第60話 降伏

 鬨の声が上がっていた。


 その声に合わせて、怒濤の勢いで冒険者たちが突っ込んでくる。


 その勢いはまるで高波のよう。次々に押し寄せてくる波のように、弛緩していた「深緑の翼」の構成員たちへと襲いかかっていた。


 完全に隙を衝かれた構成員たちは、立て直すこともできないまま、次々に冒険者たちの波に呑み込まれていった。


 冒険者たちの先頭に立っていたのは、ギルドマスターであるククルさんだった。


 両手に小振りの剣をそれぞれ持ちながら、最短距離でまっすぐに駆け込んでくる。


 ククルさんに次いでいるのは、クーと呼ばれたスキンヘッドの冒険者だった。


クーさんの手には大型の斧が握られていて、その斧を縦横無尽に振るいながら、戦場を駆け抜けていた。


 冒険者部隊の中でも、そのふたりが突出しているものの、他の冒険者たちも負けじと戦場を掛けながら、構成員たちを相手取っていた。


 冒険者たちの波は、あっという間に俺たちの元まで押し寄せていた。


 その頃には、ガルムたちウルフ軍も冒険者部隊と連携するようにして、再度「深緑の翼」への攻撃を始めていた。


 しかも冒険者部隊が参戦したおかげで、「深緑の翼」の矛先が外れたこともあり、それまで封印していた機動力を活かしたヒットアンドアウェイで「深緑の翼」の構成員たちを翻弄していた。


 そこに突き出された槍のように、突き進んでくる冒険者部隊からの痛撃が加えられ、「深緑の翼」の構成員は、それまで以上の速度で数を減らしていく。


 その衝撃は俺たちがいる中央にまで達していた。


 もっと言えば、俺たちが突破したばかりの壁にまで達している。


 壁の中には俺たちだけじゃなく、例の首魁姉妹の片割れである姉もいた。


 けれど、すでに構成員たちは冒険者部隊とウルフ軍の挟撃に手を取られてしまい、残った姉への援護もほとんどできなくなっていた。

 

 せいぜいが、最前列の壁がどうにかと援護を試みる程度だった。


 だが、その程度の援護なんて、俺たちにはなんの意味もなかった。


 それどころか、援護を試みたときには、すでにククルさんとクーさんのふたりが最前列の壁にまで到達していた。


 あれほど分厚かった壁は、あっという間に瓦解していた。


 その壁の内側で俺たちは──。


「とりあえず」


「これで」


「降伏してほしいのですよ!」


 ──ひとり残った姉へとそれぞれの得物を突き付けたんだ。


 姉を三人で取り囲む形でそれぞれの得物を目の前に突き付けた。


 姉には逃げ道は完全になくなっていた。


「こんな、こんなところで」


 姉は忌々しそうに地面を掴んだ。


 掴んだ地面の一部を、土を俺たちに投げつけて目くらまし代わりにしようとしていたのだろうけれど、仮にしたところで意味はなかった。


 目くらましをしたところで、せいぜいひとりに対しては有効という程度だ。


 でも、そのときの状況は姉を三方向から取り囲んでいた。


 三方向から取り囲まれた状況でひとりに目くらましをしたところで、状況打破に繋がるかは疑問だった。


 もちろん、姉が俺とカルディア以上の実力者というのであれば、誰かひとりに目くらましを喰らわせて、その隙に目くらましをした誰かを打破するないし、人質に取るという手はあった。


