第36話 アージェントの森で

「──わぅ、わぅ、わぅ、わぅぅ~ん」


 ご機嫌そうなシリウスの歌声が聞こえていた。


 シリウスの声を聞きながら、俺たち三人は「エンヴィー」の街の外を歩いていた。


「エンヴィー」の街は、頑丈そうな外壁に覆われた城塞都市でありつつ、海運業が盛んな街、だそうだ。


 その日でこの世界に来て三日目の俺にとっては、「エンヴィー」がどんな街なのかをまだ把握しきれていなかった。


 潮風を感じることから、港町であることはわかっていたけれど、その港にはまだ行ったことがなかったし、どの程度の規模なのかもわかっていなかった。


 だからこそ、その光景はとても素晴らしいものだった。


 俺たちが進む経路には、途中で高台があり、その高台からは「エンヴィー」の街を一望することができた。


 俺が想像していた以上に、「エンヴィー」は大きかった。


 中央に聳え立つ王城と、その周囲に建てられた豪奢な屋敷群、街の入り口である門に向かって通常の家屋が軒を連ねていく。


 ククルさんのギルドは屋敷群と通常の家屋が連なる地域のちょうど中間くらいの距離にあり、入れ替わりで人が出入りしていた。


 ギルドの周辺にはプーレの実家を含めた商店群が集まっており、「エンヴィー」内における商業の中心がククルさんのギルドであることは間違いなかった。


 異世界ものでは、お決まりのギルドだが、この世界にも冒険者以外のギルドは存在していて、「エンヴィー」には商業のギルドも存在している。 


 でも、その商業ギルドは王城近くにあるらしい。


 商業の中心地に商業ギルドがないというのは、なんだか違和感があったけれど、それもプーレが説明してくれた。


「商業ギルドは、蛇王様への報告がしやすいように王城に近い位置に置かれているのですよ」


「報告がしすいように?」


「ええ。うちの家を含めた各商店からの売り上げ等を纏めたり、海運業の利益等、いろいろなお金の動きを報告するのに、王城から離れていると面倒なのですよ」


「なるほど。でも、商業の中心地を商業ギルドにしてもいいんじゃない?」


「それもありと言えばありなのですが、商業の中心地ということは、荒事の中心になるということなのです。大きなお金が動くところには、必ず荒事が起こってしまうものなのです。その荒事への対処は商業ギルドではなかなか難しいのです」


