第43話 項垂れるカレン

 赤と黒。


 それだけを見ると、少しばかり物騒だと思えるけれど、目の前に見えるのはきれいなコントラストだった。


 徐々に消えつつある赤と、赤の代わりに染めていく黒。


 夕焼けから夜の黒へと変わりつつある空。


 一日のうち、赤と黒の二色が空という途方もないキャンパスを、ともに染めるのはわずかな時間だけ。


 そのわずかな時間を、俺たちはじっと眺めていた。


 背後からはプーレの作る夕食の香りがしていた。


 プーレ曰く、携帯食を使ったお手軽なシチューらしいけれど、お手軽というには漂ってくる香りはとても美味しそうなものだった。


 いつものようにカルディアの膝の上に腰掛けたシリウスがしきりにプーレとプーレが作る夕食を見て、目を輝かせていた。


 その様子に俺もプーレも笑っていた。


 ただ、カルディアだけは空をじっと眺めながら、ぼんやりとしていた。  


 ……遠くを眺めるその横顔を、俺はじっと見つめていた。

 

 ミントを大量に採取し終えて、俺たちはそのまま「アージェントの森」を後にした。


 というのも、アヴィスさんが「先に依頼を終えた方がよろしいのでは?」と言ってくれたので、ガルムとマーナたちによろしく伝えて欲しいという旨を伝えて、俺たちは森を抜けたんだ。


