88話 力が欲しい

 蒼い炎の巨鳥が、巨大な腐肉と化したマーナにぶつかり合った。


 巨鳥とマーナは、けたたましい鳴き声と悲鳴じみた雄叫びをそれぞれに上げていた。


 巨鳥となったのは、カルディア。とはいえ、あくまでもカルディアを包み込むように巨大な炎の鳥が顕現したってだけ。


 カルディア自身が、巨鳥と変じたわけじゃない。


 カルディアは巨鳥に変じたわけじゃないけれど、その中心になっていた。


 カルディアがいるのは、ちょうど心臓あたり。おそらくはカルディアを核とする形で巨鳥は顕現したんだ。


 その偉容は美しいの一言に尽きる。


 全身が蒼い炎によって構成された巨鳥。煌めく炎のひとつひとつが巨大な羽のように、蒼く彩色された羽のように見えた。


 彩色された羽も、部位によってグラデーションが掛かり、より神秘的に見えた。


 その神秘性に銀色が、炎の縁──巨鳥の外周部にほのかに見える銀色が、より拍車を掛けていた。


『……あれはたぶんカルディアの要素が組み込まれているからでしょうね』


 香恋がほうっと感嘆しながら言ったのは、ほのかに見える銀色はカルディアの要素を加味したからだということだった。


 これは後に詳しく聞いたことであるけれど、カルディアが使った「金翅鳥」は使い手によって差異が生じるらしい。


 カルディアであれば、その特徴的な銀髪が反映され、巨鳥の外周部にあたる炎の縁が、銀色に変化するということ。


 事実、カルディアの使った「金翅鳥」は、全身が蒼で統一されていたけれど、縁にあたる部分は、カルディアの銀髪と同じ銀色となっていたんだ。


 蒼と銀。ふたつの色で構成された巨鳥は、腐肉となったマーナよりも巨大でありつつも、その偉容は美しく、そして荘厳だった。


 一言で言い表すと、神聖な存在のように、神の使いが地上に降り立ったのではないかと思えるほどだった。


 御使いのような神聖な巨鳥と生者を喰らうことしか考えない邪悪な腐肉。


 奇しくも聖と邪のぶつかり合いが、「アージェントの森」という僻地で勃発したんだ。


 そのぶつかりによる余波は凄まじく、「雷電」を纏った状態であっても、その余波で体を持って行かれそうになるほどだった。


 プーレとモーレが瞬く間に退避を選んだのも納得できた。


 退避を選んだふたりとは違い、俺は退避を選ばなかったことを後悔していた。


 カルディアのいう「大技」がどんなものなのかがわからなかったということもある。


 まさかここまでとんでもない大技だとは思っていなかった。


 計算違いだったと痛感させられていた。


 なによりも、一番の計算違いは──。


「わ、わぅぅぅ~!?」


 背中にいたシリウスまでも巻きこんでしまったということだった。


 マーナから守るために、シリウスを背負っていたのだけど、俺の背中にいるせいで、いや、俺が退避をしなかったせいで、シリウスまでも余波の被害を受けることになってしまった。


