を見ていたことなんて、伝えられるわけがなかった。


 その希望とは、もう会うことができるかどうかもわからない。


 だって、ここは俺がいた世界じゃない。


 俺がいた日本がない世界。


 いや、日本どころか、俺の持つ知識が通じない世界。


 異世界と呼ばれる場所。


 そこにいま俺はいる。


 その異世界で、俺はカルディアやプーレと関係を持ち、シリウスという愛娘を得て、そして香恋と出会うことができた。


 希望と果たせなかった想いを、希望への想いを昇華するように、俺は俺の家族を得られていた。地球にいたままでは得られなかったものを、だ。


 これが対価交換なのだろうかと、何度も思ったし、いまも思っている。


 でも、そんなことはカルディアにはとっくにお見通しだったみたいだ。


 俺を見詰めるカルディアの目は、悲しみを帯びている。


 胸が痛い。


 カルディアへの想いはたしかにある。


 でも、その想いと同じくらいに希望への想いも俺の中に存在していた。交換したはずなのに、俺の中にはまた燻る想いがあった。


「カルディア、俺は」


「……旦那様が誰のことが一番なんてどうでもいい。いまは一番じゃなくても、私が一番になれればいいもの。だから──」


「──振り向いてくれない女なんて、忘れさせてあげる」とカルディアは笑った。でも、その笑顔はとても悲しそうに歪んでいる。


「カルディア」


「……いまはなにも言わないで。ただ私に夢中になってくれればいい」


 そう言ってカルディアが顔を近づけてくる。


 同時にカルディア自身の香りと汗の臭いが合わさり、鼻をくすぐっていく。


 紅潮していた肌は、いまやすっかりと元の白に戻っていた。


 その白がまた紅く染まる様を夢想しつつ、俺は迫り来るカルディアに身を任せた。


 身を任せながら、思い浮かぶのはついこの間のこと。この世界に来る少し前のことを俺は思い浮かべていた。


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前回と前々回が長かったので分割してみました。


いろいろと余裕がなかった&カクヨムの形式がいまいちわからなかったので、詳細は言えていなかったんですが、とりあえず10日間くらいは毎日更新する予定です。


その後のことは別途あとがきでお知らせします。


今後ともよろしくお願いします

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