第37話 森の奥地にて

 森の中は薄暗かった。


 灯りが木漏れ日だけだからか、少し先も見えないほどに、森の中は暗い。


 暗いのだけど、差し込む木漏れ日が薄暗い森の中では、幻想的な光のように見えていた。


 背の高い木々や、その根元に生える草花、ところどころに群生する苔など。


 木漏れ日によって照らされたそれらは、とても幻想的な存在のように見えていた。


 そんな幻想的な光景をいくつも横切りながら、俺たちはそこに辿り着いていた。


「うわぁ、すごいのです」


 プーレはその光景に目をまんまるとして驚いていたが、驚いていたのはプーレだけじゃなく、俺も同じだった。


「ここ、本当に森の中、なのか?」


 プーレ同様に当時の俺もその光景には驚きを隠せずにいた。


 なにせ、そこにあったのは森の中とは思えないものだった。


「凄いでしょう、旦那様、プーレ」


 ふふんとカルディアは胸を張りながら、俺とプーレに先んじた形でそこに腰を掛けていた。


 カルディアが座り、俺とプーレが驚いていた光景。それは森の奥にある洞窟の中に存在していた無数の水晶、いわゆる群晶だった。


 群晶というのは岩の割れ目から水晶などの結晶が多数密集して一塊となったもののこと。


 その群晶が無数に集まった洞窟。そこがシリウスたちの群れの住処となっていたんだ。


 群晶は洞窟の入り口から存在していて、その一番奥のシリウスたち一家の住居まで続いていた。


 その道中にはほかのウルフたちの住居もあるようだけど、俺たちはまっすぐにシリウスの実家まで来たんだ。


 まぁ、まっすぐには来たけれど、途中途中でシリウスの群れに属するウルフたちからの歓待やら挨拶をされたから、少しばかり時間は掛かったけれど。


 その挨拶の中でシリウスが群れの長の娘であることを俺たちは知った。


 なにせ、挨拶をしてくれるウルフたちは、みんなシリウスのことを「お嬢様」と呼んでいたからね。


 最初は「なんでお嬢様?」と思ったけれど、道中でカルディアがガルムがこの群れの長であることを教えてくれたんだ。


「だから、シリウスはこの群れのお嬢様になるんだよ」


 シリウスを抱っこしながら、カルディアは得意げに話をしてくれた。


 シリウスは久しぶりに会う群れの仲間たちに愛想を振りまく形で挨拶を返していた。


 シリウスの返しを受けて、挨拶をしてくれたウルフたちはみな嬉しそうに笑っていたのがとても印象的だった。


 ちなみに、挨拶をしてくれたウルフはみな進化種のウルフたちであり、進化種のウルフはマーナとガルム同様に人語を話すことができるようになるらしい。


 もっとも最初の進化であるブラックウルフだと、単語くらいしか喋ることはできず、その先の進化種であるダークネスウルフでようやく流暢に喋ることが出来るようになるそうだった。


 このことは道中でマーナとガルムが教えてくれた。


 実際、ブラックウルフたちの言葉は、途切れ途切れの単語ばかりだったので、ふたりの言葉が事実であったことはすぐにわかった。


 ダークネスウルフ、雄牛くらいの大きさのウルフたちからは流暢に話してくれる。


 ナイトメアウルフであり、群れの長とその妻であるガルムたち夫婦もダークネスウルフ以上に流暢に話してくれていた。


「本来なら魔物である我らが、人の言葉を発するのは不向きであることは当たり前のことですからな」


「複数の進化を果たしてようやくこうして話をすることができるようになるというのも、わからない話ではありませんでしょう?」


 マーナとガルムの言葉には納得するしかなかった。


 そもそも「できないことをできるようになる」というのが生命における進化だった。


 元来人の言葉を発するのに不向きな魔物の体で、人の言語を操るようになるために、複数回の進化を果たしてようやくというのも、ある意味当然と言えば当然かもしれない。


「なんとなくですが、わかるような気がします」


「左様ですか。とはいえ、講釈を垂れてなんではありますが、我らとて学者ではないので、詳しい理屈についてはさっぱりとわからないのですが」


「それでも、私とガルム様は複数回の進化を果たしてようやく人の言葉をまともに操れるようになりましたし、配下たちもやはり同じように複数回の進化でようやくですから、決して間違ってはいないと思うのです」