 つくづく計算違いだったよ。


 でも、それ以上に俺はカルディアが心配だったんだ。


 腐肉と化したマーナの頭上にまで飛んでくれなんて言われたら。


 その頭上で降下させてほしいなんて言われたらさ、普通は自爆特効みたいなことでもするんじゃないかって思ってしまうのも無理はない。


 気が気でなくなるのも当然の話だった。


 それで娘まで巻きこむ形で、退避が遅れてしまったら、本末転倒だった。


「が、頑張れ、シリウス!」


「わ、わうぅぅ!」


 シリウスは俺の背中にしがみつきながら、「金翅鳥」の余波に耐えていた。


 俺もミカヅチを持ちながら、どうにかシリウスが吹き飛ばされないように必死になっていた。


 そのおかげなのか、その時点では俺の心配はただの杞憂でしかなかった。


 カルディアが纏った巨鳥は、マーナの体に食らいつき、その身を次々に消滅させていた。


 腐肉ことカオスグールの力と、カルディアの「金翅鳥」では、「金翅鳥」の方が格上というか、優位性を誇るようだった。


 このまま押し切れる。誰もがそう思った、そのとき。


「ここだぁぁぁぁぁ!」


 突如としてラスティの声が響き渡ったんだ。


 その声とともに、カルディアが纏う「金翅鳥」に、ひとつの肉塊が飛びこんでいった。


 それはラスティの頭部だった。


 ラスティは頭部だけになりながらも、蒼い炎の中を突き進んでいた。


 カルディアが驚愕で目を見開くが、ラスティは涎を撒き散らしながら、炎の中を突き進み、カルディアに肉薄すると、カルディアの唇を奪ったんだ。


「っ!?」


 カルディアが目を見開くが、ラスティは逃がさないとばかりに首の部分から真っ黒な触手を生やし、カルディアの体を何重にも拘束した。


 カルディアは必死に抵抗しようとしたが、唇を奪われたことがショックだったのか、その抵抗はとても弱々しかった。


 カルディアの抵抗が弱いことに、これ幸いとしたのか、ラスティはカルディアの唇を割り開くのが見えた。


 カルディアの目尻に涙が浮かぶ。


 対してラスティは恍惚とした顔で、カルディアと無理矢理口づけを交わしていく。


 カルディアが悶え苦しむと、「金翅鳥」の体が徐々に綻び始めた。


 これが狙いかとも思ったが、ラスティはより深く口づけようと顔をより密着させていった。


 カルディアは涙を流しながら、必死になってラスティを遠ざけようとするけれど、体を拘束する触手によってまともに身動きが取れなくなっていた。


 それどころか、触手はカルディアの体のラインを強調させる形に、彼女の体を縛り付けていった。


 カルディアの頬が羞恥によって赤らんだ。


 でも、それさえもラスティにとっては極上のスパイスとなったのか、ラスティはカルディアにより熱中して口づけを交わしていった。


 それからほどなくして、「金翅鳥」は、顕現した御使いはその体を完全に消してしまう。


 残ったのは空中で拘束されたカルディアと、カルディアを拘束し、悦に浸るラスティだけだった。


「あぁ、ようやく。ようやく私の元に来てくれたねぇ、カルディア」


 堪らないとばかりに感嘆の息を漏らすラスティ。そんなラスティとは裏腹にカルディアは、ラスティから顔を逸らしながら涙を流していた。


 だけど、その涙もやはりラスティにはスパイスでしかなく、ラスティはやけに長い舌を伸ばしてカルディアの頬を伝う涙を舐め取った。


 カルディアが小さく悲鳴をあげる。その悲鳴もまたスパイスとなり、ラスティをより恍惚とさせていった。


「堪らない。あぁ、本当に堪らないなぁ。首しか残っていないことが残念でならないよ。ちゃんと体が残っていれば、この場で私と君の愛の結晶を作れたのになぁ」


 涙を舐めとりながら、興奮したように息を荒げるラスティ。


 そのラスティの様子にカルディアは体を大きく震わせていく。


 ラスティの存在自体が、カルディアにとっては一番のトラウマであるというのに、そのトラウマに弄ばれてしまっていることが、カルディアの気力をそぎ落としてしまっていた。


 そのときのカルディアは、戦場を駆けるカルディアとは、戦乙女のように雄々しく戦うカルディアとは別人のようだった。


 それがよりラスティをそそらせてしまい、ラスティの行動を加速させていった。


「だが、子を宿らせられなくても、証を刻むことはできる、か。君は私の妻であるという証を刻み込もうじゃないか」


 ラスティは口を開くと、カルディアの襟元にかじりつくと、そのまま勢いよく頭を動かし、カルディアの服を噛みちぎったんだ。


 カルディアの素肌が白日の下にさらされた。それも誰よりも見せたくない相手に、トラウマそのものであるラスティの前で、その肢体を露わにしたんだ。


「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!」


 絹を裂くような悲鳴がこだまする。それがカルディアのものであることに、すぐには気づけなかった。


 そのときまで、カルディアのそんな悲鳴なんて聞いたことがなかったから。


 小さな悲鳴を上げはすれど、カルディアがそこまで大きな悲鳴を上げるなんて思わなかったんだ。


「やだ、やだ、やだやだやだやだやだぁ! みないで、見ないでぇ!」


 拘束されているせいで、カルディアは露出した肌を隠すことができないでいた。


 だからだろうか、カルディアは一時的に幼児帰りしたように、幼い物言いでラスティを拒絶する。


 だけど、それでもラスティは止まらなかった。


「あぁ、素晴らしい。素晴らしいよ、カルディアぁ~。まさに私のためだけに拵えたような、素晴らしい肢体だ。本当に首だけになったことが残念でならない。私の本体がいまこの場にあったら、それこそ、君を抱かずにはいられなかっただろうねぇ。くくく、実際、私の本体は興奮冷めきらないでいるほどさ。あぁ、口惜しいなぁ」