「そっか。商業ギルドってことは、武力面ではあまり秀でていないのか」


「その通りなのです。一応荒事関連に秀でた部署もあるみたいですが、その部署だけで対応できるわけもないのです」


「だからこそ、その荒事を冒険者ギルドに任せるということも含めて、冒険者ギルドを商業の中心地においているのか。商業ギルドはその管轄だけをすると」


 プーレの言うとおり、大きな金が動くところには、必ず荒事が起こるもの。


 その荒事への対処は、商業ギルドだけでは難しい。


 そこで荒事にも慣れている武力に秀でた冒険者ギルドを商業の中心地にして、荒事への対処を任せ、商業ギルドが管轄をする。


 よくできたシステムだった。


 商業ギルドは商業の中心にならなくなるも、荒事などの雑事に対応せずによくなり、この国における金の流れについてに専念できるようになる。


 冒険者ギルドは荒事を一手に引き受けるも、その見返りとして商業の中心地であることへの恩恵を存分に受けられる。


 お互いの足らない部分をうまい具合に補足し合う。


 まさにWIN-WINな関係だった。


「よくできているなぁ」


「いまの蛇王様の代からできあがったシステムらしいのです」


「レアさんの代から?」


「ええ。当代様の治世は千年ほどになりますけど、いまの治世が歴代でもっとも優れた治世とされているのです」


 プーレは人差し指を立てながら、胸を張っていた。


 なんでプーレがそんなに自慢げに話すのかは、そのときにはさっぱりとわからなかったが、レアさんの凄さについてはよくわかった。


「……本当に凄い人なんだなぁ」


 遠くにそびえる王城を眺めながら、俺はなんとも言えない感慨に更けていった。


 そうして俺がプーレからの講釈を受け、感慨に更けている間、カルディアはというと、シリウスと食事をしていた。


 正確に言えば、おやつをふたりは食べていた。


 そう、おやつとして、事前に買っていた串焼きをふたりで数十本ほど食べていましたね。


 串焼き数十本はおやつじゃねえだろうと思うけれど、あくまでもふたりにとってはおやつらしい。俺にしてみれば普通に食事だったけれど。


「あ、シリウス、ソースが口元についているよ?」


「わぅ?」


「ほら、じっとしていて? 拭いてあげるね」


「わぅ、ありがとーなの、ままうえ」


「ふふふ、どういたしまして」


 高台にあった切り株に腰掛けながら、ふたりはなんとも穏やかなやり取りを交わしていた。


 ふたりのやり取りに俺もプーレもほっこりと頬を緩ませていた。


 傍らにある串焼きの残骸から目を逸らしてだけど。


 そうして一時的な休憩を取ってから、俺たちは再び出発した。


 再出発してからはシリウスは俺とカルディアの間で手を繋ぎながら、尻尾をぶんぶんと振っていた。


 プーレはそれまでのように俺たちを先導するようにして先頭を歩いていた。


 その背中には見慣れぬ武器が、巨大な刀剣が背負われていた。


 前日の模擬戦の大剣を背負っていた、わけではなかった。


 プーレの背中にはあったのは、刃がついた大剣ではなく、やけに長い刀だった。


 いや、刀というよりかは、包丁というべきなのかな? 


 言うなれば、巨大な、それこそプーレの背丈くらいある柳刃包丁というところか。


 その巨大な柳刃包丁を、プーレは専用の鞘に納めて、斜めに背負っていた。


 あれでどうやって抜刀するんだろうと思うほどだ。


 ただ、大剣よりもプーレに合っているようで、「やっぱりこっちの方が落ち着くのです」と出発の際にプーレは笑っていた。


 自身と同じくらいの大きさの包丁を背負いながら笑う美少女。


 ある意味では、絵になる光景ではあった。


 ……若干サイコパス気味ではあったけれどね。


「……なんでしょうか? カレンさんから、「こいつ危なくない?」みたいな視線を感じるのですよ」


 サイコパスだなぁと思っていると、当のプーレがにこりと笑いながら、そんなことを言ってくれました。


 その言葉に本来とは違う意味で、胸が高鳴ったのは言うまでもない。


「……まぁ、大包丁を背負って落ち着くなんて言ったら、そういう反応になるのも当然なのですけどね」


 ふぅとため息を吐くプーレ。気を遣ってくれたのか、それともプーレ自身もそう思っていたのかはわからなかったけれど、怒っていないことはたしかだった。


「旦那様ったら、不躾すぎるよ? まぁ、私もプーレの言葉にはドン引きしたけれど」


「……それ、カルディアさんが言うのですか?」


「言うよ?」


「……戦闘狂のくせに」


「私が戦闘狂なら、プーレは武器狂いじゃん」


「なんでそうなるのですか!」


「だって、そんな大包丁を背負っている方が落ち着くなんて、そういう風にしか取れないよ?」


「ぅ、そ、それは」


 プーレは少し目を泳がせながら、なにも言い返せずにいた。


「まぁ、プーレが武器狂いだとしても、私にはなんの問題もないけど。ねぇ? 旦那様? 私の方が魅力的だもんね?」


 くすくすと笑いながら、なぜか俺の片腕に抱きついたカルディア。


 ……それもたわわなものをやけに押しつけながらです。


 俺が男だったら堪らないんだろうけれど、俺にとってたわわなそれを押しつけることは、ただの嫌がらせでしかなかった。


「カルディア、そんなに押しつけないで」


「ん~? そんなに嬉しそうなのに?」


「嬉しくなんか」


「ぱぱうえ、すごくえがおなの」


「……え?」


 シリウスの言葉に俺はあ然となる。すると、カルディアはどこからともなく手鏡を取り出すと、「はい」と言って俺の顔を映してくれました。


 鏡に映った俺は……うん、なんとも言えない顔をしておりましたね。


「……鼻の下が伸びすぎなのですよ。カレンさんはやはりどスケベさんなのです」


 けっと吐き捨てるように言い切るプーレに、俺は「心外だ」と叫んだ。


「なぁにが心外なのです? 誰がどう見てもどスケベ顔なのです。どうせ、カルディアさんだけじゃなく、プーレに対してもえっちな目で見るに決まっているのです」


「それはもう被害妄想だよ、プーレ!?」


「は、どうだかなのですよ」


 プーレは肩を竦めて「はん」と鼻で笑ってくれた。


 どう考えてもその意見はおかしいのだけど、残念ながらプーレは俺の話を聞いてくれなかった。


「カルディアさんも、気をつけないとダメなのですよ? そのうち、カレンさんに身ごもらされてしまうのです」


「ねえ、プーレ? 君は俺の性別を理解していますか?」


「ん~、私としてはそれでもいいんだけどねぇ。シリウスも妹欲しいでしょう?」


「いもーと?」


「うん。ぱぱ上とまま上が仲良しして、産まれる子のことだよ。シリウスを「おねーちゃん」と呼んでくれるかわいい子」


「わぅ! ほしいの!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるシリウスに、カルディアは穏やかに笑いながら頭を撫でていた。