 マーナとガルムは俺の言葉に苦笑しながらも、穏やかな口調で説明を続けてくれた。


 その間、プーレはというと、無数の群晶を見て目をきらきらと輝かせていた。


「すごいのです……これだけあれば、なのですよ」


 ……その目の煌めきはあからさまに「$マーク」になっていたのだけど、あえて見ない振りをしていました。


 とはいえ、無数の群晶に目を惹かれてしまうというのもわからなくもない。


 洞窟全体に存在する群晶なんて、採取すればどれくらいの金額になるかは想像もできなかった。


 でも、その群晶はシリウスたちの群れにとってはなくてはならないものだった。


 というのも、彼らにとって群晶は照明や暖房器具の代わりとして、生活の必所品として使われていたからなんだ。


 本来洞窟の中には、森の中にような木漏れ日はない。


 だけど、無数の群晶のおかげで、洞窟の中は森の中とは比べようもなく明るかった。


 水晶は水晶同士を擦り合わせることで発光するけれど、その洞窟の群晶たちは擦り合わせなくとも発光していた。


 発光するということは、当然熱も帯びるわけで、日の光が届かない洞窟の中を温めることにも利用されているらしい。


 ちなみに群晶の発光は、赤などの強い光ではなく、淡い紫色の光を帯びていた。


 淡い紫色の光を帯びた群晶が集う洞窟。言葉だけを捉えても十分すぎるほどに美しいのに、実際に目の当たりにすればその美しさは格別なものだった。


 その美しい光景を織りなす群晶の光を見て、最初はアメジスト、紫水晶かと思った。


 が、この群晶はアメジストではない。


 マーナとガルムが言うには、彼らの魔力に反応して紫色の光を帯びているそうだった。


「この洞窟にあるのは魔群晶という特殊な水晶なんだよ。強大な魔力を持った魔物の近くで精製されるんだ。魔群晶なら一欠片でも金貨数枚くらいの値段になるはずだよ」


 魔群晶という言葉を教えてくれたのはカルディアだった。


 マーナとガルムたちもどうして群晶が自分たちの魔力に反応して紫色に光るのかを知らなかったのだけど、カルディアがその疑問に答えてくれたんだ。


 曰く、強大な魔力を持った魔物の近くで精製されることがあるもので、高純度の結晶塊となったものを魔群晶と呼ぶらしい。


「ひ、一欠片で?」


「そう、一欠片で金貨数枚の価値になるって言われているね。ここの洞窟の規模だと、すべて合わせたら星金貨数十枚くらいの価値はあるんじゃないかな?」


「星金貨、ですか」


 カルディアの説明にプーレはあんぐりと口を大きく開いていた。


 洞窟内のすべての魔群晶を合わせたら国家予算級の価値。プーレが愕然とするのも無理もない話だし、俺も自身の耳を疑っていた。


「だけど、この魔群晶はぜんぶここのウルフたちのものだからね。交渉して少し分けて貰うことはできるだろうけれど、すべてを採取することはできないよ?」


 が、当然カルディアは釘を刺していた。


 洞窟内の魔群晶をすべて採取できれば、国家予算級の資金を手に入れることはできる。


 でも、その魔群晶はシリウスたちの群れの生活に欠かせない大切なものだった。


 魔群晶がなければ、シリウスたちの群れの生活は立ちゆかなくなってしまうのに、魔群晶のすべてを採取することなんてできるわけがなかった。


 プーレはとても口惜しそうな顔をしていたけれど、最終的にはカルディアの言葉に頷いていた。


「……とっても惜しいですけど、マーナさんやガルムさんたちにも生活があるのです」


「お金は欲しいけれど、シリウスのご両親や仲間たちの生活を脅かしてまでは欲しくないな」


「その通りなのですよ」


 星金貨数十枚は惜しいどころの騒ぎではないけれど、逆にそこまでの価値があるとかえってうまくイメージができなかった。


 そして魔群晶が群れにとっては必要不可欠の存在であることを踏まえたら、とてもではないけれどすべての魔群晶を採取しきるなんてことはできないし、したくなかった。


 カルディアは俺とプーレの言葉に「そっか、よかった」と安心してくれた。


 安心していたのはカルディアだけではなく、俺とプーレを客人として招いてくれていたマーナとガルムも同じだった。


「おふたりがカルディア殿と同じく、欲深な人間ではないことは匂いでわかっていました」