 ラスティは興奮のあまり一息で言い切っていた。


 その言葉にカルディアは「やだぁ」と大粒の涙を流しながら首を振っていた。


 でも、その涙もラスティは舌を伸ばして舐め取っていった。


 カルディアは小さく悲鳴を上げながら、体を硬直させる。でも、それ以上のことができないでいた。


 ラスティの興奮した息遣いが、いまにも聞こえてきそうだった。


「さぁて、それでは証を刻んであげよう、どこがいいかなぁ~?」


 長い舌が頬を伝い、カルディアの肢体を上から順番になぞられていく。


 カルディアが体を震わせ、より一層の涙を零していく。


 ごとりとなにかが動く音が聞こえた。


 重たいなにかが動く音が、はっきりと聞こえてきた。


「よぉし、ここにしよう。ちょうど虫刺されのような痕があるが、まぁいい。ここに──」


「っ!」


「──ふぅ、これでよし、と」


 ラスティは俺が夜に刻んだ痕の上から、カルディアの首筋にと噛みついたんだ。


 カルディアは息を呑みながら、目を見開き、そこでちょうど俺と目が合った。


 カルディアは小さく唇を動かしていた。


 カルディアが動かしたのは四回。四つの言葉を口にしていた。


「ごめんね」とカルディアは謝っていた。


 なんで謝るのかがわからなかった。


 カルディアが謝る意味がわからなかった。


 だけど、カルディアはまるで自分のせいだと言うように謝っていた。


 カルディアのせいじゃないと言おうとするよりも早く、ラスティがカルディアの首筋から離れた。


 カルディアの首筋にラスティの歯形がくっきりと残されていた。


 それはラスティなりの愛の証。カルディアが自身の女であると同時に、いずれ食い殺す対象であるという意思表明なのだろう。


 それを示すようにして、ラスティは俺を見上げながら、自身が刻み込んだ歯形へと長い舌を伸ばし、なぞるようにして舐めつけてから、再びカルディアの唇をわざとらしく奪い取った。


 そこが俺の限界だった。


 俺が俺を保てている限界だった。


「ラスティぃぃぃぃぃ!」


 怒号が響く。


 気づいたときには、ラスティへまっすぐに降下し、その首を両断、いや、細切れにしていた。


「かはははは、証は刻みましたよ。それは私の女で──」


「ふざけるな、クソ野郎!」


 首を細切れにしたことで、カルディアは拘束を解かれた。


 それでも最後まで残っていた唇が、俺の剣を最後まで逃れていた唇が動き、ラスティの意思を伝えてきた。


 が、それも唇を両断することで途絶えた。


 細切れになったうえで、「鳴轟」の雷と炎によってラスティの体は完全に消滅したんだ。


 その消滅を見届けながら。俺はカルディアを抱きかかえた。


 カルディアはひどく消耗した様子で、俺を見つめると、「ごめんね」とまた謝った。


 なんで謝るんだと言おうとしたが、今度はまた別の触手が、人の手の形をした触手がまっすぐに伸びてきたんだ。


「シリウスぅぅぅぅぅ!」


 触手を伸ばしてきたのはマーナだった。


「金翅鳥」によって、半端に消滅されたマーナは、黒い肉塊からその顔を覗かせていた。


 大きなマーナの顔が、真っ黒な瞳と真っ黒な口とその中に唯一ある真っ赤な舌を覗かせるマーナの顔がすぐそばにあり、その目が俺たちを捉えていた。


「……やっぱり、ははうえなんだ」


 シリウスはショックを隠しきれないのか、大粒の涙を流していた。


 それまではマーナの記憶を読み取った腐肉が、それっぽく言っているだけという可能性もあった。


 だけど、腐肉の中から現れた巨大なマーナの顔を見て、正体が腐肉となったマーナであることを否応なおく突き付けられてしまった。


 シリウスが涙を流すも、マーナは涎を撒き散らしながらシリウスを呼びかけていった。


 その姿にまた大きなものが動く音が聞こえてきた。


 俺の中からはっきりと聞こえてきたんだ。


『カレン! 待ちなさい! それは』


「……待てない。待てるわけがない。許していいわけがない!」


『……それはそうだけど』


「邪魔をしないでくれ、香恋!」


 俺を止めようとする香恋に、邪魔をしないでほしいと頼んだ。


 香恋はわずかに息を呑んだ後、苦渋そうな声で頷いてくれた。


『……仕方がない、わね。私もフォローするけれど、暴走はしないでちょうだい! 暴走なんてしたら、それこそ、ここら一帯が、この国が滅ぶことになるのだから!』


 香恋が必死に叫んでいた。


 でも、その声も俺には遠く聞こえていた。


 許せないという想いがずっと沸き起こっていた。


 俺の大切な人たちを、愛する人とかわいい愛娘を傷付けられたこと。


 その怒りが俺を突き動かしていた。


 でも、怒りと同じくらいに、ふたりの悲しみを晴らしたいという想いがあった。


 そのための力が欲しい。


 大切な人をもう二度と傷付けることのない力が、大切な人を守り通すための力が欲しかった。


「力をよこせぇぇぇぇぇ!」


 それは誰に対してのものだったんだろうか?


 いまでもまだわからない。


 でも、その心の底からの咆哮に、俺の中で重たいなにかを完全に動かしきったんだ。そして声が聞こえてきた。


 香恋のものじゃない。


 懐かしい声が聞こえてきたんだ。


「……まだ早いと思うんだけれど、香恋もいるなら大丈夫かな。使いこなして見せなさい、カレン。あなたの大切な人を守るための力を、その手にして見せなさい!」


「……うん、母さん」


 聞こえてきたのは母さんの声だった。


 母さんの声に導かれるようにして、俺は体の底から沸き起こる力をゆっくりと解放していったんだ。

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