第50話 戦時下
冒険者ギルドのロビーは騒然となっていた。
先だって集まっていた冒険者たちだけではなく、新人の冒険者も不安げな顔で、周囲の冒険者の様子を窺っている。
新人さんたちの視線はあちらこちらへと揺れ動いていたものの、最終的には中央、受付カウンターの前で陣取ったククルさんへと注がれていく。
注がれるものの、大半の新人たちの表情はククルさんを見て、愕然となってしまう。
受付カウンターの前に立つククルさんは、普段とはまるで違う様相だった。
ククルさんは全身が血まみれになっていた。
とはいえ、ククルさんが傷付いたというわけじゃない。
ククルさんの体を染めていたのは、ククルさん自身の血ではない。ククルさんの体を染めていたのは、返り血だった。
ククルさんの全身を至るところまで返り血によって染められていた。
新人さんたちにとってみれば、想像を絶する光景だったんだと思う。
中には顔を青くしている新人さんもいたが、ククルさんはもちろん他の冒険者たちも、顔を青くした新人さんに気を止めることもしなかった。
「みんな、集まりましたね?」
カウンター前に立ったククルさんは、とても静かな声で集まった冒険者たちを見回していた。
「今日集まって貰ったのは他でもありません」
血まみれになった顔で、ククルさんは冒険者たちへと語っていく。
「先日から噂となっていた「深緑の翼」の情報を掴みました」
その言葉に集まっていた冒険者たちが、「来たか」という顔で真剣なまなざしをククルさんへと向ける。
新人さんたちは慌てながらも、他の冒険者たちをまねてククルさんを見やるも、その姿はあまりにも頼りないものだった。
でも、その頼りない冒険者を呼び寄せるほどに、切迫した状況でもあったんだ。
なにせ顔だけではなく、服までも返り血に染まっているというのに、ククルさんは着替える時間さえ惜しいとばかりに、血まみれのままでククルさんは冒険者たちが集まるのを待っていたほどだったんだ。
とはいえ、冒険者たちが集まるのを待つ間、なにもしていなかったわけじゃない。
その間に、ククルさんはレアさんへと手紙を、冒険者ギルドの紋章入りの印を押した手紙を認めて、職員のひとりに王城まで駆けさせていた。
本来ならククルさん自身が王城に赴くべきなのだろうけれど、そこまでの猶予もないと判断したようで、ククルさんは詳細を記した手紙を職員に託されたんだ。
そうして職員さんが駆けて行ってしばらくして、冒険者たちは集まったんだ。
その間も、ククルさんは他の職員たちに指示を出したり、なにかの帳簿の数字を確認したりなど、かなり忙しそうにしていた。
そんなククルさんを俺は、戻ってきたカルディアたちとともにそばで見つめていた。
そうしている間に冒険者たちは集まった。そこからククルさんの話は始まったんだ。
結局、全身が血まみれになったまま、ククルさんは冒険者たちの前に立つことになっていた。
それでもククルさんは気にすることもなく、冒険者たちの前に立って、構成員から聞き出した情報を語られていた。
「落ち着いて聞いてください。「深緑の翼」が「エンヴィー」周辺に布陣しているそうです」
その内容に冒険者たちが騒然とした。
だが、ククルさんは「落ち着きなさい」と短く一言告げる。その一言に騒然となっていた冒険者たちは、ゆっくりとだけど落ち着いていった。
「よろしい。では、続きを話します。「深緑の翼」の狙いがなんであるのかは、さすがに彼の構成員も知り得ませんでした。最期まで口を割らなかったというわけではなく、そこまでは知らなかったというのが正しいでしょうね」
淡々と事実を語られるククルさん。その言葉に冒険者たちはじっとククルさんを見つめていた。ククルさんは静かに頷いた。
「このことはすでに蛇王陛下にはお伝えしています。蛇王陛下みずからが指揮を執られるかはわかりませんが、これより「エンヴィー」が戦時下に置かれることは間違いありません」
「戦争ってことですか?」
誰かがククルさんに尋ねた。その言葉にククルさんは「いいえ」と首を振った。
「国と国との戦争ではありません。これはただの殲滅戦です。それでも戦時下であることには変わらない。彼奴らがどの程度の戦力を抱えているかもわかってはいません。ですが、彼らが「エンヴィー」を窺っていることは明白です。ゆえにこれより当支部も蛇王軍と連携して、「深緑の翼」と相対することとします」
