第45話 簡単に靡く女じゃないから
「──アンジュは優しい子だったよ」
カルディアは、燃えたぎる火を見つめながら、ぽつりぽつりと語り始めていく。
カルディアが語っているのは、カルディアの妹さんのことだった。
カルディアの妹さんは、双子の妹さんの名前はアンジュ。
そのアンジュの名前を口にしたカルディアの目は、とても悲しそうなものだった。
その悲しげな目を見て、「あぁ」と思ってしまった。
「だったよ」ということは、そのアンジュはもう亡くなっているということで、だからカルディアは悲しそうな目をしているんだと思ったんだ。
「……なんて言っていいかわからないんだけど、えっと、その──ごめん!」
落ち込むカルディアになんて声を掛けるべきかわからなかった俺は、謝りながらカルディアを抱きしめた。
妹さんが亡くなったことを思い出したカルディアを、少しでも慰めるために抱きしめる。どう考えても慰めにならない気はしたのだけど、そのときの俺にできることはそれだけだった。
気の利いた言葉なんてなにひとつ思い浮かばなかったんだ。
「……ごめん。妹さんのことを思い出して、悲しんでいるカルディアにできることがこれくらいしか思い浮かばなかったんだ。……こういうときに気の利いた言葉を言えればいいんだけど、それさえもできなくて、本当にごめん」
「……えっと、旦那様?」
せめて妹さんのことを一時的にでも忘れて欲しいと、カルディアを強く抱きしめていると、カルディアはどこか困惑したような声をあげていた。
「……辛かったよね。いつなのかは知らないけれど、カルディアの心が傷つくことなのはわかっている。俺にできるのはこれくらいしかない。本当にごめんね」
だけど、カルディアが困惑しているというのに、俺はまるで酔ったような言葉を次々に投げ掛けていた。
そんな俺の言動にカルディアはより困惑を深めていたのだけど、俺はそのことにまるで気付いていなかった。
「あ、あの? 旦那様、さっきからなにを言って」
「妹さんがいなくなったのは、いつなの?」
「え? えっと、五歳になる少し前くらいだから、十一年前とかくらい、かな?」
「……そっか。そんなに幼い頃に死に別れて」
「へ?」
「辛かったよね。ごめん、辛いことを思い出せてしまって、本当にごめんね」
ぎゅっとより強くカルディアを抱きしめると、カルディアは「……あ~」となんだか納得したような声をあげた。
でも、その声にも当時の俺は気づくことなく、より酔いしれていったのだけど──。
「……あの、ね。旦那様は勘違いしているよ?」
「……え?」
──カルディアのその言葉で、俺は自分の間違いにようやく気付けたのだった。
なにせ、腕の中のカルディアは泣いているわけではなく、困ったように笑っていたんだ。
『……はぁ、ごめんなさいね、カルディア。うちの愚妹がものの見事に暴走してしまって』
「いや、気にしていないよ。たしかに私の言い方だとそう捉えちゃうのも無理ないかなぁって思うし」
「ん~。まぁ、それはそうなのだけど、それでもごめんなさいと言わせてちょうだい。うちの愚妹が暴走して、申し訳ありませんでした』
「あ、あははは、気にしていないから、気にしないで、ね?」
香恋がため息交じりにカルディアに謝罪した。もし香恋の実体があれば、おそらくは土下座していたに違いないほどに、香恋は申し訳なさそうにしていた。
香恋の謝罪を受けて、カルディアは困ったなぁと言わんばかりに苦笑いしていたんだ。
そして当の俺はと言うと──。
「……あれ? えっと、妹さんって生きているの?」
──ふたりのやり取りを聞いて、状況をようやく理解したんだよね。
そんな俺の言葉を聞いて、香恋とカルディアはそれぞれに頷いてくれました。
特に香恋は呆れながらでしたけどね。
『……私に実体があれば、いますぐにでも「そこに座れ」と言いたい気分ね。毅兄さんみたく、「説教だ」と言って正座させたい気分よ、マジで』
「あ、はい。ごめんなさい」
『謝るのは私じゃなく、カルディアにでしょうが。あんた勝手にカルディアの妹さんを殺しているんだから』
「うっ、そ、それは」
『いいから、謝りなさいな。夫婦関係ってのは、こういうときにきちんと謝罪を行えるかどうかで変化するものなのだからね』
「……はい」
香恋の言葉に縮まりながら、俺は抱きしめているカルディアに改めて向かい合うと──。
「……あの、カルディア、さん」
「なぁに?」
「えっと、その、妹さんが亡くなったって勘違いして、すいませんでした!」
──佇まいを直して、平伏しました。むしろ、そうでもしないと許して貰えないと思ったんですよ。
だってさ、妹さんを勝手に殺しちゃっていたわけですよ、俺って。
そうなればさ、当然平伏くらいしないとダメでしょう、常識的に考えて。
『私からも改めて謝罪します。うちの愚妹が暴走して、本当にすみませんでした』
香恋もまた俺に倣って謝罪してくれた。俺たちふたりの謝罪をカルディアは笑いながら許してくれたんだ。
「あははは、気にしていないから。それに、うん。アンジュが遠くに行っちゃったことは事実だし。元はと言えば、私が勘違いするようなことを行ったのも悪かったからさ」
「でも」
「いいの。私がいいって言うんだから、ね?」
カルディアは優しげに笑いかけてくれた。その言葉と笑顔にほっと俺は一息を吐いた。そこに香恋が声を挟んできたんだ。
『ちなみに遠くって言うと、違う国に行ったってことかしら?』