 頭を撫でつつも、「今夜作っちゃう?」とひそひそと話し掛けてくれました。


 でも、うん。


 俺には子供を宿らせるためのものがないんですよ。


 こう見えても一応女子なんで、宿すことはできても宿らせることはできないんですよね。


 だけど、どうもカルディアもプーレもシリウスも理解してくれませんでした。


 誰も理解してくれないという悲しいできごとに俺はへこまされてしまったんだ。


 その後は件の高台まではプーレの先導で進んだ。


 高台はプーレ曰く、目的地までのちょうど中間くらいにあたる場所らしい。


 俺たちの目的地は、「エンヴィー」近郊にある「アージェントの森」だ。


 ククルさんのギルドで冒険者登録を済ませた俺が、初仕事として受けた「薬草採取」の採取場所だ。


 ただし、ククルさん曰く「アージェントの森」はCランク以上の冒険者でないと、まともに探索できない危険地帯とされている森だった。


 その危険地帯に俺たちはシリウスを連れて行くことになった。


 ……というか、シリウス自身が「いっしょにいく」と言って聞かなかったんだけどね。


 プーレも「「アージェントの森」だけは危ないから」と言ったんだけど、シリウスは「いくの!」と言って聞いてくれなかった。


 そんなシリウスにカルディアだけは「じゃあ行こうか」と言っていたけれど。


 カルディアの言葉にプーレは「正気なのですか」と驚いた顔をしていたけれど、カルディアは「正気だけど?」と首を傾げていた。


「「アージェントの森」なら、むしろシリウスがいた方がいいくらいだよ?」


「どういうことなのです?」


「ん~。まぁ、行けばわかるよ。ね? シリウス」


「わぅん!」


 カルディアがシリウスの頭を撫でながら尋ねると、シリウスは元気いっぱいに頷いてくれた。


 そのやり取りだけでは、どういうことなのかはさっぱりと理解できなかったけれど、カルディアになにかしらの意図があることだけはわかった。


 俺とプーレは結局ふたりに押し切られて、シリウスを連れて「アージェントの森」に向かうことになったんだ。


 獣人とはいえ、幼子を連れて危険地帯へと向かう。


 正気を疑われるような状況だったのだけど──。


「わぅわぅわぅ~」


 ──機嫌良さそうに鼻歌を口ずさむシリウスを見ていたら、本当にこれから向かうのは危険地帯なのかと思えてしまった。


 むしろ、街の外にピクニックに行くんだっけと思えるくらいだった。


「なんだか、依頼ではなく、ピクニックに行くみたいなのですよ」


「……たしかに」


 俺とプーレはまったくと言っていいほどに緊張感がない中、なんとも言えない気分になっていた。


「シリウス、楽しそうだね?」


「わぅん、たのしみなの」


「そっか」


「わぅん」


 そんな俺たちとは対照的に、カルディアとシリウスはとても楽しそうに会話を弾ませていた。


 それぞれの会話に温度差はあるものの、どちらも緊張感を著しく欠けさせながら、俺たち四人は「アージェントの森」へと続く経路を進んでいった。


 やがて、経路は終点を迎えた。


「着いたのです」


 プーレが緊張気味にそう呟いた。


 プーレ越しに俺が見たのは、鬱蒼とした森の入り口だった。


 木漏れ日はあるものの、背の高い木々のおかげで入り口からでも薄暗いことがはっきりとわかる森。


 その薄闇の向こうからは、いつどんな魔物が現れてもおかしくないと思うほどに、その森は威圧感があった。


「ここが「アージェントの森」か」


「ええ、進化種しか棲息していない危険地帯なのです」


 ごくりと喉を鳴らす俺とプーレ。プーレほどの実力者でも気軽に立ち寄れない森。その森を前にしてそれまではなかった緊張が走って行くのを感じていると──。


「わぅん! ひさしぶりのもりなの!」


 ──シリウスはとても楽しげに笑っていたんだ。

 そんなシリウスをカルディアは穏やかに見守っていた。


「……ひさしぶりって、前にもシリウスちゃんを連れて来たことがあるんですか?」


 シリウスのとんでも発言に、プーレがあ然としながらカルディアに尋ねた。


 その言葉にカルディアは──。


「連れてきたというか、この森でシリウスとは出会ったからね」


 ──またもや爆弾を投じてくれたんだ。


「へ?」


「この森で?」


「うん。この森だよ。ね? シリウス」


「わぅん、ここでままうえとあったの!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるシリウスと、そんなシリウスを穏やかに見守るカルディア。