「蛇王軍に入隊するということで?」
「いいえ。あくまでも連携です。いわば外部の軍勢として「深緑の翼」として戦うということです」
淡々とククルさんは決定事項を語っていく。
その内容に大半の冒険者たちは頷いていた。例外なのは新人さんたちで、落ち着きのなさそうな顔で、不安げに表情は揺れていた。
「ただし、すべての冒険者が「深緑の翼」と対峙するわけではありません。今回の戦に参戦するのは、ある程度の力量の持ち主だけと限定させていただきます。最低でもEランク以上。Fランクないしそれ以下の冒険者は除外します」
Fランク以下の冒険者。つまるところ、新人さんたちは除外されるということだった。
その言葉に新人さんたちの顔に安堵の色が浮かぶが、すぐにその顔は緊張に染まった。
「ただし、その分除外された冒険者たちには、通常通りに依頼をこなしてもらいます。いえ、通常時以上にこなしてもらうつもりです」
通常時以上に依頼をこなしてもらう。ククルさんの言い放った言葉に、新人さんたちは最初「え?」とか「どういうこと?」と首を傾げていたけれど、その疑問の答えはククルさんによって告げられた。
「基本的には街中のみの依頼となりますが、Fランク以下の冒険者だけで、各依頼をこなしてもらうことになります」
ククルさんの言葉に新人さんたちは「は?」とあ然とした顔になっていたが、ククルさんは構うことなく続けられた。
「あくまでも臨時、特別措置です。街中の依頼だけですが、普段よりも上位の依頼をこなしてもらいます。こちらの都合で押しつけるのですから、成功すればその分評価は上乗せしますが、失敗すれば普段よりも評価は下がりますので、気をつけてくださいね?」
その言葉に新人さんたちの顔は青くなる。顔を青くした新人さんたちを見て、ククルさんは頬を綻ばせていた。
カルディアが「さすがはギルマス」とぼそりと呟いていたけれど、ククルさんは気にする素振りも見せなかった。
「なお、Fランク以下の冒険者であっても、優秀であれば今回の戦には参戦の打診をします。もちろん、打診であり、強制参戦というわけではありませんし、断っても評価が下がるわけではありません」
ククルさんはちらりと俺を見てから、ロビー内の冒険者たちへと向けるように言っていた。
「……いまのって完全に旦那様に対して言っているよね?」
「間違いないと思うのです」
カルディアとプーレがひそひそと話をしていたが、その内容には俺も内心で頷いていた。
ククルさんは明らかに俺を見ていた。それはつまり「あなたには打診しますからね」と言っているようなものだった。
ただ、いきなり「参戦しろ」と言われても正直困るというのが素直な感想だった。
それも地球の日本という平和な国で、のほほんと生きてきた俺に、命が奪われるのが当たり前な戦場に出ろと言われてもすぐには頷けなかった。
「それでは、本日より当ギルドは戦時下となります。……なお、打診された冒険者は、さすがにすぐに返事をしろとは言いません。が、打診された翌日までには答えを決めてくださいね?」
再び俺をちらりと見てから、ククルさんはにやりと笑われた。その笑顔に俺の顔は引きつったが、ククルさんはおかまいなしと話を区切った。
「いまから一時間後、Fランク以上の冒険者は再びここに集合してください。それまでに様々な準備を整えるように。Fランク以下の冒険者は受付カウンターから依頼をこなしてください。では、解散」
ククルさんの一言を切っ掛けに、冒険者たちはそれぞれのするべきことをするために、ロビーを後にしていく。
俺はどうしようかなぁと思っていると、肩をぽんと叩かれた。
「では、お話しましょうか? カレンさん?」
「……ハイ、ワカリマシタ」
案の定ククルさんはニコニコと笑いながら、俺の肩を叩いた。いや、掴んでいた。
痛いなぁと思いながら、俺は顔を引きつらせながら、ククルさんに引きずられる形でククルさんの執務室へと向かうことになったんだ。
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