 ちなみに、シリウスはそのまま俺たちと一緒に森を抜けた。


 そのまま今日は両親の元で過ごしてもいいんじゃないかなと思ったのだけど、当のシリウスが「ぱぱうえたちといっしょにかえるの」と言ったんだよね。


 シリウスの「帰る場所」は「アージェントの森」の中だと思ったのだけど、シリウスにとっては「エンヴィー」もまた帰る場所だった。


 そのときはまだそのことをよくわかっていなかったこともあり、シリウスの言葉には少し驚かされてしまった。


 ただ、その言葉を聞いてカルディアが嬉しそうに、でも、どこか申し訳なさそうに笑っていたのが印象的だった。


 だからなのかな。


 俺はずっと気になっていたことを尋ねることにしたんだ。


「ねぇ、カルディア?」


「うん?」


「カルディアとシリウスって、どうやって知り合ったの?」


「アージェントの森」を離れて、行きで休憩した高台で再び休憩を取っている最中だった。


 すっかりと夕焼けに染まった空を眺めながら、シリウスを膝の上に座らせて空を眺めていたカルディアにシリウスとの出会いについてを尋ねたんだ。


 考えてみれば、カルディアとシリウスの出会いは、いまひとつわからなかった。


 冒険者であるカルディアとグレーウルフであるシリウス。


 どう出会えば、擬似的とはいえ親子関係を築くことになったのか。


 そのことはそれまでなかなか尋ねられなかったのだけど、ちょうどいいタイミングだったので尋ねたんだ。


「出会い、か」


 カルディアはシリウスの出会いを聞かれると、なぜかシリウスをぎゅっと抱きしめながら、再び空を見上げた。


 空を見上げるカルディアの横顔は、とても寂しそうなものだった。


 いったいどうしたんだろうと思っていると、シリウスが代わりに応えてくれた。


「ままうえとは、ちょうどここであったの」


「え? ここって、この高台?」


「わぅん。ここなの。おさんぽしていたら、ちょうどままうえとであったのがここなの」


「お散歩って」


 シリウスの言葉に絶句してしまう。


 シリウスはお散歩と言うけれど、ここはすでに「アージェントの森」からはだいぶ離れている。


 どう考えても、お散歩というよりかは迷子になって保護されたという方が正しかった。


「……シリウス。あれはお散歩じゃなかったよ?」


 保護ではないかという疑問は正しく、カルディアはなんとも言えない顔で笑っていたのだけど、当のシリウスは若干不満げに頬を膨らました。


「ちがうもん。シリウスはおさんぽしていたの」


「……シリウスにとってはそうかもしれないけれど、どう考えても迷子だったよ?」


「まいごじゃないもん。おさんぽなの」


 ぷくっと頬を膨らますシリウスと、どうしたものかと困った様子のカルディア。


 どうにもふたりの認識には差があるようだけど、どう考えてもシリウスの認識がおかしいのは明らかだった。


 普通に考えれば、住処である「アージェントの森」から離れている時点で迷子だよ。


 まぁ、迷子になっている本人は、自分が迷子であることを認めたがらないものだから、無理もないのだろうけれど。


「……まぁ、とにかく、シリウスを保護したってことだよね?」


「……うん。でも、最初は驚いたよ」


「驚くって?」


「だって、全裸の女の子がここでちょこんと座っていたんだよ? 普通は驚くでしょう?」


「は? 全裸って」


「い、いったいどういうことなのです?」


 カルディアの言葉に俺とプーレが目を白黒にして驚いてしまった。


 カルディアは「まぁ、そうだよねぇ」とため息を吐いていた。


 が、当のシリウスは「わぅ?」と首を傾げるだけで、俺たちの反応の理由がわからないでいるみたいだった。


「えっとね。シリウスが人の姿になっているのは、「人化の術」っていうものを使っているんだけど、私と出会う少し前に使えるようになったみたいなんだよね」


「……もしかして」


「……うん。「人化の術」が使えるようになって、テンションがあがりすぎたみたいで、ガルムたちの群れのテリトリーから抜けだしちゃったみたい。で、そのテリトリーの外がちょうど森の外で、初めて見た森の外の光景に余計にテンションがあがって、ここまでひとりで来た、みたいなんだよね。ね? シリウス」


「わぅん! そのとーりなの!」


 むふぅと自信満々に胸を張るシリウスだったけれど、どう考えても自信ありげに言うことじゃなかったね。


「……いや、それどう考えても迷子」


「まいごじゃないもん!」


「いや、でも、それは迷子と言うんだよ?」


「ちがうもん! おさんぽなの!」


「だけど」


「ちがうったら、ちがうの!」


 うーと唸りながら否定を続けるシリウス。カルディアも「このことになると、違うの一点張りなんだよね」と困った様子だった。


 プーレに至っては絶句していた。


 ただでさえ、愛らしい子なのに、全裸でかつひとりで高台で座っていたなんてもう事件だよ。


 でも、その当の本人が無自覚というのが困ったものだった。しかも頑なに迷子になっていたことを認めないというおまけ付きで。


 どうしたものかと困り果てていると、シリウスが唸りながら続けたんだ。


「むぅ~。ぱぱうえ」


「うん?」


「シリウス、ぱぱうえ、きらい」


「……ぇ」


「ぱぱうえなんて、きらいなの。シリウスはおさんぽしていただけなのに、まいごになんてなってないの。なのに、まいごっていうんだもん。そんなぱぱうえなんか、シリウスはきらいなの」


 ふんだとぷいっと顔を背けてしまうシリウス。


 カルディアが「ダメだよ、シリウス」とシリウスを宥めるも、シリウスは「きらいったらきらいなの」と頬を膨らまし続けていた。


 そんな愛らしい様子を見せるシリウスを見やりながら、俺は無言で膝から崩れ落ちた。


「だ、旦那様?」


「か、カレンさん?」


 カルディアとプーレがあ然とし、シリウスが「わぅ?」と首を傾げていた。


 だが、当時の俺は三人に返事をする余裕はなく、そのまま地面に両手を突いて項垂れた。


 ……シリウスからの「ぱぱうえなんてきらい」という言葉が想像以上に胸に突き刺さっていた。

 

 というか、何度も何度も頭の中でリフレインしていた。


 というか、涙がちょちょ切れていた。


 というか、死にそうだった。


「あ、あははは、嫌い。ぱぱうえなんて、嫌い。あははは」


「だ、旦那様? 旦那様? しっかり、しっかりして、旦那様!?」


 カルディアの叫び声と「ぱぱうえ、どうしちゃったの?」とプーレに尋ねるシリウスと答えに窮しているのか、「えっと」と言葉を濁すプーレの声が聞こえていた。


 それでも俺の涙は止まることなく溢れ続けていた。


『……どれだけ骨抜きにされてんのよ、あんたは』


 そんな俺を香恋がため息交じりに呆れてくれた。


 その後、俺は夕食を食べても回復することはなく、本来なら日帰りする予定だったのに、高台で一泊することが決定してしまったんだ。


 ちなみに、火の番兼見張りはショックで項垂れる俺がすることになった。


 とはいえ、罰でそうなったわけではなく、みずから立候補したんだ。


「……寝れそうにないから、見張りしている」


「あ、うん」


「……わかったのです」


「わぅ、おやすみなさいなの」


 カルディアとプーレは俺の言動にわりと引いていた。


 対してシリウスはマイペースに「おやすみなさい」と言って、カルディアと同じ毛布に包まっていた。


 ……もうちょっとでいいから、ぱぱうえのことを気にしてくれると嬉しいなぁと思いつつも、「おやすみ」と返すと、シリウスは「わぅ」と鳴いていた。


 その返事に「かわいいなぁ」と思うも、俺の心が上向きになってはくれず、俺はそのまま三人が寝静まるのを見やりながら、ひとり見張りをすることになったんだ。



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