「それでも、こうしておふたりが我らのためにと、すぐそばにある大金に手を伸ばさないでいただけたこと、感謝致しますぞ」


「わぅん。ぱぱ上とプーレままはやさしいもん、とうぜんなの」


 むふんと最後にシリウスが胸を張ってドヤ顔を浮かべてくれた。


 そのドヤ顔にシリウスを除いた全員がおかしそうに笑っていた。


 そのときの俺たちはすでに洞窟の終点であるシリウスの実家に辿り着いていた。


 とびっきり大きな魔群晶を椅子兼テーブル代わりにして俺たちは向かい合って話をしていたんだ。


 シリウスとシリウスの両親であるマーナとガルムも俺たちと同様に座っていた。それも狼の姿ではなく、人の姿になってだった。


「しかし、今回もいろいろと学んできたのだな、シリウス」


「本当に実りの多い日々を送っているようね」


「わぅ! いつも、いっぱいいっぱいたのしいの!」


 シリウスは人の姿になったマーナの、黒髪で褐色肌の美人さんとなったマーナの膝の上に腰掛けながら、同じく黒髪で褐色肌の偉丈夫となったガルムと向かい合わせに座りながら話をしていたんだ。


 カルディアは三人の側に腰を下ろしながら、マーナが淹れてくれたお茶を啜っていた。シリウスと両親ふたりのやり取りを温かく見守りながらだ。


 でも、少しだけ。ほんの少しだけカルディアは寂しそうでもあった。


 娘と自認し、シリウスからも「まま上」として慕われているけれど、それでも実の両親と触れ合うシリウスの姿に寂しさを感じていたようだった。


 かくいう俺も、「ぱぱ上」と呼ばれてはいるけれど、ガルムやマーナとまったりと過ごすシリウスの姿になんとも言えない寂しさを感じていたから、カルディアの気持ちはよくわかったんだ。


「あとね、ままうえとぱぱうえができたことも、すごくすごくうれしいの! シリウスにはちちうえとははうえがいるけれど、ままうえとぱぱうえもおなじくらいに、だいすきなの!」


 にっこりとシリウスは笑いながら、なんとも嬉しいことを言ってくれた。


 実の両親と同じくらいに大好きだと言ってくれて、不覚にも涙ぐんでしまったよ。


「マーナとガルムと同じくらいか。……光栄だね、旦那様」


「あぁ、そうだね。実の両親と同じくらいに好きって言われて、すごく嬉しいな」


「うん」


 カルディアと向き合いながら笑っていると、ガルムとマーナも同じように笑ってくれていた。


「光栄と言うのであれば、こちらもですな。カルディア殿だけではなく、カレン殿とも同等とは。まさに光栄の極みでありましょう」


「そうですね。高潔なカルディア殿だけでも十分すぎるというのに、そこにカレン殿も加わるとなると、恐縮してしまいますわよね、ガルム様」


「うむ。光栄ではあるが、我らと同等ではかえって失礼にあたりそうだな」


「ええ、まさに」


 ガルムもマーナがやけに謙遜していた。ふたりともカルディアとは前々から知り合っていたから、その人柄を理解していた。


 でも、その日初めて会った俺に対して、なぜかふたりはカルディアに対する以上に謙遜を見せていた。


 どうして俺なんかにそこまで謙遜するのだろうかと考えていると、ちょうど同じことを考えていたプーレが口を開いたんだ。


「あの、なんでカレンさんにもそこまで謙遜というか、へりくだられているのです?」


「なんでと言われてもなぁ。プーレ殿はご理解されていないのかな?」


「どういうことなのです?」


「……そのご様子ですと、本当にご理解されていないみたいですね?」


「えっと?」


 ガルムとマーナの言葉にプーレは意味がわからないと首を傾げていた。


 それはプーレだけじゃなく、カルディアも同じだったようで、「どういうこと?」って首を傾げていた。


 ふたりの反応にガルムもマーナもお互いを見合うと、「他言無用でお願いします」と言うと──。


「カレン殿は自覚されておられぬようだから、口にするのもどうかと思うのだが」


「あえて言っておくのも重要かと思いますよ、ガルム様」


「そうだな。うむ。……カレン殿。いえ、カレン様はこの世界における神子様であらせられるのですよ」


「「「は?」」」


 ガルムが咳払いをして、佇まいを直して口にしたのはあまりにもとんでもない一言だったんだ。

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