第35話 初仕事

 学校の校庭くらいの広さのあるフロアだった。


 ククルさんに連れられて訪れたのは、ククルさんのギルドの受付カウンターの前だった。


 カルディアが言うにはククルさんのところのギルドはとても品がいいらしい。


 実際、受付カウンターには質のいい調度品が置かれていたり、受付の職員さんはとても親切丁寧に依頼を受けに来た冒険者に説明をしていた。


 その受け付けカウンターをフロアの中心に置いて、四方にはそれぞれ買い取り場所、売店、食事処、いくつもあるボードが配されていた。


 中央のカウンターには職員さんたちと、冒険者たちがいるけれど、中央にはそこまで人はいなかった。


 人が多いのは食事処のようで、仕事が終わった冒険者たちが焼いた骨付き肉を豪快に食べて騒いでいる。


 俺の認識でも、「冒険者は仕事終わりに食べて飲んでのどんちゃん騒ぎをする」なので、食事処に人が多いのも理解できる。


 ただ、その中にはちらほらと職員さんたちらしき、制服を着た人たちも見かけられた。


 どうやら仕事終わりの一杯などは冒険者だけではなく、職員さんたちも同じようだった。


 とはいえ、さすがに冒険者と同じテーブルに着いている職員さんはほぼ見かけない。


 大抵は職員は職員同士、冒険者は冒険者同士で食事をしていた。


 まぁ、どちらも最終的にはどんちゃん騒ぎをすることには変わりないのだけど。


 ただ、そのときはまだ昼だったこともあり、食事メインの人が多く、樽のジョッキを酒を片手にしている人はそこまで多くはなかった。


 樽のジョッキを片手に、昼間から浴びるように飲んでいる人もいるけれど、あくまでも少数のようだった。


 そんな昼間から酒を飲んでいる人を羨ましそうに見つめる冒険者や職員さんも少なからずいた。


(どこの世界でも大人って酒が好きだよなぁ)


 俺は元の世界でも未成年なので、酒の味は知らない。


 ノンアルコールのスパークリングワインやサングリアは飲んだことはあるけれど、正直美味しいとは思わなかった。


 でも、毅兄貴の嫁である久美さんは、「平日の仕事終わりはやっぱりこれよねぇ」とノンアルコールのそれらを美味しそうに飲んでいた。


 ノンアルコールを飲んでいたのは久美さんだけじゃなく、親父や毅兄貴たちも同じだった。まぁ、親父たちはもっぱらビールだったけれど。


 アルコール入りのものを飲むのは休みの前の日と休みの日だけと決めていたみたい。


 翌日も仕事がある平日はノンアルだけというのが親父たちというか、うちの家の決まり事だった。


 俺がノンアルのワインを飲んだのも、久美さんに薦められてだ。


 ノンアルなので、酒ではないから未成年の俺でも飲むことは問題ない。


 が、そうして飲んだノンアルワインは、俺にとっては苦いだけのジュースだった。


 久美さんたちにはそのままの感想を伝えると、「大人になればわかるよ」と笑われてしまった。


 アルコールがない状態でもまずいとしか思えないのに、アルコールありだと余計にまずそうとしか俺には思えなかった。


 そのまずそうな飲料をどうしてみんな美味そうに飲むのか。俺にはさっぱりと理解できなかった。


 それはこの世界に来てからも同じだ。


 飲めば酔ってしまうような、まずい飲み物をどうして羨ましそうに眺めているんだろうと考えていると──。


「──カレンさん? 聞いていますか?」


「あ、す、すみません」


「素直に謝られるのはよろしい。ですが、今後は気をつけてくださいね? 依頼説明の際に聞き逃しなどもっての外です。その部分に重要事項が含まれることもあるかもしれないのですから」