「そうだね、違う国という意味では合っているかな。でも、ただの違う国じゃないんだ。アンジュが行ったのは、海を隔てた先の国だから」
「海を?」
『……もしかして「聖大陸」に?』
「うん。アンジュは父様と母様と一緒に「聖大陸」に行っちゃったんだ」
カルディアは再び炎を見やりながら言った。香恋は「そう」と頷いていたけれど、そこで俺は疑問を口にした。
「……えっと、「聖大陸」ってなに?」
「……あー、そういえば、旦那様にはこの世界の地理についてはあんまり教えていなかったんだっけ?」
俺の質問に一瞬だけカルディアは硬直していたけれど、すぐに「そういえば」と言って納得してくれた。……若干引き気味でしたけども。
『……本当にごめんなさい、うちの愚妹が重ね重ね』
香恋は頭が痛いと言わんばかりに、大きなため息を吐いてくれました。
その香恋の言葉にカルディアは「あ、あははは」とごまかすように笑ってくれましたよ。……あのときほどカルディアの笑い声を聞いて傷付いたことはなかったね、マジで。
「えっと、うん。まずはおさらいからね? この国の名前は憶えている?」
「「蛇の王国」だっけ?」
「うん。レア様こと蛇王エンヴィー様が治める国なのだけど、その「蛇の王国」があるのは、「魔大陸」って呼ばれているの。由来は魔族が支配する大陸だからなんだ」
「なるほど。じゃあ、「聖大陸」は聖人とかが治めている国があるってこと?」
「ううん、「聖大陸」は人族が治める国が大半の大陸のことで、「魔大陸」とは海を隔てて存在しているんだよ」
カルディアは人差し指を立てて、まるで指揮棒を振るうようにして語っていく。
その内容を俺は「ふんふん」と頷きながら聞いていた。カルディアは「よろしい」と言って続きを話してくれた。
「でも、話によると「聖大陸」と「魔大陸」は名前があべこべってらしいよ? レア様がそう言っていたんだ」
「レアさんが? っていうか、あべこべって?」
「うんとね。「聖大陸」って聞くと、旦那様が言った通り聖人が治めている国とか、住んでいる人がみんな聖人、とまでは言わないけれど、穏やかみたいに思えるけれど、実際はだいぶひどいらしいよ? 違法奴隷が売買されていたり、その売買を国王自らが指揮していたりとか、そういうことが平然と行われているんだって」
「……そりゃ名ばかりだね」
「うん。で「魔大陸」は逆にレア様を始めとした「七王」陛下方が目を光らせているから、違法奴隷なんていない。いるとしても犯罪奴隷くらいかな? その犯罪奴隷にしても人権は一応残しているし、そこまでひどい扱いはされていないんだ」
「……なるほど。たしかにあべこべって言うのもわかるね」
「でしょう? 「魔大陸」はある意味楽園みたいな場所だから。その「魔大陸」からアンジュは父様たちと一緒に「聖大陸」に行っちゃったんだ」
カルディアは遠くを眺めながら、どこか寂しそうに笑いながら言っていた。
なにを言えばいいのかはやっぱりわからなかった。
「……もうずいぶんと昔のことだから、正直父様や母様のこともほとんど憶えていないんだ。アンジュのことだって、どうにか憶えているくらいだもの。……ひどい娘のうえに、ひどいお姉ちゃんだよね、私って」
あははは、と力なく笑うカルディア。
その目尻には光るものが見えていた。その光るものを見た瞬間、俺は抑えきれない衝動を感じていた。
「……カルディア」
「なぁに、旦那様?」
カルディアは心配を掛けまいと気丈に振る舞っていた。いつものように穏やかに笑っているのだけど、その姿がかえって痛々しくて、いても立ってもいられなくなってしまった。
気付いたときには俺はカルディアをそっと抱きしめながら、唇を重ねていた。
カルディアは口づけの寸前に、わずかに息を呑んでいたけれど、すぐにまぶたを閉じて受け入れいてくれた。
重ねていただけの唇を割り開くまでに、さほど時間はいらなかった。
カルディアも最初は少し驚いていたけれど、すぐに応じてくれた。
火の爆ぜる音とともに、水場のない高台からするはずのない水音が静かに奏でられていった。
『……先に寝ておくわ。おやすみ』
口づけを交わすのと同時に、香恋が寝る発言をしてくれた。
余計な気遣いとは思ったけれど、素直に「ありがとう」とお礼を言った。
言葉としての返事はなかったけれど、それでも香恋の返事は聞こえた気がした。
そうして香恋が眠ってすぐに俺は息継ぎのためにカルディアから離れた。
カルディアも肩で呼吸をしながら、濡れた瞳で俺を見つめていた。
涙に濡れた瞳は、普段以上にきれいで、その美しさに心を一瞬で奪われてしまっていた。
呼吸を整えることもなく、そのままカルディアを横たわらせ、その上に跨がっていた。
「……旦那様はひどい人、だね」
俺を見上げながらカルディアは、恥ずかしげに頬を染めていた。リンゴのように紅潮した頬を見やりながら、地面に広がった銀髪を一房手に取り、そっと口づけた。
「そう?」
「うん、傷心しているところにこんなことをされちゃったら、ますます好きになっちゃうよ。……でも、私はそう簡単に靡く女じゃないから、勘違いしたらダメだから」
「それ、矛盾していない?」
「いいの。……だって旦那様だけだもん。こんなに胸がドキドキするのは」
カルディアの頬がより赤く染まる。赤く染まった頬を撫でながら、俺はカルディアの服に手を掛けたんだ。
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