 ふたりのやり取りはまさに親子って感じはするのだけど、言っている意味がいまいちわからなかった。


「どういうこと?」


「ん~、ここだと少し目立つから、森に入ってからだね」


「目立つって?」


 カルディアの言う意味がやはりわからなかった。

 プーレも理解できないと顔に書いていた。


 そんな俺たちを見て、カルディアはおかしそうに笑いつつ、シリウスを手を繋ぎながら森の中に入っていく。


 俺とプーレは慌ててその後を追いかけた。


 ふたりはまるで見知った家の庭であるかのように、どんどんと森の奥へと向かっていく。


 その後を俺とプーレは離されないように注意しながら、周囲を警戒していった。


 やがて、森の入り口が見えなくなり、ちょうど開けた場所に出た。そこでカルディアとシリウスは立ち止まったんだ。


「シリウス、そろそろいいよ?」


「はーいなの! じゃあ、わぉぉぉーん!」


 カルディアは立ち止まると、シリウスになにかを許可していた。


 シリウスはその言葉を聞いて、大きく息を吸うと、遠吠えをしたんだ。


 その遠吠えは獣人の雄叫びというよりかは、野生の狼そのもので、俺もプーレもなにがどうなっているのかわからず呆然としていた。


 そんな俺たちにさらなる追い打ちが掛けられた。


「あ、みんなきたの!」


「うん、そうみたいだね」


 ふたりのマイペースな会話とは裏腹に、どこからともなく轟音が聞こえてきた。


 いや、どこからともなくではなく、森の奥からなにかが駆けてくる音が聞こえてきた。


 なにがと来るんだと身構えていると、それは現れた。


 真っ黒な毛並みをした二匹の大型の狼を先頭に、無数の狼の群れが俺たちの前に現れたんだ。


 狼の群れは先頭の二匹の狼同様に、すべて真っ黒な毛並みをしていた。


 だいたいが先頭の二匹よりも小柄な狼だったけれど、中には目に見えて巨大な狼たちもいた。それこそ雄牛くらいの大きさの狼たちもいた。


 大きさだけで言えば、雄牛くらいの狼たちの方が迫力はある。


 だけど、俺の目は先頭の二匹へと向けられていた。


 大きさだけなら雄牛サイズの狼の方が強そうに見える。


 けれど、その二匹は雄牛サイズ以上の圧力のようなものを感じられた。群れの中でどちらがより上位者であるかのは、その圧力でなんとなくだが理解できた。


「ま、まさか、ナイトメアウルフ、なのです!?」


 プーレは俺が目を離せなかった先頭の狼たちを見て、度肝を抜かれて、へろへろとその場に尻餅を着いた。


「ナイトメアウルフ?」


「……三回目の進化に行き着いた進化種のうち、闇属性のウルフです。危険度はBランク、です」


「Bランク」


 俺が目を離せなかった先頭の狼二匹、プーレ曰くナイトメアウルフは、冒険者ギルドの基準における危険度Bランクの魔物ということだった。


 少し体格の大きな狼という風に見えるのに、その実力は、Bランクの冒険者クラスでないと太刀打ちできないほどの強者。


 だから他の狼にはない威圧感を放っていたわけだ。


 なるほどと頷きながらも、これがBランクの魔物かと俺は冷や汗を搔いていた。


「ままうえ、いい?」


「うん、いいよ」


「わぅん!」


 俺が冷や汗を搔く最中、シリウスはカルディアになにかの確認をし、カルディアはそれに頷いていた。


 なにをしているんだろうと思っていると、なぜかカルディアはシリウスと一緒にナイトメアフルにと近付いていった。


 ナイトメアウルフたちも、ふたりに合わせて進み出ていく。


「危ない!」


 俺はとっさに飛びだそうとしたが、俺が飛び出すよりも早くふたりと二匹は接触して──。


「お帰りなさい、シリウス」


「カルディア殿、いつもすまないな」


「いいよ、マーナもガルムも。私もシリウスを娘としてかわいがっているから」


「そうか。それならいいのだが」


「シリウス、人間の街で今回はどんなことを学んでいるの?」


「わぅん、いっぱいなの、ちちうえ、ははうえ」


 ──とても親しげに話し始めたんですよね。


「「……はい?」」


 俺とプーレはいきなりの光景にあ然となった。


 が、カルディアたちは俺たちをまるっと無視して、話を続けていく。


 その話はナイトメアウルフだけではなく、その背後の狼たちにも及んでいった。

 

 完全に歓迎ムードな状況は、俺とプーレの理解の範疇を超過していた。


「「どういうこと?」」


 俺とプーレはあまりにもあんまりな光景に揃って同じ疑問を口にした。


 その疑問にカルディアは──。


「どういうことって、シリウスはこの森出身のグレーウルフで、こっちのマーナとガルムの娘さんだからだよ?」


 ──なにを言っているのと言わんばかりに、カルディアはこの日一番の爆弾発言を投じてくれたんだ。

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