 もっとも、それでも最終的には、冒険者とウルフたちから挟撃を受けている状況を踏まえたら、詰みに至るまでの時間をわずかに稼げる程度。


 それでも構わないとばかりに、姉は鋭い目を俺たち三人にと向けていた。


「……どうして、そこまで」


 いまにも目くらましを仕掛けてきそうなほどに、必死な形相を浮かべる姉を見て、俺はどうしてそこまでするのかがわからなかった。


 生きたいというのはわかる。


 なにがなんでも生きたいというのはわかるんだ。

 だけど、生きるというのであれば、降伏をすればいい。


 一か八かの手段に出たところで、生存の目はほぼない。


 であれば、いまは従順のように振る舞って、降伏をするべきだとは思う。


 もっとも、降伏をしたところで生存に繋がるかどうかはわからない。


 そもそも降伏をきちんと受け入れて貰えるかもわからなかった。


 それでも、三方から武器を突き付けられた状況下で、遮二無二になって必死の抵抗をして失敗してしまえば、それこそ目も当てられない。


 であれば、遮二無二になるよりも、降伏する方がよっぽど生存に繋がるはずだ。


 実際、そのときの俺はそう思っていた。


 いや、俺だけじゃない。カルディアやプーレだって同じように考えたからこそ、降伏を勧めていたんだ。


 だけど──。


「どうして? どうしてと言ったの?」


 ──姉は吐き捨てるようにして笑っていた。


 笑っていた。


 笑っていたけれど、それはとてもではないけれど、笑顔とは言えないものだった。


 俺たちをあざ笑うように。


 そして、その先に底知れない怒りを滲ませながら、彼女は笑って、いや、嗤っていた。


「おまえらのボスが私たちにしたことを知らずにいるなんてね。とんだお笑いぐさだよ! 「七王」の飼い犬どもめ!」


 姉が叫びながら嗤っていた。そのときには、ククルさんとクーさんは壁から飛び出し、俺たちの元へと来ていた。


 他の冒険者たちとウルフたちは、残った構成員の掃討を始めていた。「深緑の翼」の壊滅まで、時間はそう掛からないというところだった。


「「七王」の飼い犬?」


 姉の言葉に俺が返すと、姉は嗤いながら続けた。


「そうさ! あんたらはただの飼い犬でしょう? この国であれば、あのアバズレ女の飼い犬! どうせ男も女もあの女に迷わされた! 男ならあの女を抱き、女ならあの女に抱かれて骨抜き、いや、牙をもがれた飼い犬どもだ! だからこそ、真実が見えない! その真実を知って蹂躙された民のことなど見ようともしていない!」


 姉は叫ぶ。その言葉は掃討によって響く断末魔さえも押し返しかねないほどに大きなものだった。


 その叫びをあげる姉の目は狂っていた。


 怒りと憎悪によって狂いに狂った目をしていた。


「どうせ、おまえらは私たちをただの盗賊としか見ていないんでしょう!? 「大規模な盗賊」という風に見ているんでしょう!? 上から、「七王」どもからそう言われているから!」


 姉が再び叫ぶ。その叫びに掃討の手を止める冒険者もいるけれど、すでに掃討は時間の問題となっていた。


「「大規模な盗賊」? は、たしかにそう言われても仕方がないかもね! だけど、私たちは盗賊は盗賊でも、盗むものは決まっている! 私たちが狙うお宝は、「七王」どもの命! そしてその先に広がる真の平等たる平和! その平和へと深緑の風に乗って広げる翼! それが私たち、「深緑の翼」だ!」


 姉は血走った目で俺たちを睨み付けていた。


 血走った目で口にした言葉を踏まえると、「深緑の翼」の本当の姿は見えた。


『盗賊じゃなく、叛徒だと言うこと?』


「深緑の翼」は大規模な盗賊ではなく、国家転覆を狙う叛徒、つまりは反乱軍であるということだった。


 まさかの言葉に俺たち全員があ然とする。その最中でなにかを引きずる音が聞こえてきた。


 顔を向ければ、気絶した、俺が放り投げた首魁姉妹の妹を引きずってくるククルさんがいた。


「御託は結構です。どんなお題目を掲げようと、あなたたちが無辜の民たちを襲い、殺していることは事実です。反乱軍を謳うのであれば、無辜の民を襲っては本末転倒でしょうに」