「……気をつけます」


「よろしい」


 ククルさんがため息交じりにカウンター内に立たれていた。


 俺とククルさんの間には仕切りと一枚の紙が置かれていた。その紙をククルさんはそっと差し出してくれた。


「もう一度説明するのもいいのですが、一応ご自分で目を通してください。わからないことがあったら、聞いてください」


「あ、はい。わかりました」


 差し出された紙を手に取り、俺は上から順番に読み進めていく。


 その間も、ざわざわと騒がしい声が聞こえていた。


 周囲を見渡さずとも、視線を集めていることは明らかだった。


 俺の隣にはカルディアが立っていて、興味津々とばかりに俺の手の中のものを覗き込んでいた。


 俺が手にしていたのは一枚の依頼書だった。


 依頼書にはこの世界の言語だろうか、見たことのない文字が、象形文字みたいなとてもではないけれど、文字とは言えない謎の言語が書かれていた。


 でも、その謎の言語を俺はなぜか解読できていた。


 依頼書には大きく「薬草採取」と書かれていた。


「薬草採取」の下には難易度だろうか? 「Dー」とあり、その下には詳細が長々と書かれていた。


「──そろそろ毎年恒例の風邪が流行る時期なので、その前に特効薬の材料である薬草の採取をお願いします、だって」


 カルディアが書かれていた内容をわざわざ読み上げてくれた。


 ありがとうとお礼を言いつつ、やっぱり読めているなぁと思った。


 異世界の言語であるはずなのに、俺は完全に解読できていた。


「えっと、報酬は銀貨十枚、か。これって相場的にはどうなんですか?」


「そうですね。Dランク、それもマイナスの依頼にしては破格の報酬ですね。通常であれば、せいぜい銀貨数枚という程度でしょう。それが銀貨十枚なのです。割のいい依頼と言ってもいいでしょうね」


 最後に書かれていた報酬は銀貨十枚とあったが、これが相場的にどの程度のものなのかはさっぱりとわからなかった。


 ククルさんに尋ねると、相場的に見るとかなり美味しい依頼であることを教えて貰えた。


 初仕事としては、破格としか思えないものだった。


「あの、この依頼、本当に私でよろしいんでしょうか?」


「ええ。問題ありません。むしろ、お願いしたいくらいでしてね」


 ククルさんはニコニコと笑いながら、よくわからないことを言ってくれた。


「お願いしたい、というのは?」


「はっきりと言いますと、あなたの実力を見込んでの依頼なんですよ」


「どういうことですか?」


「場所が問題なんですよ」


「場所? 「アージェントの森」ですか?」


「ええ、その「アージェントの森」こそが問題でしてね」


「と言いますと?」


「実は「アージェントの森」はここからそう遠くない森なんですけど、危険地帯でしてね」


「……危険地帯?」


「ええ。本来なら、「エンヴィー」周辺に出現する魔物はそこまで強い個体はいないのですが、この「アージェントの森」に棲息する魔物は、進化種ばかりでしてね。Cランク以上の冒険者でないとまともに捜索できない森なんですよ」


「……その危険地帯へ私に行けと?」


「その通りです。Cランクの冒険者にしてみれば、銀貨十枚なんてものは端金でしてね。受けてくれる冒険者はいないんです。かといってそれ以下の冒険者に「アージェントの森」に行けとは、とてもではありませんが言えません。どうしたものかと困っていたんですよ」


 ニコニコと笑いながら、ククルさんが告げるのはなんとも困った内容だった。


 Cランクの冒険者にとっての銀貨十枚は、それこそ一回の買い物で吹き飛ぶほどの報酬でしかない。Cランクの冒険者であれば捜索はできるけれど、旨味はほぼない。


 かといって、それ以下の冒険者にとっては銀貨十枚は大金だけど、「アージェントの森」を捜索できるほどの実力はない。徒党を組めばワンチャンどうにかなるかもしれないが、その場合報酬の分配をもめることになる。


 Cランク以上でもそれ以下であっても、問題が多い依頼。要は厄介な依頼をククルさんは俺に突き付けてきたということだった。


「……あなた、鬼ですか?」


「ははは、なにを仰るのですか? 美味しい依頼だと言ったでしょう?」


「どこが美味しいんですか? そんな危険地帯に行けなんてものの──」


「この依頼を受けてくれるのであれば、私の権限で一気にCランクまで上げましょう」


「……え?」


「いまのあなたはEランク。今日冒険者として登録したばかりの新人ですから当然ですよね。でも、それを一気にCランクまで飛び級させてあげますよってことです」


「そ、そんなこと可能なんですか?」


「もちろん。模擬戦で見せて貰った実力的には問題ありませんし、この厄介な依頼を完遂させてくれれば、当然ギルドに対しての貢献度も一気に稼げます。それらを踏まえれば、一気に飛び級をさせても問題はありません。ねぇ?「美味しい依頼」でしょう?」


 にんまりと口角を上げて笑うククルさん。その笑顔はシリウスに向けていたものとはまるで違う、真っ黒な笑みだった。


「それで、どうしますか?」


「……受けます」


「それはよかった。道案内兼サポートとしてカルディアさんとプーレさんに同行してもらいます。おふたりともよろしいですね?」


 隣にいたカルディアと俺たちの後ろでシリウスを抱っこしてくれていたプーレに、ククルさんはそれぞれ目配せをした。


「問題ないよ」


「問題ないのです」


 ふたりはその目配せにそれぞれに頷いていた。


「よろしい。それでは、初仕事頑張ってくださいね? カレンさん」


「……了解しました」


 ククルさんの満面の笑みを見やりながら、俺はがくりと肩を落とした。


 こうして俺の初仕事は、難易度がおかしい薬草採取となったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る