 ククルさんは妹を引きずり、姉の前に放り投げた。放り投げられた妹を、姉はとっさに抱き留めた。


「モルン! モルン! 目を開けて!」


 いままでの狂人ぶりはどこへやら。姉は必死な様子で妹を呼びかけていた。その呼びかけに妹が目をうっすらと開けて答えていく。


「ミー、リン、おねえちゃん」


「あぁ。あぁ! モルン! モルン!」


 そう言って妹を抱きしめる姉。その姿からは狂人さはもう見えなかった。


 同時に掃討は終わりを告げた。


 首魁姉妹以外の「深緑の翼」の構成員はすべて息絶えていた。


 残るは首魁姉妹だけ。


「さて、まだやりますか?」


 ククルさんは一歩首魁姉妹たちに近付きながら囁くように言った。


 その言葉に姉が牙を剥くようにして唸った。が、その牙はたった一言でもがれることになった。


「やるというのであれば、そうですね。あなたを殺す前に、あなたの大事な妹さんを目の前で殺して差し上げましょう」


「っ!?」


「できないとお思いですか? こちらに何人いると思っています? あなたが必死に抵抗をしたところで、大の男数人に押さえつけられたら、妹さんを守ることはできません。あなたが押さえつけられている間に、妹さんの爪を一枚ずつ剥がし、指をひとつずつ折っては切り落とす。そうして手足の指をすべて切り落としたら、今度はそうですね。歯を折っていきましょう。その次は、鼻でも切り落としますか。そうして少しずつ、妹さんを、「妹さんだったもの」に変えてあげることだってできるんですよ?」


 ニコニコと笑いながら、背筋の寒くなるようなことを告げるククルさん。


 その言葉に、その表情に嘘偽りはなく、ククルさんが本気であることは窺い知れた。


 姉もその様子に生唾を飲んだ。その時点で、姉の負けは決まっていた。


「どうしました? あぁ、それとも実際に見ないとわからないクチですか? でしたら、実際に見せてあげましょうね」


 ククルさんが俺を見やった。


 とても冷たい目で、俺を見つめていた。


 俺は頷きながら、剣を鞘に納めて、妹の腕を掴んだ。


 姉は「やめて!」と叫びながら、妹へと手を伸ばすも、カルディアが姉を押さえこんで、地面に押しつけていく。


 それでも姉は必死に「モルン!」と妹を呼びかけていた。


 でも、どんなに呼びかけてもその手が妹へと届くことはなかった。


「さぁて、まーずーは~。このかわいらしい手の爪から剥がしましょうね~」


 姉が必死の抵抗を見せる中、俺は妹をククルさんの元へと連れて行った。連れて行ってすぐにククルさんに「転がしなさい」と言われた。


 俺は無言で妹を転がし、地面に押さえつけた。それからすぐにククルさんは妹の手に、宣言通りに爪に触れたんだ。


 妹の口から小さな悲鳴が漏れる。その悲鳴に姉の目尻から涙がこぼれ落ちた。


「さて、どうしますか? あなた次第でこの子の運命が決まりますよ? 五体満足でいられるか、それともただの肉塊になるか。あなたが決めていいですよ? お姉さん?」


 くすくすと笑うククルさん。ククルさんの笑顔と言葉、そして大事な妹の恐怖に染まった顔に、姉の心が折れるのがはっきりとわかった。


「……降伏、する。だから、だから、せめて、その子だけは」


「いいでしょう。ただし、念には念を入れさせて貰います、ね」


 降伏を受けいれた姉に対して、ククルさんは笑みを深めたと思ったら、いきなり妹の腕を取り、可動域を大幅に超過するようにして捻った。


 静かになった森の中で、骨の折れる音がはっきりと聞こえた。


 次いで妹の呻き声と姉の叫びがこだまする。


「言葉だけの降伏はいらないんですよ。心の底から降伏しなさい。でなければ、この子はここで芋虫にでもなってもらいます。具体的には」


「わかった。わかった、わかったから! もう、もうやめてぇ!」


「そうですか。では、隷属してもらいますよ? お嬢ちゃんたち?」


 くすくすとククルさんが嗤う。その声と笑みに首魁姉妹たちの心は、完全に折れてしまった。


 壮絶な戦場において、ククルさんの嗤い声がこだまする。目の前にいる首魁姉妹たちという獲物を前にして、その声はいつまでもこだまし続